スミソニアン博物館で絶対見るべきおすすめ20の展示と見どころを紹介する!

ワシントンD.Cに行ったなら、スミソニアン博物館に行かなければもったいない。入場料、タダ。無料。感想を一言であらわせば「こ、こんなものまで取っておくの~。」何でもかんでも取っておく。アメリカは世界一の大国。富も集まる。篤志家・収集家や学者が己の審美眼と感性に響き渡る品々を追い求め、生きている間は手元に置いて楽しみ、自分がいなくなったら美術館や博物館に寄付して、自分の名前が。生きた証が後世に語り継がれる。それが、ハイソな方々のステイタス。庶民は恩恵を頂戴しましょう!

※一口メモ

スミソニアン、とひとくくりになってますが、アメリカのスミソニアン学術協会が管轄する美術館や博物館の総称であり、ワシントンD.C.内、2㎞におよぶナショナル・モール地区にリンカーン記念堂やアメリカ国会議事堂などとともに超絶級のお宝所蔵の施設(外観見るだけでも楽しい!)が軒を連ねます。もちろん、ワシントンD.C.以外にも別館、特別館がアメリカ各地に点在している。スミソニアン学術協会の運営費はアメリカ国家の拠出、寄付や施設内のショップの売り上げなどでまかなわれています。

 

国立自然史博物館 National Museum of Natural History

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By Ingfbruno (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

中に入ればロタンダ(円形巨大吹き抜け)で巨大なアフリカ象のはく製がお出迎え!スミソニアン最古の博物館。地球ができ、植物・鉱物・生き物、収蔵品は125,000,000点。1億、2,500万…。生命の歴史、人間の起源、鳥類、恐竜、哺乳類、海の生き物、昆虫などなど、臨場感タップリの展示に興奮してください~。

そして何が何でも見ておきたいのは、ご存知。

 

ホープダイヤモンド

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呪いのダイヤ(持ち主が不幸になるとの言い伝えもありますが、歴代の持ち主で呪いを受けなかった人ももちろんいます)ならぬ希望のダイヤモンド。かつてホープさんという名前の方が所有していたことからホープダイヤモンドの名が。かつてはフランスルイ14世、イギリスジョージ4世が所有し、幾度となく持ち主を変え、肌身離さず身に着けていた貴婦人が亡くなったあと、宝石商ハリー・ウィンストンが引き取り、スミソニアンに寄付した。

このダイヤモンドは展示品の中でも別格中の別格で、専用の一室の中、中央のガラス張りの陳列台の中のダイヤモンドは、360度、回ります。少しでも多くの人に見てもらうために。もちろん、見学者が絶えることはない。45.5カラット。小ぶりの消しゴムを、一回り大きくしたくらいでした。

 

マリーアントワネットのイアリング

Washington DC--October 18 2007--Museum of Natural History --Marie Antoinette's Favorite Earrings

フランス革命で断頭台の露と消えたマリー・アントワネット。歴史の大混乱期であり、絶対確実とはスミソニアンも断定はしていないものの、フランス王室に伝わるものであることは間違いない。1853年、ナポレオン三世は当時のファッションのアイコンであったユージェニー皇后へ、結婚の贈り物として、マリー・アントワネットが身に着けていたとの由来のこのイヤリングを贈りました。しずく型のイヤリングは14.25カラットと20.34カラット。ですから、決して大きくはない。(ダイヤとしてはもちろん大型ですけど)せいぜい2~3センチというところ。しかし。マリー・アントワネット。の名前とともに人々の胸に去来する思いは格別で、ダイヤの輝きとともに、人々もこのイアリングの前を立ち去りがたい様子です。

 

ナポレオン1世のダイヤモンドのネックレス 

Napoleon Diamond Necklace

ナポレオン1世が嗣子ナポレオン2世を産んた2番目の妻、マリー・ルイーズに贈ったネックレス。28個のオールドマインドカットの円型のダイヤモンド。大9小10の洋ナシ形のダイヤモンドがフリンジ。フリンジの土台、4個にはローズカットのダイヤモンド。総計263カラット。

ナポレオン1世が退位させられ、エルバ島に流されたとき、妻と息子はさっさと妻の実家、オーストリアのハプスグルグ家に戻ってしまった。ナポレオンから贈られた宝石類をすべて持って。それは、ナポレオンが高貴な血が欲しがったがゆえの結婚ではありましたが。代々のハプスブルグ家が所有し、1962年、スミソニアンに寄付されました。

 

恐竜の化石展示室

Smithsonian of Natural History

ティラノサウルス、トリケラトプス、ステゴザウルス、アロサウルス、ケラトサウルス、ディプロドクス♪ 超ビッグな恐竜が原寸大で所狭しと並んでいます。もともと恐竜好きとか、そういうのはないのですが、そもそも展示の化石1点1点が大きいうえに種類が多く、映画「ジュラシック・パーク」で観たあの恐竜が、この恐竜も目の前に。展示コーナーのスケールの大きさと種類は特筆もの。そしてこのコーナーは、子どもが多い!みんな大喜び!展示も臨場感満点だし、見ているお客さんにも活気がありました。

 

国立アメリカ歴史博物館 The National Museum of American History

ここは、時価数百万とか、億とか、高価なものが展示されているのではない。かわりにアメリカ建国以来の歴史と記憶を目で肌で実感できる、別の意味ではかり知れない、値段などつけられない。忘れられない展示品ばかり。例えば

 

リンカーンが暗殺されたとき(1865年4月14日)にかぶっていた帽子

Lincoln’s Top Hat

 ボロボロですが。色も変わってしまっていますが。妻とともに桟敷席で観劇中、背後から撃たれた。その時に。かぶっていた帽子。

 

映画「オズの魔法使い」(1939)でドロシーが履いた赤い靴 

Ruby slippers from the Wizard of Oz - Smithsonian Museum of American History - 2012-05-15

 ハリウッド映画のエバーグリーン、「オズの魔法使い」(1939)。16才のジュディ・ガーランドはこの映画で大スターの名を不動のものとし、主題歌「虹の彼方に」はジュディの生涯の代表作となりました。竜巻に巻き込まれ、迷い込んだオズの国。良い魔女のグリンダが履かせてくれたのが、魔法の赤い靴。

 

ジャクリーン・ケネディの三連パール

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 昔、日本で復刻版のレプリカが発売され、私、買ったんですよ。しかし真珠の粒が大きすぎ、ジャッキーみたいにはどうにも使いこなせなかった。(素材が違いすぎると言われれば終わりですが;;;)ジャッキーが身に着けていたのは、フェイクパール。写真映えするように、大振りの、プラスチック製のアクセサリーなどが多かった、と聞きました。華やかに女らしい、ジャッキー・スタイルのシーンの数々が思い起こされます。

 

ファーストレディのドレスコレクション

First Ladies

歴代のファーストレディーのドレスの展示があるのですよ。大統領夫人ですから、年齢は高め。30~60代のご婦人のドレス。最高級であることは疑うべくもありませんが、サイズは大きめのものが多い…とお見受けしました。そしてアメリカ人、大きい。縦も横も大きい。そして時代をさかのぼればさかのぼるほど、ドレスも小さくなっていく。ひとりひとりの写真とバイオグラフィーとドレスを見比べ、18世紀からのファッションの流れは一目瞭然。

Michelle Obama’s 2009 Inaugural Gown

2009年1月20日、ワシントンD.C.のワシントンコンベンションセンターで開かれた大統領就任記念パーテイーでオバマ大統領夫人、ミシェルが着たドレス。アイボリーのシルクシフォンにスパンコールが縫い込まれ、淡いグレーのお花の刺繍、縫い込まれたシフォンの白い花のワンショルダードレス。デザイナーはアジア系の若手、ジェイソン・ウー。

Michelle Obama’s 2009 Inaugural Gown

生地のアップ。

 

モハメド・アリのグローブ

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From wikimedia Commons/File:Muhammad_Ali's_boxing_gloves.jpg 14:57, 20 February 2014(UTC) License=CC BY-SA 2.5
 

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」魅せるヘビー級ボクサーのボクシンググローブ。アリのリングの闘いがどれだけ革新的なものであったか。華麗なステップ、もといフットワークと目にもとまらぬスピードで繰り出されるジャブ。数々の名勝負で知られ、真のチャンピオンの座に、名にふさわしい。そしてアスリートって寡黙な人が多いでしょう。でも、アリは違った。勝負に、政治に、炎上!?狙いで過激なパフォーマンスを繰り返す。注目が集まれば集まるほど、興行主は大喜び。良かれ悪しかれ周りは騒ぎたて、試合は盛り上がること…。

 

核のスイッチ入りのブリーフケース 

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正確には、世界のいついかなる場所にあろうとも、核攻撃にGoサインを出すためにアメリカ大統領の側近が持ち歩く、道具やその道のマニュアルの入ったブリーフケース。サインを出せるのはアメリカ大統領だけ。しかし現実、核発射(こ、怖い…)には大統領の本人確認のコードを入れたり、国務長官の確認を取ったり、手続きは厳重を極める。そう簡単に核戦争が、起こってたまるもんですか!!!

 

国立航空宇宙博物館 National Air and Space Museum

スミソニアン1の見学者数を誇るのは、ここ、飛行機と宇宙船の現物がそのまま。何しろ展示物が大きすぎるので、別館がワシントンの空の玄関口、ダレス国際空港近くにあり、展示も別館、超豪華。(スペースが違いすぎる。別館は70,000㎡を超え、東京ドームの1.5倍近い)そしてワシントンD.C.の国立航空宇宙博物館は。レジェンド揃い。レガシーだらけ…。

ライト兄弟のライトフライヤー号

Washington DC: National Air and Space Museum - 1903 Wright Flyer

本物ですよ。本物。ライト兄弟が作った飛行機がそのまま。展示してあるんです!ここもライト兄弟専用の展示ルームがあり、写真どおり照明もほの暗くノスタルジック。1903年にライト兄弟が最初に運転した動力飛行機の実物。人間って、挑戦する動物。トライしたくなる。不可能に立ち向かってみたくなる。果てしない歴史の歩みの中、膨大な人間の挑戦の積み重ねが、世界を変える。この部屋に足を踏み入れると、実感が肌に迫ってくるのです。


リンドバーグのスピリットオブセントルイス号

Washington D.C. - National Air and Space Museum Spirit of St. Louis Ryan M-2 02

これも実物…。ため息しかない。 チャールズ・リンドバーグが世界初、1927年にニューヨークーパリ間の単独無着陸大西洋横断に成功した一人乗り飛行機の実物。今見ると、鉄板とかペナペナに見えて頼りない…。何百人も乗せる飛行機しか乗ったことがないもので…。ライト兄弟の初フライトから20年あまりしかたっていないというのに。真っ暗な大西洋、飛んでいた時、怖かったろうなあ…。1928年にリンドバーグ自身の運転によるフライトを終えたあと、スピリットオブセントルイス号はスミソニアンに寄贈されました。

 

アメリア・イアハートのロッキード・ベガ

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 アメリア・イアハート(Amelia Mary Earhart、1897-1937)の名は、目にするたび耳にするたび、ロマンと悲劇が交錯し、人々の胸に刻み込まれ、語り継がれる。美しく、知的な女性であり、1932年に大西洋単独横断飛行、米大陸単独横断無着陸飛行を成功させ、1937年に赤道上世界一周飛行に飛び立ち、7月2日、太平洋上で消息を絶った。もちろん機体はレプリカではありますが、イアハートの写真や、イアハートが着用したフライトジャケットなども併せて展示してありまして、アメリカでの人気のほどがしのばれます。

 

アポロ11号司令船コロンビア号

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1969年7月20日、人類初、月に着陸した宇宙船の本物。「宇宙」博物館ですから、ほかにもものすごい展示が目白押しなのです。スプートニク1号(1957年に当時のソビエト連邦が打ち上げた世界初の人工衛星)、月の石(1972年アポロ17号が月から持ち帰った)、ハッブル宇宙望遠鏡(1990年打ち上げられた人工衛星。宇宙空間から鮮明な画像を地球に届け、数えきれない新発見を成し遂げた立役者)、ボイジャー宇宙探査機(1977年打ち上げ。惑星探査機)、マーキュリー6号のフレンドシップセブン(1962年アメリカ初の有人軌道飛行に成功)、ジェミニ4号(1965年に打ち上げられアメリカ初の宇宙遊泳に成功)…とまあ、ニュースに出てきた実物が目の前に。きりも果てもなくスケール大きすぎ。

 

ゼロ戦(三菱零式艦上戦闘機 52型 A6M5 )

Mitsubishi A6M5 Reisen (Zero Fighter) Model 52 ZEKE

 日本人ですもの、見ておきたいではありませんか。1941年、サイパンでアメリカ軍の手に落ちた。13機あったのだそうです。まずアメリカ軍によって徹底的に機体を調べられ、テストフライトが繰り返され、航空ショーでは大人気。もう1台、アメリカにゼロ戦が残っており、こちらは飛行可能だそうです。しかし、空を飛ぶならメンテナンスは欠かせない。往時の姿をとどめているのは、断然、スミソニアンのゼロ戦でありましょう。ちなみにゼロ戦の「ゼロ」の由来は日本空軍に採用された昭和15年は皇紀(神武天皇の御代から数える日本の紀元の数え方)2600年だったことから。

 

チャールズ・ラング・フリーア(Charles Lang Freer1856-1919)はアメリカの実業家。東洋美術の収集家として知られ、死後、「自分の寄贈品を自分の美術館以外で公開しないこと」「自分の寄贈品をどこにも貸し出さないこと」を条件にスミソニアン協会に所蔵品を寄付しました。つまり、巡回の展覧会を待つことは不可能。ワシントンD.C.まで行かなければ貴重な品々を見ることはできません。

スミソニアン人気のスポットは、どうしても今まで見てきた、一般受けしそうなものに集中する。ここと、アーサー・M・サックラー・ギャラリー(フリーア美術館と地下でつながっている)は、「スミソニアン・キャッスル(スミソニアン協会本部)」と呼ばれる、スミソニアン全体のインフォメーションセンター(とはいえここもものすごく見ごたえあった…)のすぐ隣で、行きやすいですし、美術館の雰囲気もがらりと変わり、静か。見学者も熱心そうな大人ばかりだし、混んでいない。

そして目玉と言えばやはり

孔雀の間

"The Peacock Room Comes to America" exhibition

 フリーアが美術収集するにあたり、協力を仰いだイギリス在住のアメリカ人の画家、ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler 1834-1903)のデザインの、もともとはイギリスの富豪のお部屋。をフリーアが入手し、フリーアの死後、スミソニアンに寄付された。

真ん中の絵はホイッスラーによる「磁器の国から来た皇女」。部屋には所狭しかつ整然と中国の焼き物が飾られており、やや鈍い緑と青が使われ、壁には金で大きく尾羽根も華麗な孔雀が描かれている。東洋なら、ぽつりと1つか2つか3つかを飾り、余白の美を味わうのでしょうが。西洋の人の東洋趣味、オリエンタリズムのエキゾチシズムって、こうなるんだ~。

ここは、正確に言えばスミソニアンではありません。スミソニアン協会に属していない、国立の美術館。しかし敷地は同じなのだし、入場無料も同じ。それに入れておかなければ勿体ないものがあるので。

ジネヴラ・デ・ベンチの肖像 1474-1478頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ

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 西半球(日本ではあまり聞きませんが世界的にはわりとメジャーな言葉らしい。地球儀の地球をスイカみたいに子午線0~西経180度で真っ二つに割る。西半球には南北アメリカ大陸がすっぽり入り、東半球にはユーラシア大陸や日本が入る。西半球新世界、東半球旧世界との見方もできる。)、アメリカ大陸で唯一のダヴィンチの絵。時にダヴィンチ、21才。モデルのジネヴラは16才。美しく才気ある女性として当時のフィレンツェではとても有名だった。…にしては顔色や表情がどうも、などと考えるのは野暮というもの。ジネヴラの知性と人柄を表現するためにあえて、わざとこう描いたのだ。と言われています。絵の裏面には「美は徳を飾る」とラテン語で記されているのだそうです。

 

アルバの聖母 1510 ラファエロ

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ラファエロの聖母子は見ている人に安らぎと幸せを感じさせる。ラファエロ存命中は絶大な人気を博したものの、とんがっていることが芸術なのだ、の今のアートの流れでは評価は他の画家に押され気味…なんだそうですが。しかし人が自分の家に飾っておきたくなる絵。穏やかで平明でキレイで…。スペインのアルバ家が所有していたことから「アルバの聖母」の名が。のちにロシア帝国に渡り、時代は移り当時ソビエト連邦のエルミタージュ美術館がこの絵を売りに出し、アメリカの大富豪が購入。ナショナル・ギャラリー・オブ・アートに寄付した。

 

 天秤を持つ女 1662-1663頃 フェルメール

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 ナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所有するフェルメールは3点。「手紙を書く女」(1665頃)、「赤い帽子の女」(1665-1666頃)、そしてこの「天秤を持つ女」。世界に30数点しかないフェルメールの絵。描かれている女性は、「真珠の首飾りの少女」(オランダ マウリッツハイス美術館所蔵)と双璧の美しさ。静謐な世界に酔いしれてしまいましょう!

 

ホープトガーデン

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イーニッド・ホープト(Enid A. Haupt   1906- 2005)。(「ホープト」「ハウプト」「ハオプト」の表記があります)はアメリカの出版社社長で富豪。ちなみに女性です。スミソニアンキャッスルの南側、 アーサー・M・サックラー・ギャラリーと国立アフリカ美術館の間の65,000㎡あまり、ビクトリアンスタイルの庭園を1987年に寄付しました。

ホープトのガーデニングへの功績は絶大。アメリカ園芸協会にかつてジョージ・ワシントン所有であったプランテーションを贈り、ニューヨーク植物園にあるビクトリアンスタイルの温室のリニューアルに資金提供し、ニューヨークのメトロポリタン美術館、クロイスターズ美術館、フランスはモネのジヴェルニーの庭の維持に多額の資金を提供し、小児がんの子どものために病院に無菌の庭園を作った。女性ならではですね。

 

正面はビクトリアンガーデンですが、サックラー・ギャラリー側は南国風、アフリカ美術館側にはイスラム風のお庭になっていて、季節の花が咲き乱れます。

 

ついでにリンカーン記念館と第二次世界大戦記念碑とワシントン記念塔

ワシントン記念塔はジョージ・ワシントンに寄せて。リンカーン記念館はリンカーンをしのび。そして戦争で海に、大陸に散った命に鎮魂を込めて…。

何しろ地続きなものですから。ワシントン記念塔を横目で見て、せっかくだから行ってみたい。リンカーンの巨大な銅像をこの目で見てみたい…。と。

新宿の高層ビルみたいなもので、まじかに見えるのですが、巨大なので歩くとけっこう遠い。しかし来たからには!行ったからには!

 

ワシントン記念塔から。

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第二次世界大戦記念碑。

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リンカーン記念館。

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記念館内のショップ。

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記念館から。

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も一つ。

ナショナル・モールから見えたアメリカ合衆国国会議事堂。

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