メトロポリタン美術館で絶対見るべきおすすめ23の作品と見どころを紹介する!

アメリカ ニューヨークのメトロポリタン美術館。若き国、アメリカ。代々の王族の所蔵品、ではない。国は栄え、垂涎のお宝は全世界から富の集まるところに吸い寄せられる。そしてお金があればいいってものじゃない。燃える情熱と、選ぶ目がなければ。そしてお宝を守り、語り継ぐ人がいなければ。さんざめき、世界中から集う人々は、いにしえの先人たちのなしとげた遺構の数々に息を呑み、心打たれるのです。世界屈指のコレクションのハイライト、代表作のかずかずをお届けします。

 

デンドゥール神殿 紀元前15年頃

temple of dendur

メトロポリタン美術館のエジプト美術のコレクションは本場カイロに次ぐ。エジプトには、遺跡がありすぎるくらいある。外国に発掘してもらい、成果品は本国エジプトと発掘調査隊とで分け合うのです。20世紀はじめ、1930年代くらいまで、エジプトはわりと寛容で、今では持ち出し禁止!エジプト国宝!クラスの品々が海を渡ってニューヨークにやってきた。なかでも白眉はこのデンドゥール神殿。アスワンハイダムに沈まんとしたこの遺跡は、かのジャクリーヌ・オナシスの計らいで大西洋を渡る。ワシントンD.Cのポトマック川のほとり、そしてボストンのチャールズ川のほとりに移設するプランもありましたが、石の劣化を防ぐため、屋内展示のできるニューヨークが選ばれ、ジャッキーの住む場所からこの神殿を臨むことができるよう、今の場所に、そしてガラス張りの広大な展示スペースが設けられた。スケールの大きさに圧倒されます。19世紀にエジプトを訪れた人のアルファベットの落書きが残っているのはご愛敬♪

この他、お墓もスフィンクスも、そのまま持ってきてしまう。数が多く、手始めに見学者入り口すぐのエジプトから、と美術館めぐりを始めてのめり込み、大幅時間オーバー!必至です。

 

切妻型のチェストと3,500年前のリネン

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紀元前1492–1473年。エジプト。ここまで完全に残っているのです。チェストはともかく。布ですよ。展示はエジプシャン・アートスペース。つまりこの布はミイラをくるむための布。その布が、完全な形で、残っている。今ひろげても、使用に堪える状態で、目の当たりにすることができる。もちろんガラスケースに収められており、細心の注意が払われ、万全の保存の態勢が整えられている。布も粗目細目大小あり。ミイラの下に敷いたり、くるんだり、ミイラの中に詰めたり、使い分けていたのでしょう。やがてよみがえる日のために。

 

ドブロイ公爵夫人 J=A=D・アングル 1851-53年

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フェルメールの「真珠の首飾りの少女」が髪に巻くラピスラズリ色のターバンは究極の青。そして究極の水色とは、この絵の貴婦人が身にまとうシルクサテンのドレスの色ではないでしょうか。19世紀、フランス。滑らかでつややかな肌の白さとレースの純白、黄金に輝く椅子とアクセサーとの対比で水色は、いっそう輝きを増していく…。ドブロイ公爵夫人は、わずか35歳でこの世を去り、ドブロイ公爵は深く悲しみ、この絵にとばりをおろし、終生見ることはなかった。水色は、今は亡き愛しい人の追憶と追慕を呼び起こす色。

 

ジョージ・クリフォードの甲冑 1585年頃 

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この絢爛豪華な甲冑、もとは金と、青だったのです。時とともに色が変わり、今は黒になっていますが。イギリスのエリザベス1世の御世、チューダー王朝時代。全体に施されたバラとユリ、「エリザベス」の「E」の文様が時代の栄華を表します。製作はイギリス王室の工房、身につけたのがジョージ・クリフォード伯爵。伯爵はこの鎧を身につけ、槍を持ち馬上の人となり、御前試合を戦った。女王陛下の名誉のために。さぞかし壮観だったのでしょうね…。

メトロポリタン美術館では、武器甲冑に一大スペースが割かれており、フル装備の馬と甲冑をつけた騎士(ガイドさまは重さ28kgと教えてくださいました。重すぎるのでは…)かの実物大・臨場感いっぱいの展示、そしてヨーロッパのみならず中近東、中央アジア、アジア、当然日本も含む武器や甲冑が一同に会し、展示されています。刀なども、妖気漂う日本刀とナタとみまごう水滸伝の力持ちでなければ振り回せないような分厚く大きな中国の刀なんかが隣り合わせに展示されていて、それそれの国、それぞれの時代、手がけた人々の叡知の結集のオーラに圧倒されます。

 

クーロス像 紀元前590-580年頃

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ギリシャ彫刻のさきがけの作品として有名です。このポーズ、古代エジプトのファラオや王妃さまと同じ。直立して、足を一歩踏み出している。影響ありあり。でありながら、生身の人間ぽさ。同じポーズでも、表現されたものは明らかに違ってきている。そしてこの彫刻の重さは900kgを超えています(高さは194.6 cm)。きちんと立っている。上半身の重みをより細くなりゆく下半身で支える。加え、長い年月を経ても作られた当時のままの姿を保つ。壊れない。を押さえた上で新たなる意匠が生まれる…。画期的なことであり、こちらのクーロス像に続くギリシャ彫刻は人体表現の豊かさとリアルさを兼ね備え、古代の頂点を極めるのです。「クーロス」とはギリシャ語で「青年」。若き貴族の墓標であったと伝わっています。

 

デラウェア川を渡るワシントン エマヌエル・ロイツェ 1851年

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ワシントン、ドヤ顔だ~。アメリカ独立戦争のシンボリックな名場面を大画面・壁いっぱい (378.5 x 647.7 cm)に描いたこの絵。アメリカ人の魂をゆさぶるのでありましょう。織田信長が今川義元を急襲した桶狭間の戦いのごとく、アメリカ建国の英雄かつのちの初代大統領ジョージ・ワシントンはデラウェア川を渡り、敵の部隊を襲い、打ち破ったのです。一方トリビアに走り

  • 実際に川を渡ったのは真夜中で雨が降っていた
  • この大きさの船にこれだけの人が乗っては沈んでしまう
  • アメリカ国旗はアメリカ独立戦争当時のものではない
  • 女性やアメリカ先住民、所謂インディアンが描かれている
  • こんな氷河の中(時期12月)進めない。

…まだまだ続く。しかしリアリティはこの場合さほど重要でではない。国を愛する心。色眼鏡で語られることは多々あるけど、自分の生まれた場所や住んでいる場所を愛することはすなわち自分自身を愛し大切にすることにほかならない。

 

 ホメロスの胸像を見つめるアリストテレス レンブラント 1653年

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世界的なアートの人気の分野といえば、エジプト・ギリシャ・ローマ・ルネサンス・宗教画・印象派。そしてオランダ絵画。黄金期は17世紀。レンブラントのこの作品はオランダ美術の最高傑作のひとつであり、メトロポリタン美術館の至宝のひとつでもある。レンブラントの絵といえば、少なくても有名な絵は黒~茶~白のトーン。お年を召した男性のそれが多い…。つまり内面性と精神性。重くて深い熟慮を重ねる思索。逃れられぬ運命への憂いとそれを見続ける画家の目。描かれている人の、ものの奥深さ余すことなく描き出した。これがレンブラントが巨匠と呼ばれる理由でありましょう。イタリアの収集家に「哲学者の絵を」と依頼され、選んだ画材であり、古代ギリシャの伝説的詩人の頭像に手をかける哲学者の視線はうつろであり、秘める底知れぬ何かがあることを見る人に感じさせる。

  

 糸杉のある麦畑 フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年

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ひまわり、自画像に並び、糸杉はゴッホの作品の有名な主題のひとつ。超有名「星月夜」にも糸杉、描かれています」サン=レミの精神病院に入院し、南フランスの照りつける陽光、燃え盛るかのように立つ糸杉は「さながらエジプトのオベリスクのようだ」と弟のテオに手紙を書き送っています。ゴッホにとって、己の暴れさかる巨大な宇宙の星のような精神のほとばしりは、あまりにも激しすぎて。自分で自分の手に負えない。精神の入れ物としての肉体は、あまりにも小さすぎた。弱すぎた。たたきつけるかのようなタッチはゴッホの絵のオンリーワンの特徴であり、南フランスの光と空気の息遣いを感じることができる。天才ゆえの途方もない心の暗闇を垣間見ることができるのです。

 ゴッホは生涯に2000枚あまりの絵を描いた。うち、メトロポリタン美術館のゴッホの収蔵品は、HPで検索したところ、110件ヒットしました。多い…。

 

ダマスカス・ルーム 1707年

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世界のトップ3に入る巨大美術館ですから、展示もスケールが大きい。トップのデンドゥール神殿しかり。そしてダマスカス・ルームは18世紀のはじめ、オスマン帝国(現シリア)はダマスカスの大商人の邸宅で使われていた冬の迎賓の間。(夏の迎賓の間は別にある)丸ごと持ってきてしまうんですね…。イスラム美術は華麗かつ精緻な装飾が特徴です。金箔は残っていますが、当時塗られていた鮮やかな黄色は褪色してしまいました。壁にはムスリムの詩が40あまり、雅やかなカリグラフィーで記されており、大商人の一族は敬虔なイスラム教徒でもあったのです。

シリアと聞けば、ひっきりなしに伝えられる政情不安、その度ごとに翻弄される人々の傷ましい様子がどうしても頭の中をよぎる。かつてオスマン帝国は、14世紀から20世紀の始めまで世界に君臨した世紀の大帝国でありました。この世には、変わらないものなど何もないのかもしれません。

 

アスター・コート

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 巨大展示その2。中国は上海のお隣、東洋のヴェネチア、ヴェネチアに勝る古都にして水の都、今なお数々の名庭園を残す蘇州の17世紀の庭園をイメージして作られた中国式・屋内式、天井のガラス窓から光が降り注ぐ中庭です。「アスター」の名は、この展示の発案者にして出資者、アメリカの伝説の慈善家にしてソーシャライト、ブルック・アスターに由来します。材料の調達と製作は当然すべて蘇州。1980年、中国人庭師により作庭・竣工。天に向かって大きく弧を描く屋根の形は中国や朝鮮ではよく見かけるフォルム。装飾であるとともに雨を防ぎ、室内をより明るくするのです。

これが中国式!?…違うんじゃない!?といまひとつ腑に落ちん。しかし中国美術鑑賞の合間、中国式の庭園の入口って大きな○型(茶室の入口みたいだ、大きさ全然違うけど)、中国独特の瓦屋根の反り返り、渡り廊下にはラーメンの丼に描かれているかのようなすかしのひさし、下がるランタン、そして欧米のガーデンって、花も色もあふれかえらんばかり、のスタイルが多いから余白を活かしたシンプルなお庭は西洋の方々の目にはフレッシュに映るのでありましょう。

 

オテル・ド・テッセのグランドサロン 1768-72年

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巨大展示その3。18世紀、フランスの大邸宅の客間。真ん中の机はフランス革命で断頭台の露と消えたマリー・アントワネットゆかりの家具です。重厚かつ絢爛豪華で優雅なヨーロッパの室内外の装飾様式、バロック・ゴシック・ロココ・ビクトリアン・エドワーディアンなどなど、見る人が見れば一目瞭然なのでしょうが素人にはなかなか。メトロポリタン美術館には、この展示を始め、イタリアベニス、18世紀、天蓋にキューピットが乱舞する極彩色のサグレド宮殿の寝室、フランス18世紀、青と白と金を基調としたまばゆいヴァレンジュヴィル・ルーム、イギリス18世紀の白の壁、ブルーの絨毯、赤の椅子の布がまばゆいランズタウン・ハウスのダイニングルーム、臙脂のタペストリーを壁全面に配した18世紀イギリスのクルーム・コートのタペストリーの間など、息つく間もない。こんなキンキラキンのお部屋では落ち着かないのでは…、なんてのは平民の発想ですね。

 

中世の彫刻ホールGallery 305 - Medieval Sculpture Hall

巨大展示その4。この吹き抜けの空間は、メトロポリタン美術館開館当時(1880年)のメインホールだったスペースです。ヨーロッパ中世(5世紀~15世紀)に関しては、別館(クロイターズ美術館)すら存在する。メトロポリタン&クロイターズの中世ヨーロッパ美術館のコレクションは世界屈指。ドイツとかフランスにも良いコレクションはありそうですが当然自国中心になる。メトロポリタン美術館はコレクターが系統立てて収集した作品、それも千点単位での寄付を一挙に受け、さらに収集を続けている。

ゴシック様式の大聖堂をイメージした美しくもそびえたつ鉄格子。アイボリーの壁と繰り返されるアーチ。そして静かにたたずむかつては町や村の教会で訪れる人々に、キリストの偉大さや生涯を示し、見つめ、祈り、心のよりどころであった、後世のそれとは別の、素朴ともぎこちなさともとれるキリストさまやマリアさま。もちろん例外はありまして、この画像では向かって右下、

 

ブルゴーニュの聖母子像 15世紀

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これなんか中世の聖母子像ではリアルな方。15世紀、フランス。ブルゴーニュに尼僧院を作るにあたり、ブルゴーニュ公(あるいはブルゴーニュ公夫人)が作らせた聖母子像。幾たびか持ち主が変わり、壁に掛けられていた時期もあり、マリアさまの後ろに回るとその跡がある。あどけないイエスさまは書物を指さし、マリアさまを見つめます。マリア様は書物を膝に置き、我が子を抱く。母と子のほほえましくも神聖なひととき。ノーブルで、どんな人が見ても心がなごむ傑作です。向かって右、マリアさまが腰かけている右にはラテン語で「初めから、世界が始まる前から、私は創られた」と記されています

 

ポンペイの壁画 紀元前50-40年頃

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 西暦79年、イタリアのヴェスヴィオ火山が噴火。ポンペイの町は火山灰に埋まり、町そのものが消えた。発掘はタイムカプセルを開いたかのよう。この壁画、修復ナシ!オリジナル!2,000年の時を超え、そのままの残っていることに、ニューヨークで実物の前に立っていることが不思議でありがたい。ポンペイ郊外の広大な荘園の邸宅のいくつもあった寝室の一つ。郊外なんだから、窓の外には緑が広がっていたことでしょう。正面に描かれているのは東屋と岩肌と水辺と黄金の台とガラスのボウルと果物。左右の壁はほぼ対象。都市の景色が描かれています。当時の人々の豊かな暮らしがしのばれます。

 

 ティファニーのガラス ティファニースタジオ 1923–24

Tiffany Studio Autumn Landscape Metropolition Museum of Art NY 5672

ガイドさまいわく、「アメリカの美術館にいらっしゃるのですから、ぜひアメリカのものも見て行ってください。」と案内してくださったのがこちら。ティファニーって、あの、「ティファニーで朝食を」のティファニーです。ティファニー・スタジオを指揮するのはルイス・カムフォート・ティファニー。米ティファニー社の創業者の子。何しろ御曹司ですから、工房で自分好みのガラスの製造(斑入りとかグランデーションとか)から手掛ける。当時アメリカの富裕層の間では、ティファニー社の大判のステンドグラスを持つことがステイタスであったとか。この作品は秋の景色。大判は自然や生き物(孔雀とか)を題材にしたものが多く、花瓶やランプシェイドなども数多く、アールヌーヴォーのアメリカの雄として、ティファニー・スタジオは父が率いるティファニー社に負けじ劣らずの名声を博しました。

全然関係ありませんが、ミュージアムショップで、ティファニー・スタジオの、これじゃないんですが、白い水仙の花の模様のTシャツ、記念に自分用に買いました!

 

薬師如来の壁画 1319年 

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アジア美術のブースの入り口に控える壁画がこちら。751.8×1,511.3㎝。つまり壁一面。大きい、大きい…。見学者は色を失う。中央の赤いローブをまとい、ひときわ白く輝くオーブが薬師如来さま。左と右は日光菩薩、月光菩薩。そして薬師如来さまをお守りするのは左右に控える武装した十二神将像(金剛力士とか帝釈天とか)。日本の仏像・仏画でもわりと目にしますね(興福寺とか新薬師寺とか)。中国、元の時代。悪い奴らは許さねぇ!!と日本では猛々しいお顔がおなじみの十二神将像さまは如来さま、菩薩さまとともに威厳に満ちていらっしゃいます。

経年による劣化はいたし方ないのでしょうが、何しろ大きく、そしてここから入っちゃダメ、のポールもない。近づいてみると

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お仕えする方のオーブまでもが!表情にいたるまで!はっきりとわかります。

 

砂岩のアプサラス像 11世紀前半

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インド、ウッタル・プラデーシュ州。なんて綺麗なのでしょう。アンコールワットやエローラで、肌もあらわにまばゆいアクセサリーをつけ、神々のお近くで踊るたくさんの女神さまをお見かけします。が、この、メトロポリタン美術館の女神さまは飛び切りの器量よし。ひとたび踊れば、「大阪本町糸屋の娘 姉は十六 妹十四 諸国大名弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」ってやつですかね。「アプサラス」はインド神話の水の精。普段は踊り子、でもどんな姿にも変身できる。結婚は、しているのですが時には上司の神様の命令で、修行に励む男性に近づき、信仰心を試す。…こんな踊り子さんに誘惑されては修行どころではありません。骨抜きにされてしまいそうです。

 

そしてメトロポリタン美術館の美人と言えば、わすれちゃいけないのがこちら。

マダムX(ゴートロー夫人) ジョン・シンガー・サージェント 1884年

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究極の横顔美人。蒼白くも透き通る肌。成熟した女性の程よく脂肪の乗った肩の、腕の、胸のなまめかしいこと…。ジョン・シンガー・サージェントはイタリア生まれのアメリカ人。主な活動の舞台はフランスとイギリス。マダムX(アメリカ生まれの銀行家夫人。ウォリス・シンプソン夫人、のちのウィンザー公爵夫人みたいな野心家の女性だったのでしょう)は当時23歳。28歳のサージェントは人気上昇中の画家。極め付けの作品にしたい。と懇願の末、パリの社交界の華であった夫人を描きました。胸元、ノーアクセサリーです。これは良くない。しかるべき貴婦人なら、しかるべき宝石を身に着けるべき。が時代の常識。さらにこの絵の発表当初、右の肩ひもを二の腕に下げて描いたところ、「セクシーすぎる」とのクレームがつき、スキャンダルの嵐はやまず、サージェントは追われるようにパリを去り、マダムXは下品な女との烙印を押されてしまった。時代とは言え、絵1枚で、これだけのセンセーションが巻き起こるところがすごい。サージェントはこの絵のタイトルも夫人の名入りから「マダムX」に変更。肩ひもはあるべき位置に書き直された。そして二人は二度と会いまみえることはなかったものの、サージェントは亡くなるまでこの絵を手離さなかった。

まず胸元に目がいっちゃう。そして視線は上に…。孔雀の冠のような髪飾り。夫人はもともとはブルネット。明るい栗色の髪は、ヘナで染めていたのだそうです。

 

ストーク夫妻 ジョン・シンガー・サージェント 1884年

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この絵がとにかく大好きなんです。なのでサージェント、2点です。(「マダムX」は絶対に落とせないし)。

女性はセクシーであるべき。または母であるべき。太古の昔から、女性は子どもを産む性だった。の流れから、どうしても我々人間は深い深い潜在意識の奥底、「かくあるべき」に縛られてしまう。しかしこの絵のストーク夫人の美しさは次元が違う。頬は紅潮し、いきいきとして。イブニングドレスじゃない。髪はひっつめ。一切の媚びがなく、なのになんと爽やかなのでしょう。今まで見てきた古今東西の神話の女神、聖書の登場人物、女王王妃王女寵姫、モデルとなり、画家たちのためにポーズをとったミューズたち…とは明らかに違う。見たことのない美しさにノックダウン!

I・N・フェルプス・ストークス 氏はニューヨークの建築家。夫人はエディス。二人は幼なじみで、夫人はのちにニューヨーク幼稚園協会の会長を務めます。この絵は友人からの二人の結婚の贈り物です。ストーク氏は当時のニューヨークの名士でありましたが、その名は今や美術史において名高い。素敵すぎる夫人のファッション。これは夫人の提案であり、夫のストーク氏はナイトのごとく後ろに控える自身の描かれ方に大層満足していたとのこと。

 

そして出さない訳にはいきますまい。

 

 水差しを持つ女 ヨハネス・フェルメール 1664-1665年頃

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メトロポリタン美術館のフェルメールは5枚。「眠る女」(1657年頃)、「リュートを調弦する女」(1664年頃)、「少女」(1666-1667年頃)、「信仰の寓意」(1671-1674年頃)、そしてこの「水差しを持つ女」。ニューヨークにはフリック・コレクションという美術館があり、ここには「中断された音楽の稽古」(1660-1661年頃)「士官と笑う娘」(1658-1660年頃)「婦人と召使」(1667年頃)。3枚。ニューヨークだけでフェルメール全作品30何点かのうち8枚。他にワシントンD.Cに3枚(ナショナル・ギャラリー)なので、2都市で全フェルメールの1/3制覇できてしまう。

17世紀はオランダの時代。黄金時代。空前の経済発展を遂げ、文化が花開く。新興の市民階級の需要が生まれ、風景画、風俗画、静物画の傑作が生まれる。フェルメールはレンブラントとともにオランダ絵画の筆頭。オランダ絵画の前はルネサンスのニューウェイブがあった。こちらはイタリア。派手。華やか。オランダは北の風土か国民性が、堅実で精緻で緻密でなかでもフェルメールのタッチはゴッホみたいに絵具が盛り上がって…なんでのが全然なく、また構図の捉え方が今のカメラのファインダー越しの構図に通じるのだそうで、神の目神の手を神様は与え、後世の我々のために遣わしたのでしょう。神様に愛されながらも、当の本人の生涯には不明な点が多く、生活は苦しく不遇の最期であった。ああ、神様って。神様って。ここから先は、言わぬが花。秘するが花。

 

 廉頗藺相如列伝 黄庭堅 1095年頃

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中国 北宋時代。憧れのメトロポリタン美術館に足を踏み入れ、ガイドブックでひととおり必見!のスポットを巡りました。しかし今回の訪問で予備知識なしでお宝の前に立ち、感動してしまったのがこの書。帰ってから資料を読み漁る。

巻物としては普通サイズ!?タテ35㎝あまり。…1行5文字しか書かれていない。そして筆遣いの自由奔放なこと。紙の上に字の形で現れ、何が描かれているのかわからないのに、ほとばしる激情の人となりが伝わってくる。

「史記」巻八十一中「廉頗藺相如列伝」、かの「刎頸の交わり」で有名。(廉頗は舌先三寸で自分に並ぶ地位に上った藺相如が気にくわない。それを知った藺相如は廉頗を避ける。あまりに情けない、との家来の言葉に「我々の真の敵は別にある。二頭の虎が戦えば、どちらかが死ぬ。秦の思うつぼだ。私が廉頗から逃げ回っているのは個人の感情より国の運命をおもんばかってのことだ」これを聞いた廉頗は自分の思慮の浅さを詫び、二人は仲直りした。)

黄庭堅は北宋の詩の、書の巨人であり、草書の創始者でもあります。草書って、素人考えでなよなよしてる~くらいしか知識がなかった。ところがこの書を目の当たりにしてしまい、スケールの大きさにビビり、そして書は人なり。表現の形は何であれ、秘めたる熱量は、必ず伝わる。

 

翠竹双禽図巻 徽宗帝 12世紀初頭

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メトロポリタン美術館の中国美術の目玉です。北宋第八代皇帝、徽宗帝は、特に花鳥画に優れ、文化人としては中国四千年の歴史中トップクラス。世が世なら雅やかなおっとりの帝で通ったのでしょうが、時代は水滸伝の舞台ともなった乱世も乱世。政治家としては民を惑わせた困った帝です。日本にも1枚、徽宗帝の絵があり(桃鳩図)、10年に一度、一週間しか一般公開されず、アートシーンはその都度大騒ぎ。

伊藤若冲のニワトリの絵を生でまじかに見ると「コレ、人が、手で描いたんだ~」と感動してしまいます。(あ、図版や画像でももちろん::)徽宗帝の小鳥も良いでしょう。びろうどのような羽根の感触、質感。上の枝にとまるもう一羽の鳥に向けてのさえずり。聞こえているのでしょう。もう一羽は振り向き、さえずりを返す。岩肌と芽吹いた若竹の翠のなよやかさ。今目の前に現れたかのよう。超絶写実。そして皇帝がこの絵画で伝えたいことは、鳥の姿でも竹の姿でもなく、その先の境地なのです。

 

 ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャの聖母子 1290-1300年頃

f:id:hitomi-shock:20161217195304j:plain.ガイドさまに「メトロポリタン美術館が購入した最高額の絵をご覧に入れましょう」と連れて行ってもらった。話のタネにどうぞ。お値段は、2004年購入当時、推定4,500万ドル以上。1ドル100円なら45億円。95円でも105円でも40億円台です。27.9 x21 cm。小品です。

ブオニンセーニャはルネサンス以前のイタリアの巨匠で、荘厳な聖母子像がいくつもあり、メトロポリタン美術館には所蔵がなかった。欲しい気持ちはよくわかる。しかし今日では真贋を疑問視する意見もあり、大枚を投じた割には(しかし4,500万ドルなどたいした金額とは思っていないのかもしれない)例えば「メトロポリタン美術館のハイライト」的に、目にする機会はないような。私も初めて知りました。肝心の絵は、貸し出し中で、本物を見ることはできなかった。残念!

 

こちらもぜひどうぞ。

メトロポリタン美術館所蔵の日本美術コレクションです。

 

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