メトロポリタン美術館で絶対見るべき日本美術おすすめ22の作品見どころ紹介!

アメリカ東海岸は日本美術の宝庫。時期は大きく分けて二つ。幕末~明治、そして第二次世界大戦後。歴史の大混乱期、日本美術の数多くの名品・作品が海外に流出してしまった。コレクションは吸い寄せられるように、メトロポリタン美術館に集まった。収集と研究はその後も続いています。メトロポリタン美術館が所蔵する日本美術の代表作、豪華コレクションを紹介します。

八橋図屏風 尾形光琳 1709年頃

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描かれてるのは、かきつばたです。なのになぜ「八橋図」なのか。これは、「伊勢物語」の東下りの段、旅人が川が複雑に分かれ、八つの橋のかかるかきつばた咲き乱れる場所で歌を詠む(ら衣 つつ馴れにし ましあれば るばる来ぬる びをしぞ思ふ)に由来します。

濃い藍と緑と金、画面を分断する橋が重厚感あふれ、力強い。この絵をさかのぼること10年、もう一つ、光琳の「燕子花図」があり、根津美術館所蔵、国宝。根津のかきつばたの群れは華麗にして艶。「琳」は「琳派」の「琳」、そして尾形光琳の手掛けたジャンルは屏風絵等、絵画にとどまらず、工芸品や小袖、書、焼き物、染付など幅広く、ええトコの御曹司(京都の呉服屋さん)で有力なパトロンが何人もいて、作風のとおり豪奢で痛快な江戸時代のマルチな美のデザイナーの名がふさわしい。

鳥取藩藩主池田家伝来。1953年、アメリカがこの絵を購入。のちに、光琳の真筆と鑑定されました。(渡米当時は真贋がはっきりしていなかった)偽物なら、と輸出を許可したのに。勿体ないことをした…。

 

朝顔図 鈴木其一 19世紀はじめ

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同じく金と藍と緑の饗宴。色遣いは同じ、草花を扱っていることも同じ。こちらはより女性的かな~。流れるような朝顔の葉と蔓がリズミカルで、めでたくも流麗な琳派の美の名品。尾形光琳に続いた琳派の雄、鈴木其一。先日日本で大規模な回顧展が開催され、この絵も里帰りし、画力の高さにうなった見学者は数知れず。江戸の染物職人の家に生まれ、江戸琳派のもう一人の雄、酒井抱一に弟子入りし、頭角を現し、この二人は江戸の琳派を代表するビックネーム。そして琳派は富裕層・文化人層あってのジャンルで、豪商・大名・知識人を顧客に抱え、琳派の円熟期・完成期の大胆かつ華麗な大作のかずかずは、琳派の日本美術史の位置を決定づけた。繚乱の江戸文化にふさわしい。金箔で空間を。緑青で草木を。群青で渓流をねっとり~の色遣い・筆遣い、過剰では~!?と言いたくなってしまいたくなるほど色濃く書き込んだ「夏秋渓流図」(根津美術館蔵)なども代表作です。。

 

桜花図屏風 酒井抱一 1805年

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ホントは光琳と其一の間に持ってくるべきなのですが。其一の師匠、江戸琳派の礎、酒井抱一。お殿様(姫路藩主)の弟の子。江戸生まれ、江戸育ち。絵に限らず、俳諧、国学、お能、などもたしなむ、筋目正しき遊蕩好きの!?貴公子。でしたが37才で出家。尾形光琳にのめり込み、光琳や乾山の模写の画集を出したり、光琳の百回忌の法要を主催したり。そして光琳に傾倒しながらも独自の境地を切り開いていきます。琳派の豪壮華麗さを意識しながらもよりたおやかな表現。抱一様式とも呼ばれた。

この絵は、上2/3の金箔、下1/3の銀箔。浮かび上がる葉桜の葉の色はあえてのオレンジ。幽玄の世界だ。代表作「夏秋草図」(東京国立博物館所蔵、重要文化財)(敬愛する琳派の祖、俵屋宗達を模して描いた光琳の「風神雷神図屏風」の裏に、風神の風にあおられる秋草と雷神の雨に打たれる夏草を総銀箔をバックに描いた)に通じるものがあります。

 

老梅図 狩野山雪 1646年

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この絵は、メトロポリタン美術館の公式ガイドブック(11か国語版があり、ショップで全部めくったわけではないが掲載されている作品は共通のはず)の裏表紙に採用されている。(ちなみに表表紙はジャン=レオン・ジェロームの「バシボズク」)あえて老木を持ってくる。若木であれば、より多くの花がつきます。そして梅の木も人間と同じ。年をとれは樹形が変わり、枝を延ばす力が衰え、幹は割け、いわゆる「臥龍」と呼ばれる樹形となる。こっちの方が風流ではある。この木、いったん倒れたのですね。幹がまず横に倒れ、さらに上に伸び、下に伸び、また空に向かい、上に伸びる。そして年老いた梅の木は、己のエネルギーを振り絞って、長い冬の終わりに、それでも花を咲かせるのです。つぼみは朱。花は白梅。この絵のテーマは、時代と世代と人種を超えて悩める人々の心をとらえ、胸を打つ。

総金箔。琳派じゃなくて絵師の名がしめすとおり、狩野派。琳派が江戸のニューウェイブなら、狩野派は室町時代の足利将軍家御用達にさかのぼる由緒正しき日本絵画の系譜。もともとはご覧のとおり、襖絵。京都の妙心寺の一角の奥襖絵だった。お寺が火事にあい、再興資金にあてるため、この絵は片岡 直温(かたおかなおはる 明治~昭和初期の実業家・政治家)の元に。のちに日本美術のコレクターとして名高いハリー・パッカードに。そしてメトロポリタン美術館に。

もちろん、不屈の魂を感じさせるこの絵は狩野山雪の代表作。

 

月下白梅図 伊藤若冲 1755年

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メトロポリタン美術館の伊藤若冲は美術館のHPで検索かけたら13点。選んだのは満月の光を浴びて白い炎が燃え立つような、清冽な梅の花の絵。同じ梅でも上の山雪の絵と花つきが違いすぎることにも注目!この絵が描かれたのは1755年。若冲が家督(京都の青物問屋)を弟に譲り、晴れて画業一筋に打ち込むこととなった年です。後年の若冲の代表作「動植綵絵」中にも同じ構図の絵があります。(日本の王室、つまり皇室蔵。三の丸尚蔵館所蔵)若冲といえば最高級の画材を使い(だから色彩鮮やか)とことん写生にこだわり、細部までびっちりと精緻に書き込む。近づいて書き込みの細かさと正確さに見とれ、下がって絵全体を見れば。どの絵も異様な熱気とも幻想的ともつかぬ独特の作風は○○派、ナントカ系に収まりきらない。若冲だけのオリジナル。この絵は、個人収集では質・量ともに日本国外では最高と言われる日本美術の収集家、メアリー・グリッグス・バーク夫人のコレクション。夫人が亡くなったあと、2015年、メトロポリタン美術館に寄付されました。

 

北野天神縁起絵巻 13世紀後半

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この画面、今どきのゲームの炸裂シーンのようだ。「北野天神」とは現北野天満宮。菅原道真を祀った神社。あまりに出来すぎの道真は妬みを買い、無実の罪で大宰府に流され、流刑先で無念の生涯を終える。すると…。ゆかりの人間が次々に奇怪な死を遂げ、台風・干ばつ・疫病・飢饉と天変地異が立て続けにおこり、人々は道真の祟りだと恐れおののき、北野天満宮を立てて道真の霊をなぐさめた。を描く北野天神縁起絵巻はいくつも作られており、本家本元、北野天満宮所蔵のいわゆる承久本は国宝。こちらのメトロポリタン本、弘安本、根津本。少しずつ内容が違います。

描かれている九頭九尾の化け物は地獄在住。切れてしまっていますが燃え盛る炎の中には生前道真をおとしいれた人々が炎に焼かれ、苦しんでいる。画面中央向かって右の山伏の姿の使いの者は、戻って帝に一部始終を報告するのです。

 兵庫の天台宗太山寺伝来。幕末の英雄で明治の元勲、井上馨侯爵がが愛蔵していたことでも有名です。侯爵の死後、山中商店(東洋美術の名品を世界に売りさばき、日本の美術工芸の水準の高さを世界に知らしめた伝説の美術商)の仲介で、1925年、メトロポリタン美術館が購入。

 

観音経絵巻 1257年 

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まずこの綺麗な色遣いを見ていただきたい。赤が、朱が、緑が青が、ここまで鮮明に残っている。これだけの状態良好な時代を経た絵巻物は、世界広しといえどもこの1点のみ。日本の鎌倉時代の、そしてメトロポリタン美術館の誇る仏教絵画です。

正確なタイトルには「妙法蓮華経 観世音菩薩普門品」 。頭に「何無」(私は仏さまに従いますの意味のサンスクリット語)を付ければ、「なむみょう~ほうれんげ~きょ~う」です。インドの法華経を鳩摩羅什が漢訳したのが妙法蓮華経。30章に分かれており、観世音菩薩普門品は第25章。生きていれば、否が応でも辛い目にあう。苦しい時もある。観世音菩薩さま慈悲深いお方、我々が観音さまの名前を信じてひたすら唱えれば、必ずその声は観音さまに届いている。救ってくださるのです。

七色の光を放つ、空のかなたの夢のような極彩色の仏塔の中に、観音さまはおわします。金色の雲に乗る、お伴の仏様を従えて。天女は羽衣を翻し、花を振りまき、音楽を奏でます。私たちが観音様を信じで唱える声に耳を傾けておいでなのでしょうか。それとも、悩める私たちを救うため、お出ましになってくださったのでしょうか。

 

保元平治合戦図屏風 17世紀

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屏風ですから、大きい。(154.8×355.6cm)そしてこのジャンルの絵は、時空を超える。目を凝らして見て、いったい何シーンあるんだろう。中央大きく描かれているのは保元の乱中、後白河天皇軍が崇徳上皇軍に夜討ちをかける白河殿夜討。クライマックスシーン。で、崇徳上皇が讃岐に流されるシーンはどこに。弓のつわもの、身長210㎝、左腕が右腕より12㎝長い、水滸伝の怪物を連想される源為朝はどこに。首に矢を受け、敗残のお尋ね者としてさまよう 悪左府(ネチネチしていて好かれない人だったらしい)藤原頼長はどこに。武士が天皇を襲う、三条院焼討はどこに。我が子の命乞いをする絶世の美女にして源義経の母、常盤御前はどこに。二条天皇が平清盛を頼る、いわゆる六波羅行幸はどこに。保元の乱の政争に勝ち、一転して平治の乱では追われる身となり、土の中に隠れたものの(箱に竹筒で空気穴つき)追手に見つかり自害して果てる信西はどこに…。と目を凝らし続けなければ。(単眼鏡を持っていかなければ♪)もともとは出雲藩主松平家所蔵。

 

 柳橋図屏風 17世紀はじめ

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こちらもバーグ夫人のコレクションです。桃山時代から江戸時代初期において流行した柄。金で大きく橋が描かれしだれ、風に揺れる柳の葉。ダイナミックにしてドラマティック、豪放磊落桃山文化にふさわしい。日本にも多くの秀作があり、忽然と歴史に現れ、当時全盛の狩野派を脅かす大躍進・大活躍ぶりに狩野派が焦りまくり、陰に陽に嫌がらせを受けながらも凛として立ち、巨業をなしとげた長谷川等伯の「柳橋水車図屏風」(香雪美術館蔵・重要美術品)が殊に有名。水車!?と思われた方もいらっしゃるはず。長谷川派のお家芸、当時全盛のこのデザインは、橋・柳・半月・水車・蛇籠(大きな竹籠に砂利とか詰めた。護岸用。今のテトラポットみたいなもの)が定番。メトロポリタン美術館所蔵のこの絵には水車がない。蛇籠は画面向かって左の半円形のがそうです。川は宇治川。橋は宇治橋。宇治川は京都郊外。平等院のある所。つまり宇治川は当時の人々にとって、この世にありながらも極楽浄土を連想させる地名なのです。…にしてはなんか不気味な感じが漂う…。気のせいかしら…。

 

源氏物語図屏風「行幸・浮舟・関谷」 土佐光吉 16世紀半ば~17世紀はじめ

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この絵は土佐派。。栄枯盛衰を繰り返しながら室町時代から幕末まで続いた雅やかな大和絵の系譜です。左下には確かに「御幸・関谷・浮舟」とは書いてある。16帖関屋は左、逢坂の関で源氏とかつて契った空蝉はすれ違う。空蝉は人の妻であり、二人の胸に去来する思い。真ん中が51帖の浮舟なのでしょうか…。匂宮の降りしきる雪の中、浮舟を拉致するシーンなんか、54帖中、目玉の見せ場の一つだと思うんですけど、雪は降っていない。二人の男性の間に挟まれ、いっそのこと死んでしまおう、のシーンにしては、お伴の人が多い。わからない。29帖行幸は右、大原の鷹狩のシーンですね。屋外の華麗なシーンを選んで絵巻物に仕立てています。

土佐光吉のメトロポリタン美術館の収蔵品は全部王朝絵巻。平家物語の小督(美貌の琴の名手。高倉天皇の寵愛を受けるも平清盛の逆鱗に触れ出家させられる)のエピソードを画面の随所に描いた絵。のシーン。源氏物語24帖、胡蝶。源氏と女人たちのすむ館の明るく華やかなこの世の楽園のような、春を祝うセレモニーの絵など、王朝女子の心をわしづかみにして離さない優美な作品はため息もの。

 

信楽焼の壺 14~15世紀

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信楽焼は日本の古窯のひとつ。元々は生活の器を内輪でひっそり作って使っていたのでしょうが、京都に近かったことと、かの千利休がわび・さび(自分でもよくわからないことを書くことをお許しください<(_ _)>)を民家で使われていた信楽の壺に見出し、茶の湯に使ったことから一挙に芸術の域に格があがった。ましてや室町時代の壺ともなれは、作例がそもそも少なく、今に伝えられ、見目麗しく、保存状態が一定のレベル以上、しかも大型(高さ46.7cm、直径39.4 cm)ともなりますと、なかなかお目にかかれない。信楽の魅力は土の色をそのままに。炎の跡も焼いてる途中で灰が落ちてもそれが味になる。個性になる。素朴さと荒々しさを、先人は並ぶものなきと珍重したのでありましょう。

 

 柿右衛門深鉢 有田焼 17世紀末

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有田、伊万里の色絵磁器は染め付けは、まず白い肌の透明度の高さ、そして色出しの美しさと柄ゆきの可憐さ。蓋つきのこのフォルムはヨーロッパへの輸出用だから。色絵磁器といえば、誰が何と言おうとも総家元!?は中国の官製窯、景徳鎮。当時、ヨーロッパでは景徳鎮窯のファミーユベルトと呼ばれる白地に透き通るかのような緑の細かく精緻な模様の染付けが大人気で、この器も緑色が目につくし、花鳥の文様も中国風。顧客のニーズに応えたのですね。フタと器がお揃いなのは大変に珍しく、名品を手に入れるメトロポリタン、さすがです。

そして中国風とはいえ、柿右衛門といえば赤。それも、真っ赤じゃなくて、柿色。オレンジがかった赤ですね。景徳鎮の影響を受けながら、謹製日本製!を主張してくれているのはうれしいかぎりです。お花は芍薬と菊。岩の上の青と緑の小鳥が愛らしい。

有田や伊万里は江戸時代、ヨーロッパで珍重され、メトロポリタン美術館にも色鮮やかに輝く品々が数多く収蔵されています。

 

 石橋図 曽我蕭白 1779年

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お能の演目「石橋」。現在の中国浙江省天台山。(日本の「天台宗」のいわれでもある。最澄さまも訪れた仏教の聖地)お坊様が天台山の石橋を渡ろうとすると少年が現れ、橋の向こうは文殊菩薩がお住まいになられる浄土であり、修行を積んだものでも渡ることは難しい。ここで待てば文殊菩薩さまがお姿を現すだろう。と言いおいて去ります。お坊様がじーっと待っていると、文殊菩薩さまのしもべであり、使者でもある獅子が現れ、牡丹の花が咲き乱れる中、神がかった舞を見せるのです。

をベースに江戸時代の、そして屈指の奇想異端の巨匠絵師、曽我蕭白は、断崖絶壁を駆け上がり、文殊菩薩さまのおわします清涼山を目指す小獅子のおびただしい群れとそれを見守る母獅子の姿を描きました。まず発想のユニークさに呆気にとられ、そして小獅子の必死の形相、懸命なしぐさが見事でもあり可愛らしくもあり。ある小獅子は宙を舞い、またある小獅子は石橋を渡り切れず、雲海に落ちていく。

この絵、日本美術ですよね。で、こんな絵を描く人、いたんだ…。しかも、江戸時代に。の驚きさめやらず。この絵もバーク・コレクションの目玉の一つ。

 

 鎧兜(足利尊氏が寄進) 10世紀~14世紀初頭

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白糸威褄取大鎧(しろいとおどしつまどりおおよろい)。漆塗りの鉄板や革を白の絹紐で組み上げるから「白糸威」。古典の授業中、平家物語とかで「○○威の鎧着て」のくだり、しょっちゅう出てきましたね。スカートみたいに5段に下がって腰から太ももを守るのが「褄取」。「大鎧」(偉い人)「銅丸」(中間)「腹巻」(一兵卒)と、身分により使う鎧は異なる。腕の部分のパーツがないのですが、寄進した最初からなかったのか、いつの御代にかなくなってしまったのかは不明。

鎌倉時代末期、足利尊氏が京都の篠村八幡宮に打倒!鎌倉幕府の戦勝祈願のためにこの鎧兜を寄進し、戦いにおもむいた。胸板に描かれているのは不動明王さま。めらめら燃える炎と勇ましいお姿は武将が身に着けるにふさわしい。同時代の大鎧(ただし袖付)は日本では国宝です。重さ17.2㎏。

京都松井家が所有。明治末期に、京都の美術商、時代屋からバシュフォード・ディーン(アメリカの生物学者にして日本の甲冑コレクター)が購入。1914年、メトロポリタン美術館に寄付されました。

 

冨嶽三十六景 神奈川沖波裏 葛飾北斎 1830-32年

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フランス共和国に印象派の巨匠、クロード・モネの「ルーアン大聖堂」連作があるなら、我らが日本国には葛飾北斎の「冨嶽三十六景」がある☆彡作品数はピカソの45,000点には負けてしまいますが、生涯30,000点。世界一有名な日本人の絵かきは間違いなく葛飾北斎。世界一有名な日本の絵は間違いなくこの1枚。ゴッホはのめりこみ、作曲家ドビュッシーの交響詩「海」の、詩人リルケの「山」のインスピレーションの源となり、世界のアーチストがこぞって絶賛の嵐。ドラマチックで息をのむ大胆な画面構成。藍と白のコントラストとコンビネーションは、まさに日本美術のアイコンの名にふさわしい。

葛飾北斎、別名画狂老人卍(まんじ)。ひたすら描いた。絵が描ければそれでよかった。部屋には店屋物のごみが散乱し、収拾つかなくなれば引っ越す。(ちなみに引っ越しは生涯93回)着ているものはボロボロで、画料は包みのままほっといて御用聞きには見てもいない包みをそのまま渡す。不愛想で偏屈。ただもう、描きたい。90才で亡くなる間際の言葉が「天があと5年、私を生かしてくれたなら、真の画工となれたものを」の気迫に、私たちも勇気を奮い起されます。画業は縦横無尽、快刀乱麻。

 

三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛 東洲斎写楽 1794年

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出たぁ~!!と思わず歌舞伎の大向こうの声かけしたくなっちゃいますね。超有名なこの絵はメトロポリタン美術館のほか、ボストン美術館、シカゴ美術館、東京国立博物館、大英博物館所、立命館大学に所蔵あり。

忽然と現れ、活動期間はわずか10カ月。150枚あまりの作品を残し、姿を消した謎の浮世絵師、東洲斎写楽。役者絵は、今のファッション写真であり、ブロマイド写真であったはずなのに。奇想天外なデフォルメと役者は美化してまたは役柄として画面に現れていたのに、演じる人間そのものをえぐり出すかのような浮世絵。そして浮世絵って、今のプロデューサー、版元あってなので、人気がなければ、売れなければ次はない。立て続けの出版は人気のバロメーター。なのになぜ、歴史のかなたに消えて行ってしまったのか。そして東洲斎写楽は、何者なのか。今なお、謎のまま。

 

難波屋おきた 喜多川歌麿 1790年代

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おきたちゃんは16才。今なら中~高校生。でも寛政時代は花の盛りの女の子。浅草は浅草寺随身門わきの水茶屋の看板娘。寛政三美人は難波屋おきた、高島屋おひさ(両国のせんべい屋さんのお嬢さん)、富本豊雛(吉原の遊女にあらず芸者さん、浄瑠璃のお師匠さん)。中でもおきたちゃんは清純、はつらつ、颯爽。歌麿の絵の効果もあって浅草観音かいわいの水茶屋はどこも大繁盛。おきたちゃんを一目この目でと男どもは群れをなす。難波屋の前の人多すぎ、商売に差し支える、困ったもんだ…思い余って水をまいても効果なし。それでもおきたちゃんは明るくテキパキとお仕事に励み、お高くとまることもなくお客さんとも気さくにお話していたそうです。髪は娘島田。淡いくすんだ緑(摺りたては水色だったのかも)の単衣に黒繻子の幅広の帯。

女を書かせたら日本の筆頭は喜多川歌麿。時代が下がると続いて鏑木清方、上村松園、伊東深水。この浮世絵は歌麿円熟期、絶頂期の極め付けの1枚です。

 

美人大首絵 渓斎英泉 1825年

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ご紹介した巨匠の代表作3枚の大スタンダードから打って変わって、アクが強くでデカダンかつエクセントリックな浮世絵をどうぞ。渓斎英泉(けいさいえいせん)。正統派の美人画からは離れてしまいますが、一目見て忘れられないインパクトのある生身の女を感じさせる。様式美で一時代を築いた人気浮世絵師として。時代は江戸末期。文化爛熟世の中段々政情不安定…の時代に、ジョジョ立ちの傾城の女はまことにマッチしていた。風景画も描いているのです。しかし悲しいかな私レベルでは英泉なのか広重なのか見分けられない~。

英泉はもともとは下級武士だったのですが、上役とケンカして武士をやめて狂言作家を目指し、あわせて絵を学んだ。この画風です。本領は実は春本春画にあったとも。当然その手のお店のお得意様でお酒と女が大好きで放蕩三昧。ついには自らも娼家を経営する。とともに浮世絵では弟子を多数抱え、滑稽本なども書きまくり、無名翁の名前で書いた「無名翁随筆」は別名「続浮世絵類考」。浮世絵師の人名略歴作風代表作が記されており、後世の研究家は大助かり。

 

花鳥蒔絵螺鈿書箪笥 16世紀後半

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浮世絵師や陶工は名を残す人もいるけど、漆工の匠の名前は…少なくても私の狭い見聞の中では、思い浮かばない。しかし桃山時代、日本を訪れたスペイン人、ポルトガル人は日本の漆細工、蒔絵に目をつけた。軽くて持ち運びしやすく、丈夫だし、ゴージャス。華やか。キレイだ。そして自分たち用に、輸出用にオーダーする。このタンスはヨーロッパ仕様です。そして黒と金だけだった蒔絵に螺鈿が加わった。貝がらの裏側、虹色に光るところを磨き上げて好みの形に切り出して貼り付ける。黒・金・虹色の海外仕様のデコラティブな蒔絵は「南蛮漆器」と呼ばれます。上でご紹介したヨーローッパの室内装飾なんか見ると、なんとなく納得。ヨーロッパの人はこの手の模様がお好き。顧客の要望に応えるのは、ものづくりの鉄則。蒔絵は日本のお家芸。でもこのタンスは日本純正の意匠でないことだけ、押さえておきましょう。

 

蔵王権現立像 11世紀

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1,300年前(奈良時代)に行基さまが開かれた由緒正しき京都の迎接寺にあったこの像。日本にあれば国宝クラスです。まず、製作が平安時代。古い。そしてお顔はこわいけど、軽やかかつ品のあるボディライン。戦後、村に電気を通すためにお寺が手放し、日本の収集家から伝説の日本美術収集家、ハリー・パッカードの手にわたり、1975年、メトロポリタン美術館にやってきた。昔、権現さまは右手に三鈷杵(さんこしょ・密教の法具)を手にされていた。三鈷杵で魔を退治するのです。左手は剣印。いわゆるチョキ。魔を断ち切るのです。右足が上がっている。魔を踏み砕くのです。怒れる仏さま、戦う仏さま。

蔵王権現さまは仏教の仏さまではあるのですが、インド由来ではなく、日本生まれの仏さま。長崎の隠れキリシタンみたいなかんじで、山岳信仰と仏教がむすびついて修験道が生まれ、日本で独自の発展を遂げた。役小角(飛鳥~奈良時代の呪術者)が権現さまの姿を霊感で感じ、その姿を桜の木に刻んだのがはじまり。

村に電気をひくためにお寺さまが秘仏を手放すなんて。美談にしてしまうにはちと胸痛むものがあります。日本政府も、海外に持ち出してはいけないクラスの仏像であることはわかっていた。それでも今、権現さまははるかアメリカのニューヨークにいらっしゃいます。

 

地蔵菩薩立像 快慶 1202年

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解体修理の際、仏像の頭の内側に銘が記されており、鎌倉仏師いや日本仏師の最高峰、運慶快慶の快慶作と断定された。こちらもバーク・コレクション。

快慶の仏さまは平安時代の仏像の未来発展型。定朝の流れをくみ、素直に仰ぎ見、祈りを捧げたくなる仏様。仏像の枠を超え、その先の表現に大胆に切り込んだ運慶もカッコよすぎですが、穏やかに佇む快慶は、並び称され超絶技巧の仏師であることに間違いない。ラファエロみたいなものでしょうか。(平明すぎてあれこれ言いたい人にとっかかりを掴ませず、言及されにくい)

お地蔵さまは剃髪している。つまりお坊さまの姿で、人の苦しみを引き受けてくださる。そして親より先に死に、親不孝の罪で賽の河原で石を積む子どもたちを守ってくださるのも地蔵菩薩様。左手に如意宝珠、右手に錫杖。お袈裟の流れるラインを模様が美しい。快慶の仏像は、後期になると表情がどうも画一的、とか言われてるのですが、このお地蔵さまを作ったころは比較的初期のもので表情がみずみずしい。

 

不動明王坐像 快慶 13世紀はじめ

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 平明、穏やかと言っておきながら、怒れる不動明王さま、快慶作。こちらもバーク・コレクション。

不動明王さまはインド生まれ。空海さまが日本に伝えた。インドや中国では作例が少ないのです。しかし日本では大人気。日本では密教が大流行し、密教のメインの仏さまであり、今でいう普及啓発の度合いが凄まじく、また成功したのですね。

不動明王さま、怒っています。実は大日如来さまのまたの姿(変身できるのですね)。仏さまの教えから離れる、言うことをきかない者どもを本気になって、力ずくででも正しき道に導きたい。人の心にある弱さを打ち砕き、救いたい。救うのだ!絶対に救うのだ!と松岡修造さんなど及びもつかぬ熱さ激しさで燃えに燃えていらっしゃる。だから、怒ったお顔でいらっしゃるのです。目を剥き牙を見せる忿怒(ふんぬ)相、剣と投げ縄をお手にされています。つまり現世の苦しみを救ってくださる神様なので無病息災、家内安全、商売繁盛、交通安全、合格祈願、なんでもお願いしてかまわない。密教にとどまらず、ほかの宗派でもご本尊として広く日本人の心をつかみ、信仰されてきた。

京都の青蓮院伝来だったらしい。この仏像の製作されたとおぼしき頃、快慶が青蓮院で働いた記録は残っている。しかし肝心の仏像の記録がないので断定できないのですが。

 

 

 

終わりに

こちらもぜひご覧ください。

 

メトロポリタン美術館の日本美術以外のダイジェストと

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アメリカ東海岸のもう一つの日本美術の殿堂、

ボストン美術館の日本美術中心のダイジェストです。 

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メトロポリタン美術館で絶対見るべきおすすめ23の作品と見どころを紹介する!

アメリカ ニューヨークのメトロポリタン美術館。若き国、アメリカ。代々の王族の所蔵品、ではない。国は栄え、垂涎のお宝は全世界から富の集まるところに吸い寄せられる。そしてお金があればいいってものじゃない。燃える情熱と、選ぶ目がなければ。そしてお宝を守り、語り継ぐ人がいなければ。さんざめき、世界中から集う人々は、いにしえの先人たちのなしとげた遺構の数々に息を呑み、心打たれるのです。世界屈指のコレクションのハイライト、代表作のかずかずをお届けします。

 

デンドゥール神殿 紀元前15年頃

temple of dendur

メトロポリタン美術館のエジプト美術のコレクションは本場カイロに次ぐ。エジプトには、遺跡がありすぎるくらいある。外国に発掘してもらい、成果品は本国エジプトと発掘調査隊とで分け合うのです。20世紀はじめ、1930年代くらいまで、エジプトはわりと寛容で、今では持ち出し禁止!エジプト国宝!クラスの品々が海を渡ってニューヨークにやってきた。なかでも白眉はこのデンドゥール神殿。アスワンハイダムに沈まんとしたこの遺跡は、かのジャクリーヌ・オナシスの計らいで大西洋を渡る。ワシントンD.Cのポトマック川のほとり、そしてボストンのチャールズ川のほとりに移設するプランもありましたが、石の劣化を防ぐため、屋内展示のできるニューヨークが選ばれ、ジャッキーの住む場所からこの神殿を臨むことができるよう、今の場所に、そしてガラス張りの広大な展示スペースが設けられた。スケールの大きさに圧倒されます。19世紀にエジプトを訪れた人のアルファベットの落書きが残っているのはご愛敬♪

この他、お墓もスフィンクスも、そのまま持ってきてしまう。数が多く、手始めに見学者入り口すぐのエジプトから、と美術館めぐりを始めてのめり込み、大幅時間オーバー!必至です。

 

切妻型のチェストと3,500年前のリネン

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紀元前1492–1473年。エジプト。ここまで完全に残っているのです。チェストはともかく。布ですよ。展示はエジプシャン・アートスペース。つまりこの布はミイラをくるむための布。その布が、完全な形で、残っている。今ひろげても、使用に堪える状態で、目の当たりにすることができる。もちろんガラスケースに収められており、細心の注意が払われ、万全の保存の態勢が整えられている。布も粗目細目大小あり。ミイラの下に敷いたり、くるんだり、ミイラの中に詰めたり、使い分けていたのでしょう。やがてよみがえる日のために。

 

ドブロイ公爵夫人 J=A=D・アングル 1851-53年

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フェルメールの「真珠の首飾りの少女」が髪に巻くラピスラズリ色のターバンは究極の青。そして究極の水色とは、この絵の貴婦人が身にまとうシルクサテンのドレスの色ではないでしょうか。19世紀、フランス。滑らかでつややかな肌の白さとレースの純白、黄金に輝く椅子とアクセサーとの対比で水色は、いっそう輝きを増していく…。ドブロイ公爵夫人は、わずか35歳でこの世を去り、ドブロイ公爵は深く悲しみ、この絵にとばりをおろし、終生見ることはなかった。水色は、今は亡き愛しい人の追憶と追慕を呼び起こす色。

 

ジョージ・クリフォードの甲冑 1585年頃 

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この絢爛豪華な甲冑、もとは金と、青だったのです。時とともに色が変わり、今は黒になっていますが。イギリスのエリザベス1世の御世、チューダー王朝時代。全体に施されたバラとユリ、「エリザベス」の「E」の文様が時代の栄華を表します。製作はイギリス王室の工房、身につけたのがジョージ・クリフォード伯爵。伯爵はこの鎧を身につけ、槍を持ち馬上の人となり、御前試合を戦った。女王陛下の名誉のために。さぞかし壮観だったのでしょうね…。

メトロポリタン美術館では、武器甲冑に一大スペースが割かれており、フル装備の馬と甲冑をつけた騎士(ガイドさまは重さ28kgと教えてくださいました。重すぎるのでは…)かの実物大・臨場感いっぱいの展示、そしてヨーロッパのみならず中近東、中央アジア、アジア、当然日本も含む武器や甲冑が一同に会し、展示されています。刀なども、妖気漂う日本刀とナタとみまごう水滸伝の力持ちでなければ振り回せないような分厚く大きな中国の刀なんかが隣り合わせに展示されていて、それそれの国、それぞれの時代、手がけた人々の叡知の結集のオーラに圧倒されます。

 

クーロス像 紀元前590-580年頃

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ギリシャ彫刻のさきがけの作品として有名です。このポーズ、古代エジプトのファラオや王妃さまと同じ。直立して、足を一歩踏み出している。影響ありあり。でありながら、生身の人間ぽさ。同じポーズでも、表現されたものは明らかに違ってきている。そしてこの彫刻の重さは900kgを超えています(高さは194.6 cm)。きちんと立っている。上半身の重みをより細くなりゆく下半身で支える。加え、長い年月を経ても作られた当時のままの姿を保つ。壊れない。を押さえた上で新たなる意匠が生まれる…。画期的なことであり、こちらのクーロス像に続くギリシャ彫刻は人体表現の豊かさとリアルさを兼ね備え、古代の頂点を極めるのです。「クーロス」とはギリシャ語で「青年」。若き貴族の墓標であったと伝わっています。

 

デラウェア川を渡るワシントン エマヌエル・ロイツェ 1851年

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ワシントン、ドヤ顔だ~。アメリカ独立戦争のシンボリックな名場面を大画面・壁いっぱい (378.5 x 647.7 cm)に描いたこの絵。アメリカ人の魂をゆさぶるのでありましょう。織田信長が今川義元を急襲した桶狭間の戦いのごとく、アメリカ建国の英雄かつのちの初代大統領ジョージ・ワシントンはデラウェア川を渡り、敵の部隊を襲い、打ち破ったのです。一方トリビアに走り

  • 実際に川を渡ったのは真夜中で雨が降っていた
  • この大きさの船にこれだけの人が乗っては沈んでしまう
  • アメリカ国旗はアメリカ独立戦争当時のものではない
  • 女性やアメリカ先住民、所謂インディアンが描かれている
  • こんな氷河の中(時期12月)進めない。

…まだまだ続く。しかしリアリティはこの場合さほど重要でではない。国を愛する心。色眼鏡で語られることは多々あるけど、自分の生まれた場所や住んでいる場所を愛することはすなわち自分自身を愛し大切にすることにほかならない。

 

 ホメロスの胸像を見つめるアリストテレス レンブラント 1653年

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世界的なアートの人気の分野といえば、エジプト・ギリシャ・ローマ・ルネサンス・宗教画・印象派。そしてオランダ絵画。黄金期は17世紀。レンブラントのこの作品はオランダ美術の最高傑作のひとつであり、メトロポリタン美術館の至宝のひとつでもある。レンブラントの絵といえば、少なくても有名な絵は黒~茶~白のトーン。お年を召した男性のそれが多い…。つまり内面性と精神性。重くて深い熟慮を重ねる思索。逃れられぬ運命への憂いとそれを見続ける画家の目。描かれている人の、ものの奥深さ余すことなく描き出した。これがレンブラントが巨匠と呼ばれる理由でありましょう。イタリアの収集家に「哲学者の絵を」と依頼され、選んだ画材であり、古代ギリシャの伝説的詩人の頭像に手をかける哲学者の視線はうつろであり、秘める底知れぬ何かがあることを見る人に感じさせる。

  

 糸杉のある麦畑 フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年

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ひまわり、自画像に並び、糸杉はゴッホの作品の有名な主題のひとつ。超有名「星月夜」にも糸杉、描かれています」サン=レミの精神病院に入院し、南フランスの照りつける陽光、燃え盛るかのように立つ糸杉は「さながらエジプトのオベリスクのようだ」と弟のテオに手紙を書き送っています。ゴッホにとって、己の暴れさかる巨大な宇宙の星のような精神のほとばしりは、あまりにも激しすぎて。自分で自分の手に負えない。精神の入れ物としての肉体は、あまりにも小さすぎた。弱すぎた。たたきつけるかのようなタッチはゴッホの絵のオンリーワンの特徴であり、南フランスの光と空気の息遣いを感じることができる。天才ゆえの途方もない心の暗闇を垣間見ることができるのです。

 ゴッホは生涯に2000枚あまりの絵を描いた。うち、メトロポリタン美術館のゴッホの収蔵品は、HPで検索したところ、110件ヒットしました。多い…。

 

ダマスカス・ルーム 1707年

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世界のトップ3に入る巨大美術館ですから、展示もスケールが大きい。トップのデンドゥール神殿しかり。そしてダマスカス・ルームは18世紀のはじめ、オスマン帝国(現シリア)はダマスカスの大商人の邸宅で使われていた冬の迎賓の間。(夏の迎賓の間は別にある)丸ごと持ってきてしまうんですね…。イスラム美術は華麗かつ精緻な装飾が特徴です。金箔は残っていますが、当時塗られていた鮮やかな黄色は褪色してしまいました。壁にはムスリムの詩が40あまり、雅やかなカリグラフィーで記されており、大商人の一族は敬虔なイスラム教徒でもあったのです。

シリアと聞けば、ひっきりなしに伝えられる政情不安、その度ごとに翻弄される人々の傷ましい様子がどうしても頭の中をよぎる。かつてオスマン帝国は、14世紀から20世紀の始めまで世界に君臨した世紀の大帝国でありました。この世には、変わらないものなど何もないのかもしれません。

 

アスター・コート

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 巨大展示その2。中国は上海のお隣、東洋のヴェネチア、ヴェネチアに勝る古都にして水の都、今なお数々の名庭園を残す蘇州の17世紀の庭園をイメージして作られた中国式・屋内式、天井のガラス窓から光が降り注ぐ中庭です。「アスター」の名は、この展示の発案者にして出資者、アメリカの伝説の慈善家にしてソーシャライト、ブルック・アスターに由来します。材料の調達と製作は当然すべて蘇州。1980年、中国人庭師により作庭・竣工。天に向かって大きく弧を描く屋根の形は中国や朝鮮ではよく見かけるフォルム。装飾であるとともに雨を防ぎ、室内をより明るくするのです。

これが中国式!?…違うんじゃない!?といまひとつ腑に落ちん。しかし中国美術鑑賞の合間、中国式の庭園の入口って大きな○型(茶室の入口みたいだ、大きさ全然違うけど)、中国独特の瓦屋根の反り返り、渡り廊下にはラーメンの丼に描かれているかのようなすかしのひさし、下がるランタン、そして欧米のガーデンって、花も色もあふれかえらんばかり、のスタイルが多いから余白を活かしたシンプルなお庭は西洋の方々の目にはフレッシュに映るのでありましょう。

 

オテル・ド・テッセのグランドサロン 1768-72年

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巨大展示その3。18世紀、フランスの大邸宅の客間。真ん中の机はフランス革命で断頭台の露と消えたマリー・アントワネットゆかりの家具です。重厚かつ絢爛豪華で優雅なヨーロッパの室内外の装飾様式、バロック・ゴシック・ロココ・ビクトリアン・エドワーディアンなどなど、見る人が見れば一目瞭然なのでしょうが素人にはなかなか。メトロポリタン美術館には、この展示を始め、イタリアベニス、18世紀、天蓋にキューピットが乱舞する極彩色のサグレド宮殿の寝室、フランス18世紀、青と白と金を基調としたまばゆいヴァレンジュヴィル・ルーム、イギリス18世紀の白の壁、ブルーの絨毯、赤の椅子の布がまばゆいランズタウン・ハウスのダイニングルーム、臙脂のタペストリーを壁全面に配した18世紀イギリスのクルーム・コートのタペストリーの間など、息つく間もない。こんなキンキラキンのお部屋では落ち着かないのでは…、なんてのは平民の発想ですね。

 

中世の彫刻ホールGallery 305 - Medieval Sculpture Hall

巨大展示その4。この吹き抜けの空間は、メトロポリタン美術館開館当時(1880年)のメインホールだったスペースです。ヨーロッパ中世(5世紀~15世紀)に関しては、別館(クロイターズ美術館)すら存在する。メトロポリタン&クロイターズの中世ヨーロッパ美術館のコレクションは世界屈指。ドイツとかフランスにも良いコレクションはありそうですが当然自国中心になる。メトロポリタン美術館はコレクターが系統立てて収集した作品、それも千点単位での寄付を一挙に受け、さらに収集を続けている。

ゴシック様式の大聖堂をイメージした美しくもそびえたつ鉄格子。アイボリーの壁と繰り返されるアーチ。そして静かにたたずむかつては町や村の教会で訪れる人々に、キリストの偉大さや生涯を示し、見つめ、祈り、心のよりどころであった、後世のそれとは別の、素朴ともぎこちなさともとれるキリストさまやマリアさま。もちろん例外はありまして、この画像では向かって右下、

 

ブルゴーニュの聖母子像 15世紀

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これなんか中世の聖母子像ではリアルな方。15世紀、フランス。ブルゴーニュに尼僧院を作るにあたり、ブルゴーニュ公(あるいはブルゴーニュ公夫人)が作らせた聖母子像。幾たびか持ち主が変わり、壁に掛けられていた時期もあり、マリアさまの後ろに回るとその跡がある。あどけないイエスさまは書物を指さし、マリアさまを見つめます。マリア様は書物を膝に置き、我が子を抱く。母と子のほほえましくも神聖なひととき。ノーブルで、どんな人が見ても心がなごむ傑作です。向かって右、マリアさまが腰かけている右にはラテン語で「初めから、世界が始まる前から、私は創られた」と記されています

 

ポンペイの壁画 紀元前50-40年頃

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 西暦79年、イタリアのヴェスヴィオ火山が噴火。ポンペイの町は火山灰に埋まり、町そのものが消えた。発掘はタイムカプセルを開いたかのよう。この壁画、修復ナシ!オリジナル!2,000年の時を超え、そのままの残っていることに、ニューヨークで実物の前に立っていることが不思議でありがたい。ポンペイ郊外の広大な荘園の邸宅のいくつもあった寝室の一つ。郊外なんだから、窓の外には緑が広がっていたことでしょう。正面に描かれているのは東屋と岩肌と水辺と黄金の台とガラスのボウルと果物。左右の壁はほぼ対象。都市の景色が描かれています。当時の人々の豊かな暮らしがしのばれます。

 

 ティファニーのガラス ティファニースタジオ 1923–24

Tiffany Studio Autumn Landscape Metropolition Museum of Art NY 5672

ガイドさまいわく、「アメリカの美術館にいらっしゃるのですから、ぜひアメリカのものも見て行ってください。」と案内してくださったのがこちら。ティファニーって、あの、「ティファニーで朝食を」のティファニーです。ティファニー・スタジオを指揮するのはルイス・カムフォート・ティファニー。米ティファニー社の創業者の子。何しろ御曹司ですから、工房で自分好みのガラスの製造(斑入りとかグランデーションとか)から手掛ける。当時アメリカの富裕層の間では、ティファニー社の大判のステンドグラスを持つことがステイタスであったとか。この作品は秋の景色。大判は自然や生き物(孔雀とか)を題材にしたものが多く、花瓶やランプシェイドなども数多く、アールヌーヴォーのアメリカの雄として、ティファニー・スタジオは父が率いるティファニー社に負けじ劣らずの名声を博しました。

全然関係ありませんが、ミュージアムショップで、ティファニー・スタジオの、これじゃないんですが、白い水仙の花の模様のTシャツ、記念に自分用に買いました!

 

薬師如来の壁画 1319年 

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アジア美術のブースの入り口に控える壁画がこちら。751.8×1,511.3㎝。つまり壁一面。大きい、大きい…。見学者は色を失う。中央の赤いローブをまとい、ひときわ白く輝くオーブが薬師如来さま。左と右は日光菩薩、月光菩薩。そして薬師如来さまをお守りするのは左右に控える武装した十二神将像(金剛力士とか帝釈天とか)。日本の仏像・仏画でもわりと目にしますね(興福寺とか新薬師寺とか)。中国、元の時代。悪い奴らは許さねぇ!!と日本では猛々しいお顔がおなじみの十二神将像さまは如来さま、菩薩さまとともに威厳に満ちていらっしゃいます。

経年による劣化はいたし方ないのでしょうが、何しろ大きく、そしてここから入っちゃダメ、のポールもない。近づいてみると

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お仕えする方のオーブまでもが!表情にいたるまで!はっきりとわかります。

 

砂岩のアプサラス像 11世紀前半

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インド、ウッタル・プラデーシュ州。なんて綺麗なのでしょう。アンコールワットやエローラで、肌もあらわにまばゆいアクセサリーをつけ、神々のお近くで踊るたくさんの女神さまをお見かけします。が、この、メトロポリタン美術館の女神さまは飛び切りの器量よし。ひとたび踊れば、「大阪本町糸屋の娘 姉は十六 妹十四 諸国大名弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」ってやつですかね。「アプサラス」はインド神話の水の精。普段は踊り子、でもどんな姿にも変身できる。結婚は、しているのですが時には上司の神様の命令で、修行に励む男性に近づき、信仰心を試す。…こんな踊り子さんに誘惑されては修行どころではありません。骨抜きにされてしまいそうです。

 

そしてメトロポリタン美術館の美人と言えば、わすれちゃいけないのがこちら。

マダムX(ゴートロー夫人) ジョン・シンガー・サージェント 1884年

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究極の横顔美人。蒼白くも透き通る肌。成熟した女性の程よく脂肪の乗った肩の、腕の、胸のなまめかしいこと…。ジョン・シンガー・サージェントはイタリア生まれのアメリカ人。主な活動の舞台はフランスとイギリス。マダムX(アメリカ生まれの銀行家夫人。ウォリス・シンプソン夫人、のちのウィンザー公爵夫人みたいな野心家の女性だったのでしょう)は当時23歳。28歳のサージェントは人気上昇中の画家。極め付けの作品にしたい。と懇願の末、パリの社交界の華であった夫人を描きました。胸元、ノーアクセサリーです。これは良くない。しかるべき貴婦人なら、しかるべき宝石を身に着けるべき。が時代の常識。さらにこの絵の発表当初、右の肩ひもを二の腕に下げて描いたところ、「セクシーすぎる」とのクレームがつき、スキャンダルの嵐はやまず、サージェントは追われるようにパリを去り、マダムXは下品な女との烙印を押されてしまった。時代とは言え、絵1枚で、これだけのセンセーションが巻き起こるところがすごい。サージェントはこの絵のタイトルも夫人の名入りから「マダムX」に変更。肩ひもはあるべき位置に書き直された。そして二人は二度と会いまみえることはなかったものの、サージェントは亡くなるまでこの絵を手離さなかった。

まず胸元に目がいっちゃう。そして視線は上に…。孔雀の冠のような髪飾り。夫人はもともとはブルネット。明るい栗色の髪は、ヘナで染めていたのだそうです。

 

ストーク夫妻 ジョン・シンガー・サージェント 1884年

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この絵がとにかく大好きなんです。なのでサージェント、2点です。(「マダムX」は絶対に落とせないし)。

女性はセクシーであるべき。または母であるべき。太古の昔から、女性は子どもを産む性だった。の流れから、どうしても我々人間は深い深い潜在意識の奥底、「かくあるべき」に縛られてしまう。しかしこの絵のストーク夫人の美しさは次元が違う。頬は紅潮し、いきいきとして。イブニングドレスじゃない。髪はひっつめ。一切の媚びがなく、なのになんと爽やかなのでしょう。今まで見てきた古今東西の神話の女神、聖書の登場人物、女王王妃王女寵姫、モデルとなり、画家たちのためにポーズをとったミューズたち…とは明らかに違う。見たことのない美しさにノックダウン!

I・N・フェルプス・ストークス 氏はニューヨークの建築家。夫人はエディス。二人は幼なじみで、夫人はのちにニューヨーク幼稚園協会の会長を務めます。この絵は友人からの二人の結婚の贈り物です。ストーク氏は当時のニューヨークの名士でありましたが、その名は今や美術史において名高い。素敵すぎる夫人のファッション。これは夫人の提案であり、夫のストーク氏はナイトのごとく後ろに控える自身の描かれ方に大層満足していたとのこと。

 

そして出さない訳にはいきますまい。

 

 水差しを持つ女 ヨハネス・フェルメール 1664-1665年頃

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メトロポリタン美術館のフェルメールは5枚。「眠る女」(1657年頃)、「リュートを調弦する女」(1664年頃)、「少女」(1666-1667年頃)、「信仰の寓意」(1671-1674年頃)、そしてこの「水差しを持つ女」。ニューヨークにはフリック・コレクションという美術館があり、ここには「中断された音楽の稽古」(1660-1661年頃)「士官と笑う娘」(1658-1660年頃)「婦人と召使」(1667年頃)。3枚。ニューヨークだけでフェルメール全作品30何点かのうち8枚。他にワシントンD.Cに3枚(ナショナル・ギャラリー)なので、2都市で全フェルメールの1/3制覇できてしまう。

17世紀はオランダの時代。黄金時代。空前の経済発展を遂げ、文化が花開く。新興の市民階級の需要が生まれ、風景画、風俗画、静物画の傑作が生まれる。フェルメールはレンブラントとともにオランダ絵画の筆頭。オランダ絵画の前はルネサンスのニューウェイブがあった。こちらはイタリア。派手。華やか。オランダは北の風土か国民性が、堅実で精緻で緻密でなかでもフェルメールのタッチはゴッホみたいに絵具が盛り上がって…なんでのが全然なく、また構図の捉え方が今のカメラのファインダー越しの構図に通じるのだそうで、神の目神の手を神様は与え、後世の我々のために遣わしたのでしょう。神様に愛されながらも、当の本人の生涯には不明な点が多く、生活は苦しく不遇の最期であった。ああ、神様って。神様って。ここから先は、言わぬが花。秘するが花。

 

 廉頗藺相如列伝 黄庭堅 1095年頃

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中国 北宋時代。憧れのメトロポリタン美術館に足を踏み入れ、ガイドブックでひととおり必見!のスポットを巡りました。しかし今回の訪問で予備知識なしでお宝の前に立ち、感動してしまったのがこの書。帰ってから資料を読み漁る。

巻物としては普通サイズ!?タテ35㎝あまり。…1行5文字しか書かれていない。そして筆遣いの自由奔放なこと。紙の上に字の形で現れ、何が描かれているのかわからないのに、ほとばしる激情の人となりが伝わってくる。

「史記」巻八十一中「廉頗藺相如列伝」、かの「刎頸の交わり」で有名。(廉頗は舌先三寸で自分に並ぶ地位に上った藺相如が気にくわない。それを知った藺相如は廉頗を避ける。あまりに情けない、との家来の言葉に「我々の真の敵は別にある。二頭の虎が戦えば、どちらかが死ぬ。秦の思うつぼだ。私が廉頗から逃げ回っているのは個人の感情より国の運命をおもんばかってのことだ」これを聞いた廉頗は自分の思慮の浅さを詫び、二人は仲直りした。)

黄庭堅は北宋の詩の、書の巨人であり、草書の創始者でもあります。草書って、素人考えでなよなよしてる~くらいしか知識がなかった。ところがこの書を目の当たりにしてしまい、スケールの大きさにビビり、そして書は人なり。表現の形は何であれ、秘めたる熱量は、必ず伝わる。

 

翠竹双禽図巻 徽宗帝 12世紀初頭

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メトロポリタン美術館の中国美術の目玉です。北宋第八代皇帝、徽宗帝は、特に花鳥画に優れ、文化人としては中国四千年の歴史中トップクラス。世が世なら雅やかなおっとりの帝で通ったのでしょうが、時代は水滸伝の舞台ともなった乱世も乱世。政治家としては民を惑わせた困った帝です。日本にも1枚、徽宗帝の絵があり(桃鳩図)、10年に一度、一週間しか一般公開されず、アートシーンはその都度大騒ぎ。

伊藤若冲のニワトリの絵を生でまじかに見ると「コレ、人が、手で描いたんだ~」と感動してしまいます。(あ、図版や画像でももちろん::)徽宗帝の小鳥も良いでしょう。びろうどのような羽根の感触、質感。上の枝にとまるもう一羽の鳥に向けてのさえずり。聞こえているのでしょう。もう一羽は振り向き、さえずりを返す。岩肌と芽吹いた若竹の翠のなよやかさ。今目の前に現れたかのよう。超絶写実。そして皇帝がこの絵画で伝えたいことは、鳥の姿でも竹の姿でもなく、その先の境地なのです。

 

 ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャの聖母子 1290-1300年頃

f:id:hitomi-shock:20161217195304j:plain.ガイドさまに「メトロポリタン美術館が購入した最高額の絵をご覧に入れましょう」と連れて行ってもらった。話のタネにどうぞ。お値段は、2004年購入当時、推定4,500万ドル以上。1ドル100円なら45億円。95円でも105円でも40億円台です。27.9 x21 cm。小品です。

ブオニンセーニャはルネサンス以前のイタリアの巨匠で、荘厳な聖母子像がいくつもあり、メトロポリタン美術館には所蔵がなかった。欲しい気持ちはよくわかる。しかし今日では真贋を疑問視する意見もあり、大枚を投じた割には(しかし4,500万ドルなどたいした金額とは思っていないのかもしれない)例えば「メトロポリタン美術館のハイライト」的に、目にする機会はないような。私も初めて知りました。肝心の絵は、貸し出し中で、本物を見ることはできなかった。残念!

 

こちらもぜひどうぞ。

メトロポリタン美術館所蔵の日本美術コレクションです。

 

hitomi-shock.hatenablog.com

 

 

www.hitomi-shock.com

 

 

メトロポリタン美術館ガイド 日本語版

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スミソニアン博物館群内 国立アフリカ美術館

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 アメリカ合衆国ワシントンD.C.スミソニアン博物館群の一つ、国立アフリカ美術館。アフリカンアートの収蔵品数としては世界屈指、と聞き、楽しみにしていました。固めて観る機会は日本ではまず望めないので…。

感想

美術館内が静か

美術館の開館は10時。8時半から隣のインフォメーションセンターは会館しているので、待ち伏せて!?開館と同時に入ったのです。空いていた。ほぼ貸し切りでした。

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建物も新しく、大人な雰囲気。

展示品が新しい

美術館博物館と聞くと、紀元前何千年なんて展示にほれぼれと見とれたり、イギリスやフランスの探検隊が持ち帰った戦利品!?の数々を長年の研究の成果とともに見せていただいたりするのが常なのですが、世界有数のアフリカ芸術コレクションは、大部分が19世紀のもので、一番古いのが13~14世紀。スフィンクスをそのまま持ち帰り、中国やインドの壁画を壁ごとはがして持ち帰る勢いが、アフリカ芸術にはない。昔のものは現地で大事に守り伝えられているのでしょうか。ならいいんだけど…。かわりに、展示品のコンディションは良好です。

展示品が小ぶり

大きいもので、年代もののドアとか。タペストリーとかもありましたが、圧倒的に小ぶりの、人が生活に使うサイズのものが多い。

 ジャンルが偏っている

お面、彫刻、武具、装身具、織物、置物の人形とかが多い。繰り返しになりますが、人が生活の中で使っているものがアートとして諸外国に通用しているのですね。逆に言えば、絵がほぼない。(もちろん、アフリカ現代アーチストの作品は別ですよ!)タッシリ・ナジェールの壁画(アルジェリア。サハラ砂漠のど真ん中に現れる膨大な岩絵群)などは有名ですが、なかった。

 最初に究極のお品をお見せしましょう^^

 

 シエラレオネの象牙の角笛

Hunting horn, Sapi-Portuguese style, Bullom or Temne peoples, Sierra Leone, Late 15th century, Ivory, metal

西アフリカ シエラレオネ ブロム族またはテムネ族。15世紀後半。 64.2 x 16.4 x 9 cm 。象牙。

西アフリカの象牙は15~16世紀後半のヨーロッパの憧れ。シエラレオネの象牙細工は当時の最高峰。ヨーロッパとアフリカの両方のスタイルを取り入れ、ポルトガル人がヨーロッパにもたらしたことから「ポルトギーズスタイル」の名前が。シェルブロ・ポルトギーズ、サピ・ポルトギーズ、アフロ・ポルトギーズなど場所や民族の名前が前に来るのが常。

このホルンにもポルトガルのマヌエル1世(Manuel I 1469-1521)がアラゴン王フェルナンド2世(Fernando II)、カスティーリャ王としてはフェルナンド5世(Fernando el Católico)(1452-1516)に献上した、との銘があり、王家の紋章や、王族が狩りに興じるさまが精緻に刻まれ、象牙のアイボリーの高貴さは格別。

 

続いては、アフリカ美術といえば、これ。 

仮面

 ナイジェリアのイジョ族

Mask, Eastern Ijo or Nembe Ijo peoples, Nigeria, Early 19th to mid-20th century, Wood

西アフリカ ナイジェリア イジョ族。19世紀後半-20世紀。31 x 8.8 x 9 cm。
イジョ族はニジェール河のデルタ地域に住み、アフリカ民族の中では最も進取の気性に富む民族のひとつ。木彫りの仮面は水の精霊。額飾りが精霊のしるしです。水の精霊に連れ去られた女性が村にもどり、自分が水の中で見てきたことを語ったことから、イジョ族の水の精霊への信仰が始まったとされています。

2005年、「ライオンキング」の衣装や装飾、調度、舞台デザインの参考にと収集された約500点のアフリカ美術の品々が、ウォルト・ディズニー・カンパニーからスミソニアンの国立アフリカ美術館に寄贈され、ウォルト・ディズニー・ティシュマン・コレクションと称せられます。この仮面もその中の一つ。

 

 カメルーンのバムン族

Mask, Bamum peoples, Grassfields region, Pa Nje village, Cameroon, Late 19th to early 20th century, Wood, horns, plant fiber, spider silk

中央アフリカ カメルーン バムン族。19世紀後半~20世紀はじめ。76 x 46 x 41 cm 。

このマスクの黄色の目はクモの糸でできている。クモは神に近い存在であり、カメルーンの高原地帯では占いで実際にクモを使います。頭上の頭飾りは地位が高い男性であることを現わし、顔の横の一対の角は自然の、動物の力の象徴であり、アフリカでは動物の角は狩りや魔法、占いに広く用いられてきました。

 

 コートジボアールのセヌフォ族

NMAfA_Mask (Senufo people, Cote d' Ivoire)

西アフリカ コートジボアール セヌフォ族。19世紀後半~20世紀はじめ。36 x 17.2 x 10.5 cm 。

…虫なのか仮面なのか、一瞬迷ってしまう。が、細い目に穴が開いているわ。超面長の顎の細い顔、頭頂部と上中下の計7つの張り出した飾りがセヌフォ族の仮面の特徴。額が大きく張り出して第8の飾りになってる仮面もあるし、お顔の作りにもバリエーションは多い。

セヌフォ族はアフリカきってのアートな民族。木製のものでは仮面、椅子、ベッド、扉、置物など、濃茶色の磨きのきいた滑らかな質感とユニークな造形美はこれぞアフリカンアート。コロゴ布と呼ばれる人や動植物を生き生きと描く染め物(あとでご紹介します)でも、有名。

 

アンゴラのチョクウェ族の麗人の仮面

Female (pwo) mask

中部アフリカ アンゴラ チョクウェ族。20世紀前半。39.1×21.3×23.5cm。

 

この仮面は、若く美しい女性です。かぶるのは男性ですが。「プウォ」とは何か。

すごい説明を見つけました。

ameblo.jp

チョクエはアンゴラ東部を中心にコンゴ民主共和国からザンビアにかけて住んでいる。チョクエは「ムガンダ」の儀礼を受けた男性だけにマスクをかぶることが許されている。その踊り手は「ムキシ」と呼ばれている。チョクエの中で最も有名なものが「プウォ」と呼ばれるマスクで、女性の祖先霊を表すものという。男たちが、このマスクを手に入れるには一人の女性と結婚することと同じ意味を持っていて、彫刻師に依頼するには、結婚の意味を持つ真鍮製の腕輪を渡さなければならない。このマスクをかぶった踊り手は、女たちに子宝がさずかるよう祈り、しとやかに振舞うよう教えるという。

 

肌は滑らかな赤褐色の色(おそらく赤粘土と油を混ぜている)。使い込まれ、やや青みがかっている。額にはタトゥー。伏せた瞼には白のアイライン。細長い鼻、唇、耳、イヤリング、細面の逆三角形の輪郭。編み込みのヘアバンドと豊かな髪。ムキシが亡くなると、仮面はともに葬られます。

そして 

 

ベニン王国

ベニン王国は今の西アフリカ、ナイジェリア南部の海沿いに栄えた今は亡き幻の帝国。12世紀におこり、胡椒と布と象牙と奴隷の交易でおおいに繁栄し、絶頂期は15世紀。19世紀にイギリスとの争いに敗れ、国は消え、英国軍は破壊と略奪の限りを尽くし、貴重な品々は世界じゅうにちりじりばらばらに…。青銅彫刻と象牙彫刻が有名です。

 

ボストン美術館のおすすめ紹介記事でも

hitomi-shock.hatenablog.com

 最後に、ベニン王国のお品、取り上げています。

さて、スミソニアンのお宝は。

 

王の頭像

Commemorative head of a king, Edo peoples, Benin Kingdom, Nigeria, 18th century, Copper alloy, iron

西アフリカ ナイジェリア ベニン王国 エド族。18世紀。33×23.5×23.2cm。銅合金と鉄。

この頭像は、ひな祭りのひな人形みたいなもので、王や酋長を祀る祭壇に使われていた。今の御代のナントカ王、前の御代の偉い酋長の誰それを形作ったものではなく、王位の地位と王権の象徴ですね。冠と襟の珊瑚のビーズは富の証。

ベニン王国に銅と真鍮をもたらしたのは、ポルトガル。全盛期のベニン帝国の王、エウアレ王は王立の鋳造所を作り、鋳造に関われるのは王の目にかない、選ばれたごく一握りの匠のみ。彼らは当時の特権階級。門外不出の技を守るため、秘密を洩らした者は厳罰に処せされたのです。

 

祭壇に置く象牙立て

Altar stand, Edo peoples, Benin Kingdom, Nigeria, 18th-19th century, Copper alloy

西アフリカ ナイジェリア ベニン王国 エド族。18世紀~19世紀。24.4 x 23.5 cm 。銅合金。

おそらくは祭壇に象牙を飾る、象牙立てであったのでしょう。

正装の4人の女性(女性なんだそうです)は各々楽器を手に持ち音楽を奏でます。音色は国王の絶対性の象徴であり、女楽師であることから皇太后(イヨバ)にまつわる祭礼具であった可能性も。

16世紀、ベニン王国の英名な君主、エシギエ王は、母イディアを深く信頼し重用し、「イヨバ」という新たな称号を作って与え、男性の族長と同等とした上に、イヨバの肖像をいくつも作らせました。彼女の聡明さと高潔さを示す、今は世界中に散らばるこれらの作品が、ベニン王国の名を不朽不滅のものにしていることは間違いありません。

 

 象牙のブレスレット

Armlet, Yoruba peoples, Owo region, Nigeria, 16th century, Ivory

西アフリカ ナイジェリア ヨルバ族。16世紀。14.5 x 10.5 x 10.5 cm 。象牙。

透かし彫りも。揺れるフリンジも。からみつくワニも。みんなみんな。1本の象牙からできている!ひええぇえぇぇ…です。ワニがかみついているのはマッドフィッシュ。マッドフィッシュはアフリカのお魚。顔はベニン王国の死の使い、Ofoe。

象牙の白は、アフリカの最高神の一人、オバタラがまとう色です。オバタラは泥から人間を作り、酔って奇形を作り彼らはみな聖職者になった。見えませんが、このブレスレットの裏には聖職者が刻まれている。どこまでも神話と信仰と高貴さに満ちた逸品。

 

ゴールドのジュエリー

 アフリカでは金がとれる。西アフリカはマリ帝国の14世紀の10代皇帝、マンサ・ムーサはメッカ巡礼の時、金を持参し、行く先行く先大盤振る舞い。以後10年間、金相場が暴落したなんてエピソードも伝わっています。西アフリカでも東アフリカでも南アフリカでも採れるのです。いまや金の算出世界一は中国にその座を明け渡してしまいましたが、それまでは南アフリカ共和国が不動のトップでしたね。

輸出はもちろんのこと、身にまとう。金はジュエリーというよりは、権威と名誉の象徴でありました。そして、加賀の金箔なんか見てもわかるとおり、非常に加工しやすい。15世紀後半、難民として北アフリカにやってきたユダヤ人の金細工職人が最新の彫金技術をアフリカにもたらした。そして大航海の時代、植民地時代と、主にポルトガルとフランスの影響を受け、デザインも洗練されていきます。

スミソニアンに展示されていたゴールドジュエリーは新しかった。19~20世紀のものがほとんど。お国としては、セネガル、コートジボワール、モーリタニア、ガーナなど西アフリカのものが多かった。

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高級宝石店かと見まごうような展示。赤の展示台で、ゴールドが映える。そしてほの暗い展示室に輝く金が照らされる。細工が細かい~。

セネガルの花かごペンダント

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西アフリカ セネガル ウォロフ族。20世紀中ごろ。8.8×11.1×2.9cm。チェーンは 21.2cm。

セネガルの首都はダカール。「ダカール・ラリー」の終着地ですね。永らくフランス領であり、ダカールはフランス領西アフリカ国の首都だった。なので西アフリカの中では国力は強い方。女性はおしゃれで、「セネガルの着倒れ」なる言葉もあるんだとか。この花かごを思わせるデザイン(コスティンと名前がついている)はわりとポピュラーで、しばしば結婚式で新郎から新婦に捧げられたのだとか。

もっともこのデザインはコスティンのバリエーションで、セネガルのサン=ルイ島(フランスのサン=ルイ島じゃない。念のため)あたりではこの手のフランス風ジュエリーの生産がさかんです。繊細さを含む華麗な線細工に目が釘付け。

 

セネガルのハートとお花のイヤリング

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西アフリカ セネガル ウォロフ族。1974年。3.6 x 4.3 x 1.6 cmと3.7 x 4.4 x 1.6 cm。

中央にお花。周りにやや小さな4つの花。真ん中のお花は二重になっているのです一つ一つの花びらと縁取りの中には線細工が埋め込まれており、細い花細工の花に囲まれた2階建ての細長い花畑で覆われています。小さな球が花芯や要所に埋め込まれており、台の流れるようなラインも、いやはやここまでやるんですか~ってかんじ。セネガル女性はアクセサリーに名前をつけるのですって。セネガル全土で人気のこのイアリングは「ポーリーンダイク」。サン=ルイ島の美しき助産師をほめたたえるために。「キネの涙」と呼ばれるドロップ型のデザインもあり、セネガル女性が投票権を勝ち取り、功績のあった政治家にちなんだ名前のついた定番もあるのですって。

 

セネガルのヘアアクセサリー

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西アフリカ セネガル おそらくはトゥクロール族。1940-1950年。5.5 x 3.5 x 3.5 cm。

 1940~50年代にかけて人気のゴシ(Gossi)と呼ばれるお年を召された人妻向けのヘアスタイルに使われた。ラフィア(アフリカのヤシの木)の繊維を黒く染めたかつらの毛先に飾ります。アフリカ女性の髪の毛、縮れ毛ですものね。自毛に巧みに編み込むのだそうです。この髪飾りは洋梨型ですが種類は豊富。(丸とかお花の形とか。) 3個一組。両脇と、もう一つは、後ろなのかな…。表面に見えるつぶつぶは、裏から打ち出すのではなく、小さな丸い金が一つひとつはめこまれている。この技法はトゥクロール族が好んで用いたため、謹製トゥクロール族と推定されます。

 

あとはランダムにいきます。 

 エチオピアの盾

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東アフリカ エチオピア アムハラ族。19-20世紀。49.5 x 49.5 x 16.4 cm。銀の合金。

この鍋のフタのような丸く傘地蔵の傘のような放射状の銀板の補強が東アフリカ式、しかし銀をつかい、放射状の銀板には花模様の装飾が施されており、こちらはエチオピア軍御用達。

今も昔も、軍事産業には人とモノと叡智がつぎ込まれる。武器には最新・最高の技術が詰まっている。そして武器は使ってナンボ。実用に耐え、使い勝手が良く、作った意図と目的をクリアしなければ意味がない。機能美ですね。今の日本に生まれ、武器など縁もゆかりもない人生を生きられるありがたさをしみじみとかみしめながら、見せていただきながら、思わず、引き込まれます。

 

 魚のモチーフのボウル

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 大きい蓋つきのボウル。西アフリカ ナイジェリア 民族不明。20世紀後半。36.7 x 37.5 x 37.3 cm 。ひょうたん製。

小さいボウルは中部アフリカ チャド サラ族、Deainalさんという方が作った。1970-1973年。11.9 x 24.2 x 21.8 cm。こちらもひょうたん製。

よくアフリカの女性が頭の上に大きなボウルみたいなの乗せて歩いているのを写真で見かける。あれは、ひょうたん(まあるいひょうたんを半分に切って使う)。ひょうたんのルーツはアフリカ。軽くて加工しやすく、大小形さまざま。もちろん現代製(ブリキとかプラスチックとか)も使われていないことはありませんが、昔から使ってきたものはそうそうすたれない。

模様は、焼き印ですね。金具を熱してひょうたんにあて、模様付けをしていきます。当然部族によって守り継がれた模様がある。この2つのひょうたんは、どちらも魚がモチーフ。ナイジぇリアのアルグングというところでは、「釣り祭り」なるお祭りがあり、男たちはいかに大きな魚を捕まえるカを競う。国内最大級のイベントで、街中には市がたち、お洒落なインテリアとして、生活必需品として、こういったひょうたんを売るお店などが立ち並びます。

 

 コレゴ布

NMAfA_Wall hanging, Senufo people (Korhogo Cote d'Ivoire)

 西アフリカ コートジボワール、セヌフォ族。20世紀後半。

泥染め。自分で織った綿布にステンシルで、泥で模様を描く。ハンターは人生の謎を、山羊は男性の誇りを、魚は人生と豊かさ、鳥は自由、鶏は繁殖力と恵み、ワニは子孫繁栄 、ライオンは王家の誇り、ヘビは豊穣など、それぞれ意味があるのです。もともとはもちろん自家製、自家用。秘密結社(女人と子ども禁制。男性のみが集まって願い事とかお祈りをするアフリカの地域ごとにある行事)のイベント時に身に着けるものだったのです。色は黒、茶色、錆色になり、草木染で緑がかった黄色が入っていたりするコレゴ布もあります。アフリカのこの手のお色目の染物は幾何学模様が多く、こちらも素敵。観光客向けには機械織り・黒インクで染めた布なんかもあるそうで。もっとも、泥染めは褪色は避けられない。微妙なところです。

 

 

ヨルバ族の王冠 

Crown, Yoruba peoples, Ekiti region, Ikere, Nigeria, Early 20th century, Glass beads, cloth, plant fiber, iron

ade(王冠)。西アフリカ ナイジェリア ヨンバ族。20世紀前半。81.3×26.7×30.5cm。

アフリカと聞けば強烈な色遣いは外せない。adeと呼ばれるナイジェリアのヨルバ族の王のビーズの冠です。なぜビーズなのか。11世紀ごろ、初のヨルバ帝国イフェの王、オドゥドゥワが己の死に際し、彼の息子たち一人ひとりにビーズの冠を与え、自身の王国を樹立するために送り出した…という神話に由来します。ヨルバ民族の間では、ビーズを身に着けることができるのはごく限られた特権階級だけ。
王の顔はビーズのベールで覆われる。これは、御簾ですね。権威づけ。正面の顔はオドゥドゥワその人。
冠の先端は、鳥。かたつむりの殻を湿地にまき、鳩と雌鶏を遣わし、大地を作った。カメレオンは、大地創造の進捗状況!?偵察のため、天から降り立った。どちらもヨルバ族の神話。
…となると3人の人間は…察するに神様なのでしょう。(どこ検索しても出てこなかった)

 

ミュージアムショップ 

古いものを見てきたせいか、色目が渋い。でもさすがに館内のミュージアムショップはカラフル。鮮やかでした。

 

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まとめ

アフリカは人類の発祥地。人類のゆりかご。そして歴史が文字として、記録として残っているものが少なく、研究にも手が回らず、情報が少ない。基本よその世界の影響を受けることが少なく、見るもの展示されているもの、日本人の私には目新しく、まるっきり異なる土壌、まるっきり独自の常識で作られた品々を拝見し、脳内の今まで使っていなかった場所を刺激されたかのごとし。行ってよかった!

 入場無料。開館10時、閉館17時30分。年中無休。ただし12月25日は閉館。

スミソニアン博物館で絶対見るべきおすすめ20の展示と見どころを紹介する!

ワシントンD.Cに行ったなら、スミソニアン博物館に行かなければもったいない。入場料、タダ。無料。感想を一言であらわせば「こ、こんなものまで取っておくの~。」何でもかんでも取っておく。アメリカは世界一の大国。富も集まる。篤志家・収集家や学者が己の審美眼と感性に響き渡る品々を追い求め、生きている間は手元に置いて楽しみ、自分がいなくなったら美術館や博物館に寄付して、自分の名前が。生きた証が後世に語り継がれる。それが、ハイソな方々のステイタス。庶民は恩恵を頂戴しましょう!

※一口メモ

スミソニアン、とひとくくりになってますが、アメリカのスミソニアン学術協会が管轄する美術館や博物館の総称であり、ワシントンD.C.内、2㎞におよぶナショナル・モール地区にリンカーン記念堂やアメリカ国会議事堂などとともに超絶級のお宝所蔵の施設(外観見るだけでも楽しい!)が軒を連ねます。もちろん、ワシントンD.C.以外にも別館、特別館がアメリカ各地に点在している。スミソニアン学術協会の運営費はアメリカ国家の拠出、寄付や施設内のショップの売り上げなどでまかなわれています。

 

国立自然史博物館 National Museum of Natural History

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By Ingfbruno (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

中に入ればロタンダ(円形巨大吹き抜け)で巨大なアフリカ象のはく製がお出迎え!スミソニアン最古の博物館。地球ができ、植物・鉱物・生き物、収蔵品は125,000,000点。1億、2,500万…。生命の歴史、人間の起源、鳥類、恐竜、哺乳類、海の生き物、昆虫などなど、臨場感タップリの展示に興奮してください~。

そして何が何でも見ておきたいのは、ご存知。

 

ホープダイヤモンド

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呪いのダイヤ(持ち主が不幸になるとの言い伝えもありますが、歴代の持ち主で呪いを受けなかった人ももちろんいます)ならぬ希望のダイヤモンド。かつてホープさんという名前の方が所有していたことからホープダイヤモンドの名が。かつてはフランスルイ14世、イギリスジョージ4世が所有し、幾度となく持ち主を変え、肌身離さず身に着けていた貴婦人が亡くなったあと、宝石商ハリー・ウィンストンが引き取り、スミソニアンに寄付した。

このダイヤモンドは展示品の中でも別格中の別格で、専用の一室の中、中央のガラス張りの陳列台の中のダイヤモンドは、360度、回ります。少しでも多くの人に見てもらうために。もちろん、見学者が絶えることはない。45.5カラット。小ぶりの消しゴムを、一回り大きくしたくらいでした。

 

マリーアントワネットのイアリング

Washington DC--October 18 2007--Museum of Natural History --Marie Antoinette's Favorite Earrings

フランス革命で断頭台の露と消えたマリー・アントワネット。歴史の大混乱期であり、絶対確実とはスミソニアンも断定はしていないものの、フランス王室に伝わるものであることは間違いない。1853年、ナポレオン三世は当時のファッションのアイコンであったユージェニー皇后へ、結婚の贈り物として、マリー・アントワネットが身に着けていたとの由来のこのイヤリングを贈りました。しずく型のイヤリングは14.25カラットと20.34カラット。ですから、決して大きくはない。(ダイヤとしてはもちろん大型ですけど)せいぜい2~3センチというところ。しかし。マリー・アントワネット。の名前とともに人々の胸に去来する思いは格別で、ダイヤの輝きとともに、人々もこのイアリングの前を立ち去りがたい様子です。

 

ナポレオン1世のダイヤモンドのネックレス 

Napoleon Diamond Necklace

ナポレオン1世が嗣子ナポレオン2世を産んた2番目の妻、マリー・ルイーズに贈ったネックレス。28個のオールドマインドカットの円型のダイヤモンド。大9小10の洋ナシ形のダイヤモンドがフリンジ。フリンジの土台、4個にはローズカットのダイヤモンド。総計263カラット。

ナポレオン1世が退位させられ、エルバ島に流されたとき、妻と息子はさっさと妻の実家、オーストリアのハプスグルグ家に戻ってしまった。ナポレオンから贈られた宝石類をすべて持って。それは、ナポレオンが高貴な血が欲しがったがゆえの結婚ではありましたが。代々のハプスブルグ家が所有し、1962年、スミソニアンに寄付されました。

 

恐竜の化石展示室

Smithsonian of Natural History

ティラノサウルス、トリケラトプス、ステゴザウルス、アロサウルス、ケラトサウルス、ディプロドクス♪ 超ビッグな恐竜が原寸大で所狭しと並んでいます。もともと恐竜好きとか、そういうのはないのですが、そもそも展示の化石1点1点が大きいうえに種類が多く、映画「ジュラシック・パーク」で観たあの恐竜が、この恐竜も目の前に。展示コーナーのスケールの大きさと種類は特筆もの。そしてこのコーナーは、子どもが多い!みんな大喜び!展示も臨場感満点だし、見ているお客さんにも活気がありました。

 

国立アメリカ歴史博物館 The National Museum of American History

ここは、時価数百万とか、億とか、高価なものが展示されているのではない。かわりにアメリカ建国以来の歴史と記憶を目で肌で実感できる、別の意味ではかり知れない、値段などつけられない。忘れられない展示品ばかり。例えば

 

リンカーンが暗殺されたとき(1865年4月14日)にかぶっていた帽子

Lincoln’s Top Hat

 ボロボロですが。色も変わってしまっていますが。妻とともに桟敷席で観劇中、背後から撃たれた。その時に。かぶっていた帽子。

 

映画「オズの魔法使い」(1939)でドロシーが履いた赤い靴 

Ruby slippers from the Wizard of Oz - Smithsonian Museum of American History - 2012-05-15

 ハリウッド映画のエバーグリーン、「オズの魔法使い」(1939)。16才のジュディ・ガーランドはこの映画で大スターの名を不動のものとし、主題歌「虹の彼方に」はジュディの生涯の代表作となりました。竜巻に巻き込まれ、迷い込んだオズの国。良い魔女のグリンダが履かせてくれたのが、魔法の赤い靴。

 

ジャクリーン・ケネディの三連パール

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 昔、日本で復刻版のレプリカが発売され、私、買ったんですよ。しかし真珠の粒が大きすぎ、ジャッキーみたいにはどうにも使いこなせなかった。(素材が違いすぎると言われれば終わりですが;;;)ジャッキーが身に着けていたのは、フェイクパール。写真映えするように、大振りの、プラスチック製のアクセサリーなどが多かった、と聞きました。華やかに女らしい、ジャッキー・スタイルのシーンの数々が思い起こされます。

 

ファーストレディのドレスコレクション

First Ladies

歴代のファーストレディーのドレスの展示があるのですよ。大統領夫人ですから、年齢は高め。30~60代のご婦人のドレス。最高級であることは疑うべくもありませんが、サイズは大きめのものが多い…とお見受けしました。そしてアメリカ人、大きい。縦も横も大きい。そして時代をさかのぼればさかのぼるほど、ドレスも小さくなっていく。ひとりひとりの写真とバイオグラフィーとドレスを見比べ、18世紀からのファッションの流れは一目瞭然。

Michelle Obama’s 2009 Inaugural Gown

2009年1月20日、ワシントンD.C.のワシントンコンベンションセンターで開かれた大統領就任記念パーテイーでオバマ大統領夫人、ミシェルが着たドレス。アイボリーのシルクシフォンにスパンコールが縫い込まれ、淡いグレーのお花の刺繍、縫い込まれたシフォンの白い花のワンショルダードレス。デザイナーはアジア系の若手、ジェイソン・ウー。

Michelle Obama’s 2009 Inaugural Gown

生地のアップ。

 

モハメド・アリのグローブ

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From wikimedia Commons/File:Muhammad_Ali's_boxing_gloves.jpg 14:57, 20 February 2014(UTC) License=CC BY-SA 2.5
 

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」魅せるヘビー級ボクサーのボクシンググローブ。アリのリングの闘いがどれだけ革新的なものであったか。華麗なステップ、もといフットワークと目にもとまらぬスピードで繰り出されるジャブ。数々の名勝負で知られ、真のチャンピオンの座に、名にふさわしい。そしてアスリートって寡黙な人が多いでしょう。でも、アリは違った。勝負に、政治に、炎上!?狙いで過激なパフォーマンスを繰り返す。注目が集まれば集まるほど、興行主は大喜び。良かれ悪しかれ周りは騒ぎたて、試合は盛り上がること…。

 

核のスイッチ入りのブリーフケース 

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正確には、世界のいついかなる場所にあろうとも、核攻撃にGoサインを出すためにアメリカ大統領の側近が持ち歩く、道具やその道のマニュアルの入ったブリーフケース。サインを出せるのはアメリカ大統領だけ。しかし現実、核発射(こ、怖い…)には大統領の本人確認のコードを入れたり、国務長官の確認を取ったり、手続きは厳重を極める。そう簡単に核戦争が、起こってたまるもんですか!!!

 

国立航空宇宙博物館 National Air and Space Museum

スミソニアン1の見学者数を誇るのは、ここ、飛行機と宇宙船の現物がそのまま。何しろ展示物が大きすぎるので、別館がワシントンの空の玄関口、ダレス国際空港近くにあり、展示も別館、超豪華。(スペースが違いすぎる。別館は70,000㎡を超え、東京ドームの1.5倍近い)そしてワシントンD.C.の国立航空宇宙博物館は。レジェンド揃い。レガシーだらけ…。

ライト兄弟のライトフライヤー号

Washington DC: National Air and Space Museum - 1903 Wright Flyer

本物ですよ。本物。ライト兄弟が作った飛行機がそのまま。展示してあるんです!ここもライト兄弟専用の展示ルームがあり、写真どおり照明もほの暗くノスタルジック。1903年にライト兄弟が最初に運転した動力飛行機の実物。人間って、挑戦する動物。トライしたくなる。不可能に立ち向かってみたくなる。果てしない歴史の歩みの中、膨大な人間の挑戦の積み重ねが、世界を変える。この部屋に足を踏み入れると、実感が肌に迫ってくるのです。


リンドバーグのスピリットオブセントルイス号

Washington D.C. - National Air and Space Museum Spirit of St. Louis Ryan M-2 02

これも実物…。ため息しかない。 チャールズ・リンドバーグが世界初、1927年にニューヨークーパリ間の単独無着陸大西洋横断に成功した一人乗り飛行機の実物。今見ると、鉄板とかペナペナに見えて頼りない…。何百人も乗せる飛行機しか乗ったことがないもので…。ライト兄弟の初フライトから20年あまりしかたっていないというのに。真っ暗な大西洋、飛んでいた時、怖かったろうなあ…。1928年にリンドバーグ自身の運転によるフライトを終えたあと、スピリットオブセントルイス号はスミソニアンに寄贈されました。

 

アメリア・イアハートのロッキード・ベガ

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 アメリア・イアハート(Amelia Mary Earhart、1897-1937)の名は、目にするたび耳にするたび、ロマンと悲劇が交錯し、人々の胸に刻み込まれ、語り継がれる。美しく、知的な女性であり、1932年に大西洋単独横断飛行、米大陸単独横断無着陸飛行を成功させ、1937年に赤道上世界一周飛行に飛び立ち、7月2日、太平洋上で消息を絶った。もちろん機体はレプリカではありますが、イアハートの写真や、イアハートが着用したフライトジャケットなども併せて展示してありまして、アメリカでの人気のほどがしのばれます。

 

アポロ11号司令船コロンビア号

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1969年7月20日、人類初、月に着陸した宇宙船の本物。「宇宙」博物館ですから、ほかにもものすごい展示が目白押しなのです。スプートニク1号(1957年に当時のソビエト連邦が打ち上げた世界初の人工衛星)、月の石(1972年アポロ17号が月から持ち帰った)、ハッブル宇宙望遠鏡(1990年打ち上げられた人工衛星。宇宙空間から鮮明な画像を地球に届け、数えきれない新発見を成し遂げた立役者)、ボイジャー宇宙探査機(1977年打ち上げ。惑星探査機)、マーキュリー6号のフレンドシップセブン(1962年アメリカ初の有人軌道飛行に成功)、ジェミニ4号(1965年に打ち上げられアメリカ初の宇宙遊泳に成功)…とまあ、ニュースに出てきた実物が目の前に。きりも果てもなくスケール大きすぎ。

 

ゼロ戦(三菱零式艦上戦闘機 52型 A6M5 )

Mitsubishi A6M5 Reisen (Zero Fighter) Model 52 ZEKE

 日本人ですもの、見ておきたいではありませんか。1941年、サイパンでアメリカ軍の手に落ちた。13機あったのだそうです。まずアメリカ軍によって徹底的に機体を調べられ、テストフライトが繰り返され、航空ショーでは大人気。もう1台、アメリカにゼロ戦が残っており、こちらは飛行可能だそうです。しかし、空を飛ぶならメンテナンスは欠かせない。往時の姿をとどめているのは、断然、スミソニアンのゼロ戦でありましょう。ちなみにゼロ戦の「ゼロ」の由来は日本空軍に採用された昭和15年は皇紀(神武天皇の御代から数える日本の紀元の数え方)2600年だったことから。

 

チャールズ・ラング・フリーア(Charles Lang Freer1856-1919)はアメリカの実業家。東洋美術の収集家として知られ、死後、「自分の寄贈品を自分の美術館以外で公開しないこと」「自分の寄贈品をどこにも貸し出さないこと」を条件にスミソニアン協会に所蔵品を寄付しました。つまり、巡回の展覧会を待つことは不可能。ワシントンD.C.まで行かなければ貴重な品々を見ることはできません。

スミソニアン人気のスポットは、どうしても今まで見てきた、一般受けしそうなものに集中する。ここと、アーサー・M・サックラー・ギャラリー(フリーア美術館と地下でつながっている)は、「スミソニアン・キャッスル(スミソニアン協会本部)」と呼ばれる、スミソニアン全体のインフォメーションセンター(とはいえここもものすごく見ごたえあった…)のすぐ隣で、行きやすいですし、美術館の雰囲気もがらりと変わり、静か。見学者も熱心そうな大人ばかりだし、混んでいない。

そして目玉と言えばやはり

孔雀の間

"The Peacock Room Comes to America" exhibition

 フリーアが美術収集するにあたり、協力を仰いだイギリス在住のアメリカ人の画家、ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler 1834-1903)のデザインの、もともとはイギリスの富豪のお部屋。をフリーアが入手し、フリーアの死後、スミソニアンに寄付された。

真ん中の絵はホイッスラーによる「磁器の国から来た皇女」。部屋には所狭しかつ整然と中国の焼き物が飾られており、やや鈍い緑と青が使われ、壁には金で大きく尾羽根も華麗な孔雀が描かれている。東洋なら、ぽつりと1つか2つか3つかを飾り、余白の美を味わうのでしょうが。西洋の人の東洋趣味、オリエンタリズムのエキゾチシズムって、こうなるんだ~。

ここは、正確に言えばスミソニアンではありません。スミソニアン協会に属していない、国立の美術館。しかし敷地は同じなのだし、入場無料も同じ。それに入れておかなければ勿体ないものがあるので。

ジネヴラ・デ・ベンチの肖像 1474-1478頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ

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 西半球(日本ではあまり聞きませんが世界的にはわりとメジャーな言葉らしい。地球儀の地球をスイカみたいに子午線0~西経180度で真っ二つに割る。西半球には南北アメリカ大陸がすっぽり入り、東半球にはユーラシア大陸や日本が入る。西半球新世界、東半球旧世界との見方もできる。)、アメリカ大陸で唯一のダヴィンチの絵。時にダヴィンチ、21才。モデルのジネヴラは16才。美しく才気ある女性として当時のフィレンツェではとても有名だった。…にしては顔色や表情がどうも、などと考えるのは野暮というもの。ジネヴラの知性と人柄を表現するためにあえて、わざとこう描いたのだ。と言われています。絵の裏面には「美は徳を飾る」とラテン語で記されているのだそうです。

 

アルバの聖母 1510 ラファエロ

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ラファエロの聖母子は見ている人に安らぎと幸せを感じさせる。ラファエロ存命中は絶大な人気を博したものの、とんがっていることが芸術なのだ、の今のアートの流れでは評価は他の画家に押され気味…なんだそうですが。しかし人が自分の家に飾っておきたくなる絵。穏やかで平明でキレイで…。スペインのアルバ家が所有していたことから「アルバの聖母」の名が。のちにロシア帝国に渡り、時代は移り当時ソビエト連邦のエルミタージュ美術館がこの絵を売りに出し、アメリカの大富豪が購入。ナショナル・ギャラリー・オブ・アートに寄付した。

 

 天秤を持つ女 1662-1663頃 フェルメール

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 ナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所有するフェルメールは3点。「手紙を書く女」(1665頃)、「赤い帽子の女」(1665-1666頃)、そしてこの「天秤を持つ女」。世界に30数点しかないフェルメールの絵。描かれている女性は、「真珠の首飾りの少女」(オランダ マウリッツハイス美術館所蔵)と双璧の美しさ。静謐な世界に酔いしれてしまいましょう!

 

ホープトガーデン

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イーニッド・ホープト(Enid A. Haupt   1906- 2005)。(「ホープト」「ハウプト」「ハオプト」の表記があります)はアメリカの出版社社長で富豪。ちなみに女性です。スミソニアンキャッスルの南側、 アーサー・M・サックラー・ギャラリーと国立アフリカ美術館の間の65,000㎡あまり、ビクトリアンスタイルの庭園を1987年に寄付しました。

ホープトのガーデニングへの功績は絶大。アメリカ園芸協会にかつてジョージ・ワシントン所有であったプランテーションを贈り、ニューヨーク植物園にあるビクトリアンスタイルの温室のリニューアルに資金提供し、ニューヨークのメトロポリタン美術館、クロイスターズ美術館、フランスはモネのジヴェルニーの庭の維持に多額の資金を提供し、小児がんの子どものために病院に無菌の庭園を作った。女性ならではですね。

 

正面はビクトリアンガーデンですが、サックラー・ギャラリー側は南国風、アフリカ美術館側にはイスラム風のお庭になっていて、季節の花が咲き乱れます。

 

ついでにリンカーン記念館と第二次世界大戦記念碑とワシントン記念塔

ワシントン記念塔はジョージ・ワシントンに寄せて。リンカーン記念館はリンカーンをしのび。そして戦争で海に、大陸に散った命に鎮魂を込めて…。

何しろ地続きなものですから。ワシントン記念塔を横目で見て、せっかくだから行ってみたい。リンカーンの巨大な銅像をこの目で見てみたい…。と。

新宿の高層ビルみたいなもので、まじかに見えるのですが、巨大なので歩くとけっこう遠い。しかし来たからには!行ったからには!

 

ワシントン記念塔から。

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第二次世界大戦記念碑。

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リンカーン記念館。

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記念館内のショップ。

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記念館から。

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も一つ。

ナショナル・モールから見えたアメリカ合衆国国会議事堂。

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ボストン美術館で見るべきおすすめ作品と見どころを紹介!(日本美術中心)

 アメリカマサチューセッツ州、ボストン美術館に行ったなら、

hitomi-shock.hatenablog.com

 こちらの路線が王道であることはわかっています。しかし。私がなぜボストンまではるばる出かけて行ったか。それは、ボストンにある日本美術が見たかったからなのです。そしてボストン美術館の東洋部門、アジア美術は、世界有数。日本美術に限って言えば、日本以外ではNO.1。太平洋を超えて渡った正倉院と言っても過言ではない。

じかに見たもの、日本へのお里帰りで評判だったものなど、これぞ、のおすすめを紹介していきます。

日本美術  

風仙図屏風 江戸時代 曾我蕭白

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この絵、里帰りするんですね!慎んで追加。

今でこそ若冲・蕭白と言えば大騒ぎですが、一躍脚光を浴びたのは1970年代、辻 惟雄(1932- )先生の著書「奇想の系譜」がセンセーションを巻き起こし、紹介された江戸キッチュ、エクセントリックでかっ飛んだ日本美術の、亜流とも濁流とも取れるダイナミズムあふるる作品群は、見る人の度肝を抜いた。黒い渦巻きは、竜巻。中央の男性(陳南仙人(龍を呼び雨を引き寄せる)とも呂洞賓仙人(中国で一番人気のヒーロー仙人さま)とも)は剣をふるって龍をあやつり、天井の水門を開かしめ、干ばつから人々を救うのです。風のあまりの勢いに2人の男はひっくりかえり、右手奥の草むらにはウサギが2匹。かろうじて立っている。我々の潜在意識にある「日本美術」の固定概念を根こそぎ揺るがす曽我蕭白。「『画』が欲しいなら俺に頼め。『絵図』を求めるなら(丸山)応挙に頼め。」と冗談交じりに語ったとか。江戸時代のサイケデリック、横尾忠則。破天荒な無頼の絵師は大家として京都でその生涯を終えました。享年52。早くに天涯孤独の身となり、己の才能だけを頼りに突っ走った一生。死因は伝わらず、妻についてはわからない。幼い息子を亡くした4年後のことです。

観音菩薩立像 飛鳥時代

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岡倉天心(1863-1913)。明治期、西欧に追いつけ追い越せの時代に、それまでの日本文化は大層軽んじられていた。日本の伝統美と文化の素晴らしさに目覚め、気づき、大切さを日本に世界に知らしめた方。天心は1904年よりボストン美術館の東洋部門の初代部長となり、その際、収集した仏像です。この像、小さい。22.5cmの金銅仏。仏教が伝来し、で、仏様を信じるにはどうすればいいのか。いきなり巨大なお寺や仏像を作れと言われても敷居が高い。小さいものでいいんですよ。とこのサイズの金銅仏は盛んに作られ、お家の中で大切に祀られていたのでしょう。

 

大日如来坐像 平安時代

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大日如来は密教の中心。密教における大宇宙を現わす仏様。1149年製作。「大日」ですから光り輝いている。そして、もともと、仏様はどんな場所で、どんな風に置かれていたのか。

 仏教美術展示室 では

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中央が大日如来。向かって左が阿弥陀如来。右は大日如来。

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そして四隅には四天王2体、不動明王、毘沙門天が控える。

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ほの暗いお寺の中。仏様が薄明りの中、厳かに、遥か遠くから来られ、お伴の者はみ仏を守りに立ち、鎮座している。をアメリカで、ボストンで、体感できる展示になっています。「少しでも日本の寺院を訪れたときに近づける」ため、椅子に腰かけて仏様と対面できます。

 

弥勒菩薩立像 鎌倉時代 快慶

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この像、有名。何度か日本にお里帰りしていますね。鎌倉時代の仏師といえば、運慶・快慶。そして快慶は圧倒的に資料が少なく、運慶に比べ語られることが少ないのだとか。むっちりした肉体表現、流れる着衣のラインは快慶のお家芸。内部に経典が入っていて(もちろんこの経典もボストン美術館の所蔵品)これにより製作年が1189年と特定された。元は奈良の興福寺にあった。 岡倉天心が購入(ああ、売り払ったりしないでほしかった…)。 ボストン美術館 が1920年に遺族 より 購入。

 

金銅聖観音坐像 鎌倉時代 西智

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この仏像も超絶国宝級。鎌倉時代の金銅仏の最高傑作の一つと呼ばれている。保存完璧。「西智」検索かけてもさっぱりヒットしません。もとは滋賀の金剛輪寺にあった。(ああ、売り払ったりしないでほしかった…←以下全部同じなのでこれで最後にします)台座に製作年が1269年であること、作者が西智であることが刻まれています。地方豪族の栄華のありようと、運慶快慶以降の仏師の仕事ぶりを見て取ることができる。蓮の花を型どった台座、仏様のバックには光輪が立ち、オーブが、オーラが燃えている。細工の流麗さ。精巧さ。

 

こんなかんじで

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近くに置かせていただき、感激。

 

普賢延命菩薩像 平安時代

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息を呑んでしまいます。赤と白の房が下がる天蓋の下、仏様と白象の白い肌のなまめかしいこと。コスチュームとアクセサリーの華麗なこと。象は牙にもお化粧してる。口紅を塗っている。ネックレスが揺れれば、ひときわきらめいたことでしょう。「延命」ですから、命を延ばしてくれる仏様。頭飾りには5人に小さな仏様。3つの頭を持つ像と、足元は法輪の下に8頭の小象。四天王が周りを固める。象の異形の表情と、仏様の伏し目がちの目線が、いっそうこの絵を幻想的なものに。

 

龍虎図屏風 桃山時代 長谷川等伯

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桃山時代の天才、長谷川等伯絶頂期の屏風。「松林図」は東京国立博物館で。そして「龍虎図」はボストン美術館で♪みなぎる余白。ドラマチックな画面はとりすましたそれまでの日本の絵にはない個性で、当時のアバンギャルド、最先端。一陣の生温かい風が吹き、暗雲垂れこめ、龍が雲間からゆっくりと姿を現す。虎と龍の目が合う。新たな時代の幕開けとともに。6双だからざっと3畳。が2つ。

ちなみにボストン美術館のホームページから確認できる長谷川等伯は6点。

 

乗興舟(断簡)江戸時代 伊藤若冲

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これ。若冲なんです。極彩色の鶏とか鳳凰とかオウムにしようか迷ったのですが。それも「拓版画」。石碑とかに墨を塗って石碑の魚拓を取る、あれ。ですのでモノクロで、色は反転します。黒は白、白は黒と読み替えなければいけません。ええトコの隠居、若冲が淀川下りをしたときの景色を絵巻物にまとめ、「断簡」つまり一部がボストン美術館の手に渡った。若冲の実験は、碁盤の目のように、正方形のマス目を埋める「樹花鳥獣図屏風」は有名ですね。あれは、若冲の実験の一部だったんだ。この絵も、モダンですね。

ボストン美術館のホームページから確認できる伊藤若冲は37点。

 

松島図 江戸時代 尾形光琳

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松島には行ったことありますが。曇りだったのでしょうか。こんな色とりどりではなかったような…。空は、金色。波も金色。ゴールド。うねる波しぶきは白。同じくアメリカはワシントンDC.には俵屋宗達の「松島図屏風」もありまして、江戸のビッグネームの松島の屏風が2双、なぜかアメリカの東海岸にある。宗達の絵も金を基調としており、時代としては宗達17世紀、光琳18世紀なので、光琳はもちろん宗達の絵を知っていたのでしょう。フェノロサが手に入れた、外国人が初めて手に入れた日本の絵の傑作。

ボストン美術館のホームページから確認できる尾形光琳は24点。俵屋宗達は11点。

 

松千歳の契り 江戸時代 鈴木春信

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 驚くなかれ、ボストン美術館のホームページから確認できる鈴木春信は666点。絵や彫刻と違って浮世絵は単価も安いし、モノも多い。(浮世絵1枚は当時のソバ1杯分だったとか)浮世絵の祖が岩佐又兵衛(ボストン美術館所蔵1枚)・菱川師宣(ボストン美術館所蔵135枚)なら春信は錦絵の祖。甘く、夢見る少女のような画風は春の夜の風のよう。抒情と雅やかな気品に満ち、この絵も松・梅・鶴・恋する2人とめでたいものづくし。

 

雛形若菜の初模様 あふきや内 たき川 おなみ めなみ 江戸時代 鳥居清長

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 今で言うモデルさんや女優さんの宣伝写真。最新ファッションの発信でもあった。着物の柄も帯の文様も、新柄をいち早く書き込み、絵は一層リアリティを増す。鳥居家の、清長の本業は歌舞伎の絵看板屋さん。副業の浮世絵で、歴史に名を残す。清長といえば8等身美人。なよなよくねくねしたところのない、長身で、堂々たる体躯。きりっとした表情とすっくと立つ清長美人は見ていて小気味よい。サモトラケのニケやミロのビーナスが反射的に頭に浮かぶのです。スケールが大きい。

ボストン美術館のホームページから確認できる鳥居清長は763点。

 

稀に逢う恋 江戸時代 喜多川歌麿

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歌麿の絵を見ていると、この人リアルでは相当非モテだったんだろうなあ。との凄みを感じます。歌麿美人のどれもこれも、女性を偶像化し、自分には手が届かないものをあがめたてまつり、女のすべてを描いて描いて描きまくる。自分は地べたに這いつくばり、女性は高みへ、高みへと。凄惨な大年増の大首絵なんかも、いいんですが、この絵は初々しい武家娘。バックの雲母摺も、ピンクです~。

 ボストン美術館のホームページから確認できる喜多川歌麿は1,161点。

 

絵や屏風は1点ものですが浮世絵はある程度の数刷って売るから、同じ絵柄の浮世絵が世界中の美術館博物館に点在している…はよくある話。1枚1枚状態が違い、刷りが新しいと色もよく付く。見比べる楽しさはあるものの、同じ絵、東博も持ってる…。ことも多い。写楽も北斎も広重も、質・量とも所蔵量は圧倒的。…しかし、やっとのことでたどりついたボストン美術館の展示は、私が行った時には、実は寂しかった…。美術館内ではテーマに沿った特集展示があるから、浮世絵をやれば圧巻なんだろうな。時々開催される日本での「ボストン美術館」の名のつく里帰り浮世絵展は、必見!

ボストン美術館のホームページから確認できる東洲斎写楽は95点。葛飾北斎は1,829点。歌川広重は6,137点。

 

行ったときの浮世絵は

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地味でした…。でも

 

月百姿玉兎孫悟空 江戸時代 月岡芳年

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この絵が展示されていたのです!満月をバックに見栄を切る孫悟空の鮮やかさとカッコよさに一目ぼれし、ずっと憧れていたので、感激。展示のお題は「猿」。所蔵の日本の作品の中から猿が描かれているものをまとめて展示しており、ミニコーナーでしたが、見ごたえあり!

ボストン美術館のホームページから確認できる月岡芳年は547点。

 

白絲威鎧 江戸時代

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淀稲葉氏伝来。黒・白・金・朱の色のハーモニー。

 古い鎧は糸がボロボロでありがたく珍しく大切なお宝とはいえ、目にはあまり楽しくない。この鎧は古さも程よく、りりしい武者ぶりがしのばれます。兜は14世紀の名品を使用しているのだそう。

展示は

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鐙や刀や鍔と一緒。隣には

 

芥子図 江戸時代 宗達派

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赤いポピー、白いポピー。きれいだ…。優美だ。グレース・ケリー連想しちゃった。琳派の画家筆。ただし署名も落款もない。加賀百万石前田公が天徳院(金沢のお寺)に寄進したもの。花びらの1枚1枚が薄く、金箔が透けて見えるような。

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美術館の画像と、自分の目で見た実物・自分で撮った写真ずいぶん違う。特に金箔。そして花びらの色。行ってみなければわからないものです。

 

1階(アフリカ美術)と2階(日本美術)の間の階段

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和を感じさせる工夫が。

 

天心園

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ボストン美術館の一角、入場料なしで入れる日本庭園。4月から10月、土曜日~火曜日10:00~16:45水曜日~金曜日10:00~19:30開演。荒天時は閉園です。リンデ・ファミリーウィング2階のダフネとピーター・ファラゴ展示室の窓から見ることができる。2015年に日本テレビの寄付により改修されたばかりで、キレイ。15世紀の禅寺を思わせる枯山水様式。熊手で白砂を引き、できた模様で水の流れを表現する。

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私が行った時には、お客さん待ちのタクシーの運転手さんでしょうか。ベンチでお昼寝してました。

作庭は、「昭和の小堀遠州」こと中根金作。ああ、どこまでも一流どころばかり。師いわくこのお庭「ニューイングランドの山々、海、島々の本質を表現しようとしました。」(1987)ホント、ボストンは陽光柔らかく緑映え、良いところ。

 

日本美術以外

ボストン美術館をガイドブックで見れば、取り上げられる作品はどうしても印象派などのヨーロッパ美術に偏る。ヨーロッパ・日本以外で良かった展示や目玉の所蔵品をご紹介します。

 

中国美術

有名なのは

搗練図 北宋時代(12世紀) 伝徽宗皇帝

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北宋の暗君、茫洋君にして超一流のアーチスト、徽宗皇帝。絹を打ち、紡ぎ、縫い、伸ばす。原本は唐時代。をリライト・コピーしたのがこの絵巻。筆が徽宗か、宮廷画家によるものか、決定打に欠き、断定できない。唐の風俗をパーフェクトに再現できているかには疑問符がつくのだそうですが、髷の形や髪飾り、うすものをまとい袖をたくしあげ、萌えてしまううなじ。女の手仕事のさまの綿密な描写で、中国王朝絵巻をまじかに感じてみたいなー。このコスチュームのシルエット、ナポレオン時代と同じ!

 

展示でうっとりしてしまったのは

 

観音立像 北周または隋時代(6世紀)

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風を受け(衣の袖がたなびいている)手にお持ちなのは、蓮の花ではなく、レンコンなんですね。お召し物の素晴らしい事。全身にアクセサリーを飾り、白い仏像なので清楚でありながら慈愛と気品に満ちて。2.5mの巨像なので、私どもを見下ろしていらっしゃいます。アルカイックな微笑にノックダウン!純粋に見た目だけなら、この仏さまが一番かなあ。

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風の流れが、横からの方がよくわかりますね。

左に見えている絵は

姨母育仏図 明時代(16世紀)(壁画)

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「姨」は「妻の姉妹」。ブッダ様のお母さんはブッダを産んで7日めに亡くなってしまい、妹のプラジャーパティーがブッダを育てた。276.8 x 345 cm 。お義母様より側近くの侍女に目が行ってしまいます。きれいどころ揃いです。壁をはがして持って帰るなんて。そしてここまで元の形に近づけることができるのだ…。淡いグリーンのトーンが上品で、状態もかなり良い。

 

同じお部屋には

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 六朝時代の空飛ぶミュージシャンや

 

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唐の時代に石に刻まれた釈迦三尊像の右側の仏さま。

(一番美形だったのでアップで。)

 

菩薩座像 東魏時代(6世紀)

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洛陽郊外の名刹、白馬寺から出土したもの。白馬寺は1世紀に創建された文献で確認できる中国最古のお寺で、中国では超有名。近くに中国三大石窟(莫高窟・雲崗石窟・龍門石窟)の1つ、龍門石窟があります。上の「観音立像」も6世紀。同じ中国、たいして年代も違わないのに、ここまで様式が違うとは。「観音立像」が清艶なら、こちら「菩薩座像」は清柔。冠が高く、より一層お顔を面長に見せ、足を交差させたりこの像のように片足を膝に乗せ、シルエットを三角形に見せるスタイルは、中国の魏の時代の仏像の目立ったスタイルです。裾のドレープのひだひだとスカート?のプリーツがはっきりわかりますね。

 

展示は

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ライトを浴びて、テラコッタ色。

 

中国陶磁

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浮世絵が西洋の度肝を抜き、世界を席巻したというなら、中国の陶磁器の焼きしめた白い肌と染付の色・模様・完成度はもっとずーっと前から、世界中の羨望の的でありました。もちろん、ボストン美術館にも、陶磁器、揃ってますし。

青銅器

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 中国の青銅器は、古代の人々の祈り。今みたいに世界中の様子が瞬時にわかるはずはない。そして人の命はもろかった。見えぬ未来に平穏無事と五穀豊穣の願いの切実さは、今の私たちのお寺や神社や教会での祈りとは、きっと全然、違うんだろうな…。

 

韓国陶磁

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韓国陶磁の白さも青さも(青磁って薄緑色だから緑も、と言うべきかも)上品で優しく女性的で、大好き。2012年にオープンしたばかりの新しいコーナー。

 

南アジア(インド、ネパール、スリランカなど)美術

観世音菩薩

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インド語では!?「アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteshvara)」とおっしゃるのです。11世紀。パーラ朝。パーラ朝は仏教と芸術を厚く保護したため、この時期のインドの仏像はとりわけ見目麗しい。同じ仏様で、インドと日本、なぜにここまで違うのか。日本の仏像にセクシーさ、皆無、は言い過ぎでも、インドと比べたら雲泥の差だものなあ…。ミケランジェロのダビデも良いですがインドの優男にも、もちろん心惹かれます。


東南アジア(インドネシア、カンボジア、ミャンマー、タイ、ベトナム)美術

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下段、台に乗った白い水差しは(油さしだったのかもしれないとのこと)

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ベトナム・李朝時代、11~12世紀のもので、完全無欠、割れも欠けもなく残った奇跡の品なんだとか。注ぎ口、細いし、長いし…。よくも残ってくれました。もともとは白磁だったのでしょうか。経年で、韓国の白磁とかも貫入が入りますが、土が違い、釉薬ももちろん違うのでしょうから、同じような技術で作り上げた陶磁器も、今見るとここまで違う。

 

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仏像(仏教にいてもほかの宗教にしても)や彫刻って、中国、日本と東下するほどにインドのエロティックさは薄まっていくような。つまり東南アジアは中継地点。は残しつつもより温かみ、柔らかさが増すような気がします。そして石も、材料も違うのかなあ。野ざらしの仏様が多かったのかもしれない。粗削りっぽいものが多かった気が。表情もわりと固い。

 

イスラム美術

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13~14世紀ごろのペルシャ(今のイラン)のタイル。

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 装飾にかけてはインドに負けじ劣らず、百花繚乱の華やかさにに目を奪われるイスラム芸術。ムスリムの教えは偶像崇拝ご法度なので、かわりに幾何学模様や花や蔓の文様が生み出され、神の姿を見せるのではなく、いまここに神がいることを感じる、感じさせる。制約が、イスラム芸術の独自の開花のヒミツなのですね。

 

メソアメリカ美術

オルメカの仮面

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中央の白い仮面が「オルメカの仮面」。紀元前6~8世紀ごろ。メキシコ。ヒスイ。副葬品ないしはツタンカーメンのマスクみたいな死者の仮面。葬儀の儀式において仮面は火に投じられ、白変するのです。マヤやアステカに先立つ、中央アメリカの最古の古代文明が、オルメカ。15世紀、スペインのコロンブスが発見!?するまで、独自の発展と繁栄を重ねてきた。

アメリカの美術館なのですからアメリカ生まれの古今東西の展示にも大きなスペースが割かれています。地元、アメリカ国民の方々が一番熱心に見て回るのは、もしかしてアメリカ美術のブースなのかも。

 

アフリカ美術

馬上の統治者

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16世紀、アフリカ。正装の戦士。 凝った羽毛の冠、貝をあしらった豪壮な襟飾りは身分の高さの象徴。アフリカ・ベニン王国(現在のナイジェリア南部)の国王の副葬品。ベニンではなく、その周辺の王の像ではないか、との説が有力。

アフリカンアートは、複雑に絡み合い、幾多の文化の刺激や影響から全く離れたところに源流があり、孤高にオリジナルであるところがユニークすぎる存在。DNAの違いを感じさせる作品ばかりです。

 

まとめ

ボストン美術館は広大で、観光客が集中する展示スペース以外にも心惹かれる展示は必ずあります。所蔵品の展示のみならず、通路や階段などにも工夫がこらされており、はるか昔に作られ、不思議なご縁でアメリカのみやびなる都、ボストンに世界各地からやってきたお宝の故郷を感じさせる仕掛けがたくさん。機会があればぜひ、行って、見て、楽しんでください!!

 

おまけ(ミュージアムショップでのお買い物)

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記念に。と買った本。ボストン美術館の所蔵品のジャンル別のガイドブックです。中国、日本、韓国。全部英語。写真を手元に置いて眺めることができるのはありがたい。コレクションナンバーも入っているので、ボストン美術館のホームページから番号入れれば作品のページにダイレクトに飛べるのがありがたい。オンラインショップでも購入可。日本にも発送可です。

 

ちなみにこちらのMFA Highlightsシリーズは全15種類。各19.95~24.95ドル。(日本芸術の本が一番高い!気合入ってます!)

  • American Painting(アメリカ絵画)
  • American Decorative Arts(アメリカの装飾(家具・食器など))
  • Native American Art(アメリカ先住民芸術)
  • European Painting and Sculpture after 1800(1800以降のヨーロッパ絵画と彫刻)
  • European Decorative Arts(ヨーロッパの装飾)
  • Arts of China(中国芸術)
  • Arts of Japan(日本芸術)
  • Arts of Korea(韓国芸術)
  • Classical Art(古代ギリシャ・ローマ芸術)
  • Arts of Ancient Egypt(古代エジプト芸術)
  • Contemporary Art(現代アート)
  • Photography(写真)
  • Musical Instruments(楽器)
  • Textile and Fashion Arts(織物とファッション)
  • Conservation(研究成果や過程などの一般客向けの紹介)

ショップのベストセラーはモネやゴッホのパズル、マグカップ、カード類やエコバッグなど。

 

ボストン美術館で絶対見るべきおすすめ20の作品と見どころを紹介する!

アメリカ東部、マサチューセッツ州ボストン市観光の目玉中の目玉、決定版はボストン美術館 (Museum of Fine Arts, Boston 略称MFA) 。

 

どこがどうすごいのかはこちらにもう書いてしまいました。

 

hitomi-shock.hatenablog.com

 

 

有名な作品、みどころなど。

 

 

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(…絵が四角でなく、台形に映っている。あまりにお見苦しいため、以後パブリックドメイン画像でお届けします。)

 

ラ・ジャポネーズ (着物をまとうカミーユ・モネ) 1875-76 クロード・モネ 

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 フランス印象派の日本への傾倒を示す絵として名高い。近年修復され、日本でも展覧会が開かれこの絵がやってきて、大盛況だったのも記憶に新しいところ。

 

 はるばるアメリカまでやってきた甲斐あって、本来の展示、ボストン美術館では、待ちなし。行列なし。順路なんかないから、一目散にお目当ての絵に向かって、じっと見ていてもかまわない。歴史に残る名画名作をさくっと1日でまとめて鑑賞できちゃう。

 

そして画像では決してわからない。まず絵が大きい!額こみでかるく一畳くらいあります。そして各々の絵の質感やタッチ。生々しさと臨場感はやっぱり実物を目の当たりにしなければ。この絵も、上下の画像を見比べていただきますと、着物の武者絵のあたりの重量感。微妙に違うでしょう。緞帳のように重厚な和刺繍を、てりも輝きもそのままに、異国のモネが見事に表現していることにうならされます。実物はもっと、絢爛豪華だった!

 

睡蓮 1905 クロード・モネ

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ボストン美術館のモネのコレクションはフランス以外ではNO.1。印象派のどこが新しいかって、モノは光と影で時に色を変え、移ろう。その瞬間を閉じ込めた。モネの睡蓮の絵は200枚以上あるそうです(1897年ごろから30年近く同じ主題で書き続けた)。水面に映るのは雲?木の陰?曖昧に広がりゆく睡蓮の葉と花が続き連なる。

 

ルーアン大聖堂(太陽の効果)1894 クロード・モネ

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ルーアン大聖堂(正面・夜明け)1894 クロード・モネ

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 「ルーアン大聖堂」は全部で33枚。うち2枚がボストン美術館所蔵。「睡蓮」シリーズより少し前。1892~94年にかけて集中的に描かれ、モネ中期の代表作の一つです。水蓮が水面ならルーアン大聖堂は大聖堂というモチーフで、満ちる光が刻々と移りゆくさまを捉えた。印象派ならではの着眼点。

 

印象派は、登場した当時はアバンギャルド。新しいものは斬新すぎてえてして世間には受け入れがたい。初めはバッシングの嵐だった。しかし、見抜く目を持つ人たちは確かにいて、ニューヨークの個展での大成功に始まり(新大陸アメリカは新しい価値観を受け入れるキャパシティを持っていた)、その後各地で個展を重ね、今日の印象派の人気があります。

 

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 1897-8 ポール・ゴーギャン

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ゴーギャンの代表作であり、畢生の大作と言って差し支えない。ボストン美術館の誇るお宝の一つ。展示も壁一面。(実物は大きい…139.1cm×374.6cm)

この絵、向かって右から左に見る。右は赤ん坊。真ん中、両手を上げ上を向く人物が青年期、そして左端が老婆。人は生れ落ち、老いて死ぬ運命から逃れることはできない。ブルーグレイを基調にした色づかいが深淵を感じさせ、この絵を描き上げた翌年世を去るゴーギャンの精神世界を現わしている。と言われている。20世紀、印象派を経てキュービズム・フォービズムが隆盛を極める、さきがけとなった作品。

 

 ペイルレ渓谷 1889 フィンセント・ファン・ゴッホ

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1889年、ゴッホはフランス南部プロヴァンス地方の精神病院に入院したころに書かれた絵。灰色の荒々しくも生々しいタッチは、機会があればぜひ、生でご覧ください~。この「ペイルレ渓谷」も世界中に3枚、あるんだそうで。現地サン=レミには、「ゴッホはここでこの絵を描きました!」の看板!?プレートが町のそこかしこに立っているのだそうです。

 

郵便配達人ジョゼフ・ルーラン 1888 フィンセント・ファン・ゴッホ

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 ルーラン夫人 ゆりかごを揺らす女  1889  フィンセント・ファン・ゴッホ

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このお二人、ご夫婦なんですね。サン=レミに移る前、アルルでのゴッホのご近所さん。ゴーギャンとの共同生活に疲れ、耳を切り落としたり幻覚に悩まされているゴッホの面倒を見てくれた、心優しい隣人でした。ゴッホといえば、どうも人との距離をつかむのが苦手らしい、今なら別の病名がつきそうな人、とのイメージがあります。そのゴッホが心を許し、ご主人の絵は4枚以上、奥様の絵は5枚。確認されています。

 

世界の名画を見ても見ても終わらないのは、…天才って、多作なんですね~。描いて描いて描きまくってるんじゃないのか…。

 

奴隷船 1840 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

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イギリス ロマン派の風景画家ターナーと言えば、静謐感あふるる風景画を描く人、とのイメージがあるのですが、この絵のなんと激しいこと。

それもそのはず、この絵は1781年の奴隷船、ゾング号の残虐非道事件を題材にしています。奴隷を乗せ、アフリカから出航したゾング号。人間を荷物扱いし、船内には疫病が蔓延。船長は奴隷133名を、手と足をつないだまま、海に投げ捨てた。そして「荷物」の保険金を請求したが「管理不行届」で請求は却下された。とのどこからどこまでもむかつく一部始終に怒り狂ったターナーが描き上げたのが、この絵。

水平線の太陽は燃え、波は高い。それでも船は進み、船跡の荒々しさ、沈む人々の絶望と絶叫と悲哀。。。

インパクト強し。今回のボストン美術館紀行で、一番感動したのは、この絵かも。

 

種まく人 1850 ジャン=フランソワ・ミレー

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ブランスバルビゾン派の巨匠、ミレーの代表作の一つ。有名な絵です。この絵もボストン美術館の至宝。神様だの神話だの名勝ではなく、農民を描いた。土とともに生きる人間のダイナミズムと静寂。そしてこの絵は聖書の題材がベース。キリストの教えを種まき伝え、やがては豊かに実を結ぶとのメッセージも込められているのです。

「種まく人」は世界に2枚。もう1枚は、日本の山梨県立美術館に展示されています。

 

以上、ガイドさんが「この絵はここにあります」とパンフレットに書き込んでくださった絵のご紹介でした。つまり、ここまでがダイジェストツアー。ゴーギャン・ゴッホ・ミレー・モネ・ターナー。1~2時間で一挙に目にすることができる!!!しかも各室、お客さんはせいぜい20~30人!!!お得感果てしない!!!

 

しかしこれで終わるのも惜しいので…さらに続けさせていただきます。

 

犠牲(旧約聖書)1626 ピーテル・パウル・ルーベンス

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イエス・キリストがすべての人の罪を引き受け、十字架にかけられるまで、人々は神様に命の捧げものをしなければならなかった。子羊は祭壇に備えられ、剣を持った男は神に忠誠を誓い、加護を祈るのです。

 

修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像 1609 エル・グレコ

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この絵、日本で大々的にグレコ展が開かれたとき、来ているのですね。「良かった!」との声多数。グレコといえば祭壇画がまず頭に浮かぶ。青だの黄色だのの衣を着た人や天使が空を仰いでポージング…そして画面上部には輝く光と天使たち、と芝居がかった印象がある。そしてこの絵の何とさわやかなこと。強靭で繊細なイケメン(神に仕える方にこんな言い方していいのかしら)の外面と精神に、鑑賞する皆さまは心洗われたのでしょう。

 

カルロス皇子と侏儒 1632 ディエゴ・ベラスケス

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バルタサール・カルロス・デ・アウストリアは、ベラスケスの絵ですから、スペインの王子さま。かの「ラス・メニーナス」のマルガリータの、母親違いのお兄さん。1929年ですから、この絵に描かれているのは2~3才のころ。小さい子だけが持つ、ぷっくりしたほっぺに、つぶらな瞳の愛くるしさ。このいたいけのない子は、未来は国をしょって立つのです。「侏儒」とは小人のこと。(とは言え、ご学友ならぬ遊び友だちにしか見えないのだが…)左手のリンゴ、右手のガラガラが未来の王の球と笏を暗示します。しかしカルロス皇太子は、天然痘でわずか16才で早逝します。

 

チャールズ一世の娘、王女マリー 1637 ヴァン・ダイク

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 ヴァン・ダイクはルーベンスの弟子。巨匠と一緒にいても後塵を拝するだけ。と心機一転、イギリスに渡り、持てる才能を存分に開花させた。フランス、ルーブル美術館所蔵「英国王チャールズ1世の肖像」はフランス国王の我こそは絶対無二の君臨者、自分大好きとは真逆の自然とともにある国王のさりげない振り向きショットなんか、絶妙。

王女マリー、メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートはチャールズ1世の長女。このとき6~7才。自分の運命に立ち向かうかのように、子ども服ではない。大人の女性の服装です。マリーは10才でのちオランダ総督となるウィレム2世と結婚し、19才で夫を天然痘で失い、未亡人となります。そして29才で、夫と同じく天然痘で、世を去るのです。

 

ブージヴァルのダンス 1883 ピエール=オーギュスト・ルノワール

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世界は美しく、人生は味わい深い。真正面から言い切るのは大人の身、いささか恥ずかしい。しかしルノアールの頬染めた女性の絵を見ていると、無条件にこの言葉が浮かんできます。ブージヴァルは地名。格式ばらず、市民が憩う川辺で、恋人たちは踊るのです。ピンクの、赤の縁取りのドレスに、赤い帽子。男性も、おしゃれして。男性は恋する人に顔を近づけ、女の子の心はきっと、もう決まってるんだわ。今目の前にあるものが美しいのです。

 

赤い肘かけ椅子のセザンヌ夫人 1877 ポール・セザンヌ

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セザンヌは印象派から出たが印象派にとどまらず、のちの20世紀の絵画の流れを先取りした色彩の魔術師。画家が惚れる画家。ピカソもマティスもモンドリアンも、ルーツをたどれば皆セザンヌ。絵でしか表現できない世界。1枚の絵の中にねじまげられた空間があったりする。絵は見えたままでなく、何があってもいいのだ…。って方ですから。この絵はまだ初期のセザンヌ夫人ですし、セザンヌ夫人、オルタンス(書かれた当時は内縁、のち入籍)さまの表情がいささか固いのも。気にしない。色遣いと全体の調和を見せていただきましょう。

桟敷席にて 1878 メアリー・カサット

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 いい絵ですねえ。思わずため息出ちゃう。アメリカが誇る印象派の女性画家、メアリー・カサット。「母子像のカサット」とか言われており、19世紀後半のフランスとアメリカに降り立ったラファエロであり、喜多川歌麿であり、上村松園です~。王女様のきらびゃかな絵じゃなくて、普通の人の日常生活に題材を取った柔らかな温かな女性像は、心に染み入り、余韻に浸れる。

この絵は、ドラマティック。桟敷席の女性は黒づくめ。片手に扇子を握りしめ、オペラグラスで舞台を見つめ、正面の紳士は身を乗り出して貴婦人を見つめる。を同時に見通す、第3の視点。絵の壮麗な舞台装置と息詰まる瞬間と貴婦人の肌と表情。

 

メンカウラー王と王妃の像 紀元前2490–2472

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1905年から1942年まで続いたボストン美術館とハーバード大学共同発掘調査隊がエキプト、ギザで1910年に見つけたお宝。1911年にエジプト政府より正式に寄贈。メンカウラー王の在位は紀元前2532年から紀元前2504年。夫人は2人いて、どちらがこの像なのかは不明。石造です。一見して固い。ギザのスフィンクスなんか、風化しているのに。そして傷一つない。奇跡です。古代の人はどうやってこの超固い石を刻み、王の威厳に満ちた表情と王妃のアルカイックスマイル、二人の滑らかな肌を掘り出したのでしょう。夫婦は共に一歩を踏み出し(エジプトでは普通男性は左足を前に出し女性は足を揃えるだそうですがこの像では一緒)頭巾とあごひげはファラオの印。王妃は王の腕と腰に手をまわししとやかに寄り添う。

 

そして忘れちゃいけない。

吉備大臣入唐絵巻 平安時代

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日本にあれば即国宝です。奈良時代、吉備真備が遣唐使として唐に渡った。その才をねたまれ、さまざまな無理難題を吹っ掛けられますが、スーパーマン真備は異国の地で故郷を懐かしみつつ世を去った阿倍仲麻呂の亡霊の力を借りて快刀乱麻、鮮やかに難局を切り抜け、見事帰国を果たす。図録持ってるんですが、手に汗握ります~。1932年、このお宝がボストン美術館の手に渡ったことを知った日本政府は、あわてて「重要美術品を国外に出すことはまかりならん!!!」の法律を作った、とのいわくつき。このクラスになりますと、常設展示とはいかない。同じ人が描いたとされる「伴大納言絵巻」は当然国宝。東京出光美術館蔵です。どちらも狙って行って、極めてみたい!

 

平治物語絵巻 三条殿夜討巻(鎌倉時代)

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 こっちだって日本にあれば国宝ですよ。まったく、なぜアメリカにあるのだ。

平安末期、武士の時代の始まりを告げる源氏と平家の争い。この絵巻物は保元の乱・平治の乱の平治の乱(1159)の方を100年後に描いている。御所三条殿を源氏が襲う!燃え盛る炎、逃げ惑う人々、敵の首を討たんとなだれ込む甲冑の群れ…他2巻は東京国立博物館(国宝)と静嘉堂文庫蔵、1巻は分断されていろいろなところにある。他は散逸してしまった…。全15巻くらいではなかったか、と推測されています。残っているもののうち、NO.1は文句なく、ボストン美術館所蔵!

 

まとめ

今回の紹介はカサットだけになってしまいしたが、アメリカの美術館ですから、アメリカ美術・南アメリカ美術にも相当のスペースが割かれており、現代アートのブースにも力入ってます。そして日米以外の言語でボストン美術館の検索かけますと、各国が目をつけた自国のお宝などもわかって面白かった。所蔵品は膨大。2日間通いました。できれば、もう1週間、時間が欲しかった!機会があればぜひ!そして時間を作って美術館のためだけにボストンを訪れるだけの価値ある美術館です。

おまけとしてパンフレットの画像、楽器の展示室の写真、入館情報など。

 

おまけ

ボストン美術館の日本語パンフレット

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楽器室

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外観とエントランス

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前庭にいたガチョウ。

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入館情報
  • 入館料は25ドル。10日間有効なので、半券を持っていけば10日間、入館無料。65才以上と18才以上の学生は23ドル、17才以下無料。
  • 開館は木曜日・金曜日のみ10時~22時。土曜日~水曜日は10時~17時。ただしアメリカの祝日は休館日になることもあるので、事前に確認を。
  • ツアーガイドのヘッドフォンは5ドル。端末操作して日本語バージョン選択可。ただしバッテリーがたりないこともあるので、事前に確認を。(見学中、交換場所に戻るのは時間とエネルギーが勿体ない。)ただし日本語の解説のある作品は限られる。
  • 休憩場所は展示スペース、ホール等に数多くある。初日は時差ぼけもあり、ソファでバッグを胸に抱き、お昼寝してしまった。つまり、安全。身の危険とかはまずないが、外国であることを忘れず、自分の身は自分で守ること。
  • 屋外に日本庭園の「天心園」がある。ここは入場無料。
  • レストランとカフェあり。
  • ミュージアムショップの図録は、日本語版は見つけられなかったものの、ジャンル別の図録がシリーズで出ていて、自分の好きな本だけ選ぶことができるので、その点、便利。
  • 帰り、タクシーを拾うつもりで、ガイドさんは、「いつも何台かはいますから」とのお話でしたが、夕暮れ時、美術館を出るとタクシーは影も形もなかった。大通りに出れば、タクシー、拾えます。

  また、思いついたら、追記していきます。