ボストン美術館で見るべきおすすめ作品と見どころを紹介!(日本美術中心)

 アメリカマサチューセッツ州、ボストン美術館に行ったなら、

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 こちらの路線が王道であることはわかっています。しかし。私がなぜボストンまではるばる出かけて行ったか。それは、ボストンにある日本美術が見たかったからなのです。そしてボストン美術館の東洋部門、アジア美術は、世界有数。日本美術に限って言えば、日本以外ではNO.1。太平洋を超えて渡った正倉院と言っても過言ではない。

じかに見たもの、日本へのお里帰りで評判だったものなど、これぞ、のおすすめを紹介していきます。

日本美術  

風仙図屏風 江戸時代 曾我蕭白

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この絵、里帰りするんですね!慎んで追加。

今でこそ若冲・蕭白と言えば大騒ぎですが、一躍脚光を浴びたのは1970年代、辻 惟雄(1932- )先生の著書「奇想の系譜」がセンセーションを巻き起こし、紹介された江戸キッチュ、エクセントリックでかっ飛んだ日本美術の、亜流とも濁流とも取れるダイナミズムあふるる作品群は、見る人の度肝を抜いた。黒い渦巻きは、竜巻。中央の男性(陳南仙人(龍を呼び雨を引き寄せる)とも呂洞賓仙人(中国で一番人気のヒーロー仙人さま)とも)は剣をふるって龍をあやつり、天井の水門を開かしめ、干ばつから人々を救うのです。風のあまりの勢いに2人の男はひっくりかえり、右手奥の草むらにはウサギが2匹。かろうじて立っている。我々の潜在意識にある「日本美術」の固定概念を根こそぎ揺るがす曽我蕭白。「『画』が欲しいなら俺に頼め。『絵図』を求めるなら(丸山)応挙に頼め。」と冗談交じりに語ったとか。江戸時代のサイケデリック、横尾忠則。破天荒な無頼の絵師は大家として京都でその生涯を終えました。享年52。早くに天涯孤独の身となり、己の才能だけを頼りに突っ走った一生。死因は伝わらず、妻についてはわからない。幼い息子を亡くした4年後のことです。

観音菩薩立像 飛鳥時代

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岡倉天心(1863-1913)。明治期、西欧に追いつけ追い越せの時代に、それまでの日本文化は大層軽んじられていた。日本の伝統美と文化の素晴らしさに目覚め、気づき、大切さを日本に世界に知らしめた方。天心は1904年よりボストン美術館の東洋部門の初代部長となり、その際、収集した仏像です。この像、小さい。22.5cmの金銅仏。仏教が伝来し、で、仏様を信じるにはどうすればいいのか。いきなり巨大なお寺や仏像を作れと言われても敷居が高い。小さいものでいいんですよ。とこのサイズの金銅仏は盛んに作られ、お家の中で大切に祀られていたのでしょう。

 

大日如来坐像 平安時代

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大日如来は密教の中心。密教における大宇宙を現わす仏様。1149年製作。「大日」ですから光り輝いている。そして、もともと、仏様はどんな場所で、どんな風に置かれていたのか。

 仏教美術展示室 では

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中央が大日如来。向かって左が阿弥陀如来。右は大日如来。

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そして四隅には四天王2体、不動明王、毘沙門天が控える。

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ほの暗いお寺の中。仏様が薄明りの中、厳かに、遥か遠くから来られ、お伴の者はみ仏を守りに立ち、鎮座している。をアメリカで、ボストンで、体感できる展示になっています。「少しでも日本の寺院を訪れたときに近づける」ため、椅子に腰かけて仏様と対面できます。

 

弥勒菩薩立像 鎌倉時代 快慶

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この像、有名。何度か日本にお里帰りしていますね。鎌倉時代の仏師といえば、運慶・快慶。そして快慶は圧倒的に資料が少なく、運慶に比べ語られることが少ないのだとか。むっちりした肉体表現、流れる着衣のラインは快慶のお家芸。内部に経典が入っていて(もちろんこの経典もボストン美術館の所蔵品)これにより製作年が1189年と特定された。元は奈良の興福寺にあった。 岡倉天心が購入(ああ、売り払ったりしないでほしかった…)。 ボストン美術館 が1920年に遺族 より 購入。

 

金銅聖観音坐像 鎌倉時代 西智

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この仏像も超絶国宝級。鎌倉時代の金銅仏の最高傑作の一つと呼ばれている。保存完璧。「西智」検索かけてもさっぱりヒットしません。もとは滋賀の金剛輪寺にあった。(ああ、売り払ったりしないでほしかった…←以下全部同じなのでこれで最後にします)台座に製作年が1269年であること、作者が西智であることが刻まれています。地方豪族の栄華のありようと、運慶快慶以降の仏師の仕事ぶりを見て取ることができる。蓮の花を型どった台座、仏様のバックには光輪が立ち、オーブが、オーラが燃えている。細工の流麗さ。精巧さ。

 

こんなかんじで

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近くに置かせていただき、感激。

 

普賢延命菩薩像 平安時代

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息を呑んでしまいます。赤と白の房が下がる天蓋の下、仏様と白象の白い肌のなまめかしいこと。コスチュームとアクセサリーの華麗なこと。象は牙にもお化粧してる。口紅を塗っている。ネックレスが揺れれば、ひときわきらめいたことでしょう。「延命」ですから、命を延ばしてくれる仏様。頭飾りには5人に小さな仏様。3つの頭を持つ像と、足元は法輪の下に8頭の小象。四天王が周りを固める。象の異形の表情と、仏様の伏し目がちの目線が、いっそうこの絵を幻想的なものに。

 

龍虎図屏風 桃山時代 長谷川等伯

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桃山時代の天才、長谷川等伯絶頂期の屏風。「松林図」は東京国立博物館で。そして「龍虎図」はボストン美術館で♪みなぎる余白。ドラマチックな画面はとりすましたそれまでの日本の絵にはない個性で、当時のアバンギャルド、最先端。一陣の生温かい風が吹き、暗雲垂れこめ、龍が雲間からゆっくりと姿を現す。虎と龍の目が合う。新たな時代の幕開けとともに。6双だからざっと3畳。が2つ。

ちなみにボストン美術館のホームページから確認できる長谷川等伯は6点。

 

乗興舟(断簡)江戸時代 伊藤若冲

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これ。若冲なんです。極彩色の鶏とか鳳凰とかオウムにしようか迷ったのですが。それも「拓版画」。石碑とかに墨を塗って石碑の魚拓を取る、あれ。ですのでモノクロで、色は反転します。黒は白、白は黒と読み替えなければいけません。ええトコの隠居、若冲が淀川下りをしたときの景色を絵巻物にまとめ、「断簡」つまり一部がボストン美術館の手に渡った。若冲の実験は、碁盤の目のように、正方形のマス目を埋める「樹花鳥獣図屏風」は有名ですね。あれは、若冲の実験の一部だったんだ。この絵も、モダンですね。

ボストン美術館のホームページから確認できる伊藤若冲は37点。

 

松島図 江戸時代 尾形光琳

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松島には行ったことありますが。曇りだったのでしょうか。こんな色とりどりではなかったような…。空は、金色。波も金色。ゴールド。うねる波しぶきは白。同じくアメリカはワシントンDC.には俵屋宗達の「松島図屏風」もありまして、江戸のビッグネームの松島の屏風が2双、なぜかアメリカの東海岸にある。宗達の絵も金を基調としており、時代としては宗達17世紀、光琳18世紀なので、光琳はもちろん宗達の絵を知っていたのでしょう。フェノロサが手に入れた、外国人が初めて手に入れた日本の絵の傑作。

ボストン美術館のホームページから確認できる尾形光琳は24点。俵屋宗達は11点。

 

松千歳の契り 江戸時代 鈴木春信

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 驚くなかれ、ボストン美術館のホームページから確認できる鈴木春信は666点。絵や彫刻と違って浮世絵は単価も安いし、モノも多い。(浮世絵1枚は当時のソバ1杯分だったとか)浮世絵の祖が岩佐又兵衛(ボストン美術館所蔵1枚)・菱川師宣(ボストン美術館所蔵135枚)なら春信は錦絵の祖。甘く、夢見る少女のような画風は春の夜の風のよう。抒情と雅やかな気品に満ち、この絵も松・梅・鶴・恋する2人とめでたいものづくし。

 

雛形若菜の初模様 あふきや内 たき川 おなみ めなみ 江戸時代 鳥居清長

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 今で言うモデルさんや女優さんの宣伝写真。最新ファッションの発信でもあった。着物の柄も帯の文様も、新柄をいち早く書き込み、絵は一層リアリティを増す。鳥居家の、清長の本業は歌舞伎の絵看板屋さん。副業の浮世絵で、歴史に名を残す。清長といえば8等身美人。なよなよくねくねしたところのない、長身で、堂々たる体躯。きりっとした表情とすっくと立つ清長美人は見ていて小気味よい。サモトラケのニケやミロのビーナスが反射的に頭に浮かぶのです。スケールが大きい。

ボストン美術館のホームページから確認できる鳥居清長は763点。

 

稀に逢う恋 江戸時代 喜多川歌麿

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歌麿の絵を見ていると、この人リアルでは相当非モテだったんだろうなあ。との凄みを感じます。歌麿美人のどれもこれも、女性を偶像化し、自分には手が届かないものをあがめたてまつり、女のすべてを描いて描いて描きまくる。自分は地べたに這いつくばり、女性は高みへ、高みへと。凄惨な大年増の大首絵なんかも、いいんですが、この絵は初々しい武家娘。バックの雲母摺も、ピンクです~。

 ボストン美術館のホームページから確認できる喜多川歌麿は1,161点。

 

絵や屏風は1点ものですが浮世絵はある程度の数刷って売るから、同じ絵柄の浮世絵が世界中の美術館博物館に点在している…はよくある話。1枚1枚状態が違い、刷りが新しいと色もよく付く。見比べる楽しさはあるものの、同じ絵、東博も持ってる…。ことも多い。写楽も北斎も広重も、質・量とも所蔵量は圧倒的。…しかし、やっとのことでたどりついたボストン美術館の展示は、私が行った時には、実は寂しかった…。美術館内ではテーマに沿った特集展示があるから、浮世絵をやれば圧巻なんだろうな。時々開催される日本での「ボストン美術館」の名のつく里帰り浮世絵展は、必見!

ボストン美術館のホームページから確認できる東洲斎写楽は95点。葛飾北斎は1,829点。歌川広重は6,137点。

 

行ったときの浮世絵は

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地味でした…。でも

 

月百姿玉兎孫悟空 江戸時代 月岡芳年

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この絵が展示されていたのです!満月をバックに見栄を切る孫悟空の鮮やかさとカッコよさに一目ぼれし、ずっと憧れていたので、感激。展示のお題は「猿」。所蔵の日本の作品の中から猿が描かれているものをまとめて展示しており、ミニコーナーでしたが、見ごたえあり!

ボストン美術館のホームページから確認できる月岡芳年は547点。

 

白絲威鎧 江戸時代

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淀稲葉氏伝来。黒・白・金・朱の色のハーモニー。

 古い鎧は糸がボロボロでありがたく珍しく大切なお宝とはいえ、目にはあまり楽しくない。この鎧は古さも程よく、りりしい武者ぶりがしのばれます。兜は14世紀の名品を使用しているのだそう。

展示は

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鐙や刀や鍔と一緒。隣には

 

芥子図 江戸時代 宗達派

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赤いポピー、白いポピー。きれいだ…。優美だ。グレース・ケリー連想しちゃった。琳派の画家筆。ただし署名も落款もない。加賀百万石前田公が天徳院(金沢のお寺)に寄進したもの。花びらの1枚1枚が薄く、金箔が透けて見えるような。

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美術館の画像と、自分の目で見た実物・自分で撮った写真ずいぶん違う。特に金箔。そして花びらの色。行ってみなければわからないものです。

 

1階(アフリカ美術)と2階(日本美術)の間の階段

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和を感じさせる工夫が。

 

天心園

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ボストン美術館の一角、入場料なしで入れる日本庭園。4月から10月、土曜日~火曜日10:00~16:45水曜日~金曜日10:00~19:30開演。荒天時は閉園です。リンデ・ファミリーウィング2階のダフネとピーター・ファラゴ展示室の窓から見ることができる。2015年に日本テレビの寄付により改修されたばかりで、キレイ。15世紀の禅寺を思わせる枯山水様式。熊手で白砂を引き、できた模様で水の流れを表現する。

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私が行った時には、お客さん待ちのタクシーの運転手さんでしょうか。ベンチでお昼寝してました。

作庭は、「昭和の小堀遠州」こと中根金作。ああ、どこまでも一流どころばかり。師いわくこのお庭「ニューイングランドの山々、海、島々の本質を表現しようとしました。」(1987)ホント、ボストンは陽光柔らかく緑映え、良いところ。

 

日本美術以外

ボストン美術館をガイドブックで見れば、取り上げられる作品はどうしても印象派などのヨーロッパ美術に偏る。ヨーロッパ・日本以外で良かった展示や目玉の所蔵品をご紹介します。

 

中国美術

有名なのは

搗練図 北宋時代(12世紀) 伝徽宗皇帝

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北宋の暗君、茫洋君にして超一流のアーチスト、徽宗皇帝。絹を打ち、紡ぎ、縫い、伸ばす。原本は唐時代。をリライト・コピーしたのがこの絵巻。筆が徽宗か、宮廷画家によるものか、決定打に欠き、断定できない。唐の風俗をパーフェクトに再現できているかには疑問符がつくのだそうですが、髷の形や髪飾り、うすものをまとい袖をたくしあげ、萌えてしまううなじ。女の手仕事のさまの綿密な描写で、中国王朝絵巻をまじかに感じてみたいなー。このコスチュームのシルエット、ナポレオン時代と同じ!

 

展示でうっとりしてしまったのは

 

観音立像 北周または隋時代(6世紀)

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風を受け(衣の袖がたなびいている)手にお持ちなのは、蓮の花ではなく、レンコンなんですね。お召し物の素晴らしい事。全身にアクセサリーを飾り、白い仏像なので清楚でありながら慈愛と気品に満ちて。2.5mの巨像なので、私どもを見下ろしていらっしゃいます。アルカイックな微笑にノックダウン!純粋に見た目だけなら、この仏さまが一番かなあ。

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風の流れが、横からの方がよくわかりますね。

左に見えている絵は

姨母育仏図 明時代(16世紀)(壁画)

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「姨」は「妻の姉妹」。ブッダ様のお母さんはブッダを産んで7日めに亡くなってしまい、妹のプラジャーパティーがブッダを育てた。276.8 x 345 cm 。お義母様より側近くの侍女に目が行ってしまいます。きれいどころ揃いです。壁をはがして持って帰るなんて。そしてここまで元の形に近づけることができるのだ…。淡いグリーンのトーンが上品で、状態もかなり良い。

 

同じお部屋には

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 六朝時代の空飛ぶミュージシャンや

 

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唐の時代に石に刻まれた釈迦三尊像の右側の仏さま。

(一番美形だったのでアップで。)

 

菩薩座像 東魏時代(6世紀)

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洛陽郊外の名刹、白馬寺から出土したもの。白馬寺は1世紀に創建された文献で確認できる中国最古のお寺で、中国では超有名。近くに中国三大石窟(莫高窟・雲崗石窟・龍門石窟)の1つ、龍門石窟があります。上の「観音立像」も6世紀。同じ中国、たいして年代も違わないのに、ここまで様式が違うとは。「観音立像」が清艶なら、こちら「菩薩座像」は清柔。冠が高く、より一層お顔を面長に見せ、足を交差させたりこの像のように片足を膝に乗せ、シルエットを三角形に見せるスタイルは、中国の魏の時代の仏像の目立ったスタイルです。裾のドレープのひだひだとスカート?のプリーツがはっきりわかりますね。

 

展示は

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ライトを浴びて、テラコッタ色。

 

中国陶磁

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浮世絵が西洋の度肝を抜き、世界を席巻したというなら、中国の陶磁器の焼きしめた白い肌と染付の色・模様・完成度はもっとずーっと前から、世界中の羨望の的でありました。もちろん、ボストン美術館にも、陶磁器、揃ってますし。

青銅器

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 中国の青銅器は、古代の人々の祈り。今みたいに世界中の様子が瞬時にわかるはずはない。そして人の命はもろかった。見えぬ未来に平穏無事と五穀豊穣の願いの切実さは、今の私たちのお寺や神社や教会での祈りとは、きっと全然、違うんだろうな…。

 

韓国陶磁

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韓国陶磁の白さも青さも(青磁って薄緑色だから緑も、と言うべきかも)上品で優しく女性的で、大好き。2012年にオープンしたばかりの新しいコーナー。

 

南アジア(インド、ネパール、スリランカなど)美術

観世音菩薩

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インド語では!?「アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteshvara)」とおっしゃるのです。11世紀。パーラ朝。パーラ朝は仏教と芸術を厚く保護したため、この時期のインドの仏像はとりわけ見目麗しい。同じ仏様で、インドと日本、なぜにここまで違うのか。日本の仏像にセクシーさ、皆無、は言い過ぎでも、インドと比べたら雲泥の差だものなあ…。ミケランジェロのダビデも良いですがインドの優男にも、もちろん心惹かれます。


東南アジア(インドネシア、カンボジア、ミャンマー、タイ、ベトナム)美術

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下段、台に乗った白い水差しは(油さしだったのかもしれないとのこと)

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ベトナム・李朝時代、11~12世紀のもので、完全無欠、割れも欠けもなく残った奇跡の品なんだとか。注ぎ口、細いし、長いし…。よくも残ってくれました。もともとは白磁だったのでしょうか。経年で、韓国の白磁とかも貫入が入りますが、土が違い、釉薬ももちろん違うのでしょうから、同じような技術で作り上げた陶磁器も、今見るとここまで違う。

 

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仏像(仏教にいてもほかの宗教にしても)や彫刻って、中国、日本と東下するほどにインドのエロティックさは薄まっていくような。つまり東南アジアは中継地点。は残しつつもより温かみ、柔らかさが増すような気がします。そして石も、材料も違うのかなあ。野ざらしの仏様が多かったのかもしれない。粗削りっぽいものが多かった気が。表情もわりと固い。

 

イスラム美術

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13~14世紀ごろのペルシャ(今のイラン)のタイル。

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 装飾にかけてはインドに負けじ劣らず、百花繚乱の華やかさにに目を奪われるイスラム芸術。ムスリムの教えは偶像崇拝ご法度なので、かわりに幾何学模様や花や蔓の文様が生み出され、神の姿を見せるのではなく、いまここに神がいることを感じる、感じさせる。制約が、イスラム芸術の独自の開花のヒミツなのですね。

 

メソアメリカ美術

オルメカの仮面

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中央の白い仮面が「オルメカの仮面」。紀元前6~8世紀ごろ。メキシコ。ヒスイ。副葬品ないしはツタンカーメンのマスクみたいな死者の仮面。葬儀の儀式において仮面は火に投じられ、白変するのです。マヤやアステカに先立つ、中央アメリカの最古の古代文明が、オルメカ。15世紀、スペインのコロンブスが発見!?するまで、独自の発展と繁栄を重ねてきた。

アメリカの美術館なのですからアメリカ生まれの古今東西の展示にも大きなスペースが割かれています。地元、アメリカ国民の方々が一番熱心に見て回るのは、もしかしてアメリカ美術のブースなのかも。

 

アフリカ美術

馬上の統治者

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16世紀、アフリカ。正装の戦士。 凝った羽毛の冠、貝をあしらった豪壮な襟飾りは身分の高さの象徴。アフリカ・ベニン王国(現在のナイジェリア南部)の国王の副葬品。ベニンではなく、その周辺の王の像ではないか、との説が有力。

アフリカンアートは、複雑に絡み合い、幾多の文化の刺激や影響から全く離れたところに源流があり、孤高にオリジナルであるところがユニークすぎる存在。DNAの違いを感じさせる作品ばかりです。

 

まとめ

ボストン美術館は広大で、観光客が集中する展示スペース以外にも心惹かれる展示は必ずあります。所蔵品の展示のみならず、通路や階段などにも工夫がこらされており、はるか昔に作られ、不思議なご縁でアメリカのみやびなる都、ボストンに世界各地からやってきたお宝の故郷を感じさせる仕掛けがたくさん。機会があればぜひ、行って、見て、楽しんでください!!

 

おまけ(ミュージアムショップでのお買い物)

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記念に。と買った本。ボストン美術館の所蔵品のジャンル別のガイドブックです。中国、日本、韓国。全部英語。写真を手元に置いて眺めることができるのはありがたい。コレクションナンバーも入っているので、ボストン美術館のホームページから番号入れれば作品のページにダイレクトに飛べるのがありがたい。オンラインショップでも購入可。日本にも発送可です。

 

ちなみにこちらのMFA Highlightsシリーズは全15種類。各19.95~24.95ドル。(日本芸術の本が一番高い!気合入ってます!)

  • American Painting(アメリカ絵画)
  • American Decorative Arts(アメリカの装飾(家具・食器など))
  • Native American Art(アメリカ先住民芸術)
  • European Painting and Sculpture after 1800(1800以降のヨーロッパ絵画と彫刻)
  • European Decorative Arts(ヨーロッパの装飾)
  • Arts of China(中国芸術)
  • Arts of Japan(日本芸術)
  • Arts of Korea(韓国芸術)
  • Classical Art(古代ギリシャ・ローマ芸術)
  • Arts of Ancient Egypt(古代エジプト芸術)
  • Contemporary Art(現代アート)
  • Photography(写真)
  • Musical Instruments(楽器)
  • Textile and Fashion Arts(織物とファッション)
  • Conservation(研究成果や過程などの一般客向けの紹介)

ショップのベストセラーはモネやゴッホのパズル、マグカップ、カード類やエコバッグなど。

 

ボストン美術館で絶対見るべきおすすめ20の作品と見どころを紹介する!

アメリカ東部、マサチューセッツ州ボストン市観光の目玉中の目玉、決定版はボストン美術館 (Museum of Fine Arts, Boston 略称MFA) 。

 

どこがどうすごいのかはこちらにもう書いてしまいました。

 

hitomi-shock.hatenablog.com

 

 

有名な作品、みどころなど。

 

 

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(…絵が四角でなく、台形に映っている。あまりにお見苦しいため、以後パブリックドメイン画像でお届けします。)

 

ラ・ジャポネーズ (着物をまとうカミーユ・モネ) 1875-76 クロード・モネ 

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 フランス印象派の日本への傾倒を示す絵として名高い。近年修復され、日本でも展覧会が開かれこの絵がやってきて、大盛況だったのも記憶に新しいところ。

 

 はるばるアメリカまでやってきた甲斐あって、本来の展示、ボストン美術館では、待ちなし。行列なし。順路なんかないから、一目散にお目当ての絵に向かって、じっと見ていてもかまわない。歴史に残る名画名作をさくっと1日でまとめて鑑賞できちゃう。

 

そして画像では決してわからない。まず絵が大きい!額こみでかるく一畳くらいあります。そして各々の絵の質感やタッチ。生々しさと臨場感はやっぱり実物を目の当たりにしなければ。この絵も、上下の画像を見比べていただきますと、着物の武者絵のあたりの重量感。微妙に違うでしょう。緞帳のように重厚な和刺繍を、てりも輝きもそのままに、異国のモネが見事に表現していることにうならされます。実物はもっと、絢爛豪華だった!

 

睡蓮 1905 クロード・モネ

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ボストン美術館のモネのコレクションはフランス以外ではNO.1。印象派のどこが新しいかって、モノは光と影で時に色を変え、移ろう。その瞬間を閉じ込めた。モネの睡蓮の絵は200枚以上あるそうです(1897年ごろから30年近く同じ主題で書き続けた)。水面に映るのは雲?木の陰?曖昧に広がりゆく睡蓮の葉と花が続き連なる。

 

ルーアン大聖堂(太陽の効果)1894 クロード・モネ

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ルーアン大聖堂(正面・夜明け)1894 クロード・モネ

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 「ルーアン大聖堂」は全部で33枚。うち2枚がボストン美術館所蔵。「睡蓮」シリーズより少し前。1892~94年にかけて集中的に描かれ、モネ中期の代表作の一つです。水蓮が水面ならルーアン大聖堂は大聖堂というモチーフで、満ちる光が刻々と移りゆくさまを捉えた。印象派ならではの着眼点。

 

印象派は、登場した当時はアバンギャルド。新しいものは斬新すぎてえてして世間には受け入れがたい。初めはバッシングの嵐だった。しかし、見抜く目を持つ人たちは確かにいて、ニューヨークの個展での大成功に始まり(新大陸アメリカは新しい価値観を受け入れるキャパシティを持っていた)、その後各地で個展を重ね、今日の印象派の人気があります。

 

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 1897-8 ポール・ゴーギャン

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ゴーギャンの代表作であり、畢生の大作と言って差し支えない。ボストン美術館の誇るお宝の一つ。展示も壁一面。(実物は大きい…139.1cm×374.6cm)

この絵、向かって右から左に見る。右は赤ん坊。真ん中、両手を上げ上を向く人物が青年期、そして左端が老婆。人は生れ落ち、老いて死ぬ運命から逃れることはできない。ブルーグレイを基調にした色づかいが深淵を感じさせ、この絵を描き上げた翌年世を去るゴーギャンの精神世界を現わしている。と言われている。20世紀、印象派を経てキュービズム・フォービズムが隆盛を極める、さきがけとなった作品。

 

 ペイルレ渓谷 1889 フィンセント・ファン・ゴッホ

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1889年、ゴッホはフランス南部プロヴァンス地方の精神病院に入院したころに書かれた絵。灰色の荒々しくも生々しいタッチは、機会があればぜひ、生でご覧ください~。この「ペイルレ渓谷」も世界中に3枚、あるんだそうで。現地サン=レミには、「ゴッホはここでこの絵を描きました!」の看板!?プレートが町のそこかしこに立っているのだそうです。

 

郵便配達人ジョゼフ・ルーラン 1888 フィンセント・ファン・ゴッホ

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 ルーラン夫人 ゆりかごを揺らす女  1889  フィンセント・ファン・ゴッホ

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このお二人、ご夫婦なんですね。サン=レミに移る前、アルルでのゴッホのご近所さん。ゴーギャンとの共同生活に疲れ、耳を切り落としたり幻覚に悩まされているゴッホの面倒を見てくれた、心優しい隣人でした。ゴッホといえば、どうも人との距離をつかむのが苦手らしい、今なら別の病名がつきそうな人、とのイメージがあります。そのゴッホが心を許し、ご主人の絵は4枚以上、奥様の絵は5枚。確認されています。

 

世界の名画を見ても見ても終わらないのは、…天才って、多作なんですね~。描いて描いて描きまくってるんじゃないのか…。

 

奴隷船 1840 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

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イギリス ロマン派の風景画家ターナーと言えば、静謐感あふるる風景画を描く人、とのイメージがあるのですが、この絵のなんと激しいこと。

それもそのはず、この絵は1781年の奴隷船、ゾング号の残虐非道事件を題材にしています。奴隷を乗せ、アフリカから出航したゾング号。人間を荷物扱いし、船内には疫病が蔓延。船長は奴隷133名を、手と足をつないだまま、海に投げ捨てた。そして「荷物」の保険金を請求したが「管理不行届」で請求は却下された。とのどこからどこまでもむかつく一部始終に怒り狂ったターナーが描き上げたのが、この絵。

水平線の太陽は燃え、波は高い。それでも船は進み、船跡の荒々しさ、沈む人々の絶望と絶叫と悲哀。。。

インパクト強し。今回のボストン美術館紀行で、一番感動したのは、この絵かも。

 

種まく人 1850 ジャン=フランソワ・ミレー

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ブランスバルビゾン派の巨匠、ミレーの代表作の一つ。有名な絵です。この絵もボストン美術館の至宝。神様だの神話だの名勝ではなく、農民を描いた。土とともに生きる人間のダイナミズムと静寂。そしてこの絵は聖書の題材がベース。キリストの教えを種まき伝え、やがては豊かに実を結ぶとのメッセージも込められているのです。

「種まく人」は世界に2枚。もう1枚は、日本の山梨県立美術館に展示されています。

 

以上、ガイドさんが「この絵はここにあります」とパンフレットに書き込んでくださった絵のご紹介でした。つまり、ここまでがダイジェストツアー。ゴーギャン・ゴッホ・ミレー・モネ・ターナー。1~2時間で一挙に目にすることができる!!!しかも各室、お客さんはせいぜい20~30人!!!お得感果てしない!!!

 

しかしこれで終わるのも惜しいので…さらに続けさせていただきます。

 

犠牲(旧約聖書)1626 ピーテル・パウル・ルーベンス

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イエス・キリストがすべての人の罪を引き受け、十字架にかけられるまで、人々は神様に命の捧げものをしなければならなかった。子羊は祭壇に備えられ、剣を持った男は神に忠誠を誓い、加護を祈るのです。

 

修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像 1609 エル・グレコ

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この絵、日本で大々的にグレコ展が開かれたとき、来ているのですね。「良かった!」との声多数。グレコといえば祭壇画がまず頭に浮かぶ。青だの黄色だのの衣を着た人や天使が空を仰いでポージング…そして画面上部には輝く光と天使たち、と芝居がかった印象がある。そしてこの絵の何とさわやかなこと。強靭で繊細なイケメン(神に仕える方にこんな言い方していいのかしら)の外面と精神に、鑑賞する皆さまは心洗われたのでしょう。

 

カルロス皇子と侏儒 1632 ディエゴ・ベラスケス

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バルタサール・カルロス・デ・アウストリアは、ベラスケスの絵ですから、スペインの王子さま。かの「ラス・メニーナス」のマルガリータの、母親違いのお兄さん。1929年ですから、この絵に描かれているのは2~3才のころ。小さい子だけが持つ、ぷっくりしたほっぺに、つぶらな瞳の愛くるしさ。このいたいけのない子は、未来は国をしょって立つのです。「侏儒」とは小人のこと。(とは言え、ご学友ならぬ遊び友だちにしか見えないのだが…)左手のリンゴ、右手のガラガラが未来の王の球と笏を暗示します。しかしカルロス皇太子は、天然痘でわずか16才で早逝します。

 

チャールズ一世の娘、王女マリー 1637 ヴァン・ダイク

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 ヴァン・ダイクはルーベンスの弟子。巨匠と一緒にいても後塵を拝するだけ。と心機一転、イギリスに渡り、持てる才能を存分に開花させた。フランス、ルーブル美術館所蔵「英国王チャールズ1世の肖像」はフランス国王の我こそは絶対無二の君臨者、自分大好きとは真逆の自然とともにある国王のさりげない振り向きショットなんか、絶妙。

王女マリー、メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートはチャールズ1世の長女。このとき6~7才。自分の運命に立ち向かうかのように、子ども服ではない。大人の女性の服装です。マリーは10才でのちオランダ総督となるウィレム2世と結婚し、19才で夫を天然痘で失い、未亡人となります。そして29才で、夫と同じく天然痘で、世を去るのです。

 

ブージヴァルのダンス 1883 ピエール=オーギュスト・ルノワール

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世界は美しく、人生は味わい深い。真正面から言い切るのは大人の身、いささか恥ずかしい。しかしルノアールの頬染めた女性の絵を見ていると、無条件にこの言葉が浮かんできます。ブージヴァルは地名。格式ばらず、市民が憩う川辺で、恋人たちは踊るのです。ピンクの、赤の縁取りのドレスに、赤い帽子。男性も、おしゃれして。男性は恋する人に顔を近づけ、女の子の心はきっと、もう決まってるんだわ。今目の前にあるものが美しいのです。

 

赤い肘かけ椅子のセザンヌ夫人 1877 ポール・セザンヌ

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セザンヌは印象派から出たが印象派にとどまらず、のちの20世紀の絵画の流れを先取りした色彩の魔術師。画家が惚れる画家。ピカソもマティスもモンドリアンも、ルーツをたどれば皆セザンヌ。絵でしか表現できない世界。1枚の絵の中にねじまげられた空間があったりする。絵は見えたままでなく、何があってもいいのだ…。って方ですから。この絵はまだ初期のセザンヌ夫人ですし、セザンヌ夫人、オルタンス(書かれた当時は内縁、のち入籍)さまの表情がいささか固いのも。気にしない。色遣いと全体の調和を見せていただきましょう。

桟敷席にて 1878 メアリー・カサット

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 いい絵ですねえ。思わずため息出ちゃう。アメリカが誇る印象派の女性画家、メアリー・カサット。「母子像のカサット」とか言われており、19世紀後半のフランスとアメリカに降り立ったラファエロであり、喜多川歌麿であり、上村松園です~。王女様のきらびゃかな絵じゃなくて、普通の人の日常生活に題材を取った柔らかな温かな女性像は、心に染み入り、余韻に浸れる。

この絵は、ドラマティック。桟敷席の女性は黒づくめ。片手に扇子を握りしめ、オペラグラスで舞台を見つめ、正面の紳士は身を乗り出して貴婦人を見つめる。を同時に見通す、第3の視点。絵の壮麗な舞台装置と息詰まる瞬間と貴婦人の肌と表情。

 

メンカウラー王と王妃の像 紀元前2490–2472

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1905年から1942年まで続いたボストン美術館とハーバード大学共同発掘調査隊がエキプト、ギザで1910年に見つけたお宝。1911年にエジプト政府より正式に寄贈。メンカウラー王の在位は紀元前2532年から紀元前2504年。夫人は2人いて、どちらがこの像なのかは不明。石造です。一見して固い。ギザのスフィンクスなんか、風化しているのに。そして傷一つない。奇跡です。古代の人はどうやってこの超固い石を刻み、王の威厳に満ちた表情と王妃のアルカイックスマイル、二人の滑らかな肌を掘り出したのでしょう。夫婦は共に一歩を踏み出し(エジプトでは普通男性は左足を前に出し女性は足を揃えるだそうですがこの像では一緒)頭巾とあごひげはファラオの印。王妃は王の腕と腰に手をまわししとやかに寄り添う。

 

そして忘れちゃいけない。

吉備大臣入唐絵巻 平安時代

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日本にあれば即国宝です。奈良時代、吉備真備が遣唐使として唐に渡った。その才をねたまれ、さまざまな無理難題を吹っ掛けられますが、スーパーマン真備は異国の地で故郷を懐かしみつつ世を去った阿倍仲麻呂の亡霊の力を借りて快刀乱麻、鮮やかに難局を切り抜け、見事帰国を果たす。図録持ってるんですが、手に汗握ります~。1932年、このお宝がボストン美術館の手に渡ったことを知った日本政府は、あわてて「重要美術品を国外に出すことはまかりならん!!!」の法律を作った、とのいわくつき。このクラスになりますと、常設展示とはいかない。同じ人が描いたとされる「伴大納言絵巻」は当然国宝。東京出光美術館蔵です。どちらも狙って行って、極めてみたい!

 

平治物語絵巻 三条殿夜討巻(鎌倉時代)

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 こっちだって日本にあれば国宝ですよ。まったく、なぜアメリカにあるのだ。

平安末期、武士の時代の始まりを告げる源氏と平家の争い。この絵巻物は保元の乱・平治の乱の平治の乱(1159)の方を100年後に描いている。御所三条殿を源氏が襲う!燃え盛る炎、逃げ惑う人々、敵の首を討たんとなだれ込む甲冑の群れ…他2巻は東京国立博物館(国宝)と静嘉堂文庫蔵、1巻は分断されていろいろなところにある。他は散逸してしまった…。全15巻くらいではなかったか、と推測されています。残っているもののうち、NO.1は文句なく、ボストン美術館所蔵!

 

まとめ

今回の紹介はカサットだけになってしまいしたが、アメリカの美術館ですから、アメリカ美術・南アメリカ美術にも相当のスペースが割かれており、現代アートのブースにも力入ってます。そして日米以外の言語でボストン美術館の検索かけますと、各国が目をつけた自国のお宝などもわかって面白かった。所蔵品は膨大。2日間通いました。できれば、もう1週間、時間が欲しかった!機会があればぜひ!そして時間を作って美術館のためだけにボストンを訪れるだけの価値ある美術館です。

おまけとしてパンフレットの画像、楽器の展示室の写真、入館情報など。

 

おまけ

ボストン美術館の日本語パンフレット

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楽器室

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外観とエントランス

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前庭にいたガチョウ。

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入館情報
  • 入館料は25ドル。10日間有効なので、半券を持っていけば10日間、入館無料。65才以上と18才以上の学生は23ドル、17才以下無料。
  • 開館は木曜日・金曜日のみ10時~22時。土曜日~水曜日は10時~17時。ただしアメリカの祝日は休館日になることもあるので、事前に確認を。
  • ツアーガイドのヘッドフォンは5ドル。端末操作して日本語バージョン選択可。ただしバッテリーがたりないこともあるので、事前に確認を。(見学中、交換場所に戻るのは時間とエネルギーが勿体ない。)ただし日本語の解説のある作品は限られる。
  • 休憩場所は展示スペース、ホール等に数多くある。初日は時差ぼけもあり、ソファでバッグを胸に抱き、お昼寝してしまった。つまり、安全。身の危険とかはまずないが、外国であることを忘れず、自分の身は自分で守ること。
  • 屋外に日本庭園の「天心園」がある。ここは入場無料。
  • レストランとカフェあり。
  • ミュージアムショップの図録は、日本語版は見つけられなかったものの、ジャンル別の図録がシリーズで出ていて、自分の好きな本だけ選ぶことができるので、その点、便利。
  • 帰り、タクシーを拾うつもりで、ガイドさんは、「いつも何台かはいますから」とのお話でしたが、夕暮れ時、美術館を出るとタクシーは影も形もなかった。大通りに出れば、タクシー、拾えます。

  また、思いついたら、追記していきます。

ボストンから少し離れた町の文豪のお墓とか独立戦争の必見スポットとか。

アメリカマサチューセッツ州ボストンの町中から車で1時間たらず。コンコードとレシシントンに連れてっていただきました。このあたりはボストンのベッドタウンであり(鉄道も通っています)人々とともにある自然がたおやかにもまぶしく美しく輝く場所。さらにアメリカ独立戦争の史跡やアメリカ文学の巨匠ゆかりの地でもあります。楽しかった!

 

 

コンコード

ヘンリー・デイヴィッド・ソローの家

 

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ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862)とは?

アメリカ文学の古典、「ウォールデン 森の生活」を書いた作家。

コンコードに生まれ、コンコードに葬られたマサチューセッツが産んだ大作家。

湖のほとりに自分で小屋を建て、自給自足の生活を送り、自然とともに生きるライフスタイルと思索はのちのちの環境を重んじる考え方のもととなり、納税を拒否して投獄されたこともあり、これまた後世の人権運動にも影響を与えたと言われています。私もそこそこ田舎に住んでいるのですが、頭の良い人は日々の暮らしの中から偉大な思想を作り伝えるのです。左側の自分の手を見ているのがソローの銅像。

 

 

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小屋(レプリカ)の中は

 

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ソローの極限までにシンプルなライフスタイルをしのばせる部屋の様子が再現されています。

 

そしてソローがそぞろ歩いた

 

ウォールデン池(ウォールデン湖とも)

 

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シンプル~。もちろん初秋の山の空気は澄んでおいしいし、すがすがしさはこのうえないものの、…日本なら「ソロー記念館」が巨大駐車場とともに湖畔に立ち、お土産物屋さんあたりが並んでいるところですよ…。湖畔にはいこいを求める人々がちらほら。混みすぎていないのが、いいですね~。

 

秋の紅葉は

 

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 こんなかんじに色づくのだそうです。キレイ~。湖面も鏡のごとし。

 

  

スリーピーホロウ墓地

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アメリカ大陸を踏んだのも初めてならアメリカの墓地に来るのも初めてです。日本だと墓地はお寺管理が普通。「アメリカは教会がお墓を管理するんですか?」と聞いてみると、「町営みたいですよ」とのお答え。

 

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墓地のあちこちには、お花がない代わりに、アメリカ国旗が立っています。戦争(独立戦争、南北戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦)で亡くなった人のお墓には、アメリカ国旗を掲揚するのだとか。

 

墓石は、いったいに日本よりは質素。薄い石板1枚くらいのものもあるし、地面にプレート状に埋め込んだだけ。のお墓もあります。もっともこの墓地は19世紀半ばに作られており墓石も古いものが圧倒的に多い。

 

そしてこの墓地にはアメリカを代表する著名人が数多く眠っています。

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「若草物語」の作者ルイザ・メイ・オルコットのお墓。ルイザをしのび、文章上達を願い、訪れる人はペンを供えるのです。

 

手前が「緋文字」のナサニエル・ホーソーンのお墓。ほかに思想家のラルフ・ワルド・エマーソン、

 

そして先ほど見学してきた

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ヘンリー・デイヴィッド・ソローのお墓など。

 

ここも人影はほとんどなく、オルコットの墓の前で出くわしたご夫婦+1人のご一行は「メイン州から来たのよ…」と話しかけてくださいました。

 

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ルイザは南北戦争の時、従軍看護師として北軍に参加し、そこで腸チフスにかかり、飲んだ薬で体調を崩し、後遺症で58才の若さで亡くなったのです。なので、墓前にはアメリカ国旗。

 

ソローは44才で亡くなっています。昔の人は、短命だ…。

 

オールドノース橋

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レキシントン・コンコードの戦いの跡。古戦場。この橋を境にしてイギリス軍とアメリカ独立兵がにらみ合い、戦火の火ぶたが切って落とされた、アメリカ史を語るには絶対欠かせないスポット。

…にしては。のどかすぎる。さわやかすぎる。

ハイキングやカヌー、野外学習に来たとおぼしき人ばかり…。それもかなりまばら…。

 

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古き日々に思いをはせるにはもってこいですよね。

イギリス軍服着てる人はいた。ぽつんとお一人で…。

 

 

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歴史に名を残す場所でのカヌーだなんて、なんて贅沢な…。

 

橋を渡りきると

独立兵、ミニットマンの銅像があります。

すわ戦争、となれば寸暇を惜しんで駆けつける。

 

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前から見る姿は戦士だけど

 

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後ろから銅像を仰げば、農具が。

 


※アメリカ建国の英雄ポール・リビアについて

ポール・リビアはアメリカ独立戦争の英雄。アメリカ人なら誰でも知ってる国民的詩人、ロングフェローの詩、「真夜中の疾走Midnight Ride」にうたわれたもともとはボストンの銀細工職人。

1775年、イギリスとアメリカの関係は悪化し、一触即発…。植民地軍がコンコードにひそかに武器を蓄えていたことを嗅ぎ付けたボストン郊外のイギリス軍。陸から攻めてくるならランタン1つ。チャールズ川を渡ってくるならランタン2つ。戦い前夜、イギリス軍は船を集結させる。ランタン2つを目に刻み付け、リビアはボストンから馬を飛ばしたのです。このとき、41才。以上、ガイドさんが橋を案内してくださりながら、聞かせてくださったお話。

リビアはボストンーフィラデルフィア間(距離400km以上;;)を伝令として走りまくり、遠くイギリスまでその名をとどろかせた熱血派、肉体派。アメリカ独立後も順調に事業を拡大し、ボストンでその生涯を閉じました。存命中はその存在はさほどではなかった。しかし「真夜中の疾走」により、死後にアメリカ建国の英雄として名声は一挙に不動のものに。

 

 

ちょっと休憩 コンコードのインテリアショップ 

 地元の人のためのインテリアショップに立ち寄ります。

 

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アメリカの普通のお宅はこんなインテリアなのかな…。ほっとなごむ、柔らかなカントリー調です。そして、お宅もきっと、大きいのでしょう。車窓から見たどのお宅も、庭は広いし芝生のお手入れ行き届き、家そのものも大きいし。地下室あるのが普通なんだとか。

 

コンコード コロニアル イン

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「コロニアル」とは「植民地」のこと。

看板通り、1716年創業の

 

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歴史的なホテルなのです。(京都の「俵屋」みたいなものでしょうか)

 

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古い建物なので天井は低く、室内暗め。そして造りが重厚で風格たっぷり。テラスでお食事もできるのですね。今も現役のホテルで、部屋数56。ホテル内レストランのチキンポットパイ(シチューとかクラムチャウダーみたいなホワイトクリームベースのスープを盛り、パイ生地をかぶせ焼き上げる)が名物。時間がかかり、お値段高めとのことで今回は頼めませんでしたが…。

 

コンコードの目抜き通り(コンコードダウンタウン)

コンコードの目抜き通りは、街並み景観保存地区!?と見ました。

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お店は普通にレストランだったりブティックだったり本屋さんだったり靴屋さんだったりキッチン用品のお店だったりギャラリーだったり。(キッチン用品のお店を表から覗き込んだらフライパンが鈴なりに天井からぶら下がっていた…)観光客も地元の人も普通に入ってお買い物できる。西部劇とかで古いアメリカの街並みはたまさか見かけますが、実物のコンコードの目抜き通りはカラフルでかわいらしく、見ていて楽しい。コンコードのお店って、みんなこんなかんじなんですか?スーパーマーケットとか、ホームセンターみたいなトコ、ないんですか?と聞くと、もちろんその手の場所は他にあるのだとか。ノスタルジック~。人影は程よくまばら。

 

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 横道に入り込めばごらんのとおり、アメリカ国旗が掲揚され、ベンチなどもあり。真ん中やや上、ラジカセみたいな銀色のものが見えます。コレ、シャボン玉製造機。アイスクリームとか買って日陰のベンチに座り、シャボン玉シャワーなど浴びながら、至福のひと時を過ごせそうです。

 

 オーチャードハウス

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 「若草物語」の作者、ルイザ・メイ・オルコットが26才から45才まで暮らした家。「若草物語」の執筆も、この家。「オーチャード」とは果樹園の意味。オルコット家がここに居を定めた当時、15,000坪の果樹園に囲まれ、1年に36樽ものりんごがとれたのだとか。コンコードの超有名スポット。ここはさすがに訪れる人はひっきりなし…。

 

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 ルイザがベストセラーを出すまではオルコット家は貧しかった(お父さんは理想主義に燃えた幼児教育家だったが、時代を先取りしすぎ、名士ではあったが生活は苦しかった)とは聞かされていたものの、日本人の感覚から言わせますと、家はやはり、大きい。

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若草物語の4姉妹は、オルコット家の4姉妹がモデル。

長女アンナ(メグ)は演劇が好きで、劇団に入り、知り合った劇団員と結婚し、2子をもうけるものの夫は死に、オルコット家に戻ってきます。

次女ルイザ(ジョー)は筆で身を立て、生涯独身でした。南北戦争時は従軍看護師として戦場に赴く行動派であり、女性の権利を主張するフェミニストでもありました。

三女エリザベス(ベス)は猩紅熱のため、22才で亡くなっています。

四女メイ(エイミー)は姉ルイザの作家としての成功によりパリに留学し、ロンドンの実業家と結婚し、1子をもうけるものの、産後の肥立ちが思わしくなく、「(生まれた子供は)ルイザに育ててほしい」と言い残し、39才の若さで亡くなります。

 

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 中に入ると、若草物語関連グッズのお店。

 

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 「Hope and keep busy」はルイザのお母さんの座右の銘。

日々に希望を持ち、自分のすべきことをきちんとこなして忙しく。

 

グッズは若草物語の本(英語でもオリジナル版、英語初心者用の簡単英語版がある)、各国語版(「若草物語」は40か国語に訳されているのだとか)、各種ノベルティグッズ。前にお見せしたウォールデンポンドの紅葉の写真も、このショップで撮りました。

 

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ピアスやペンダントもある。掲示板には、各種チラシが貼ってある。それよりも、見ていただきたいのは、この家の内部。材木がむき出しです。 

 

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唯一、

 

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ルイザが住んでいた当時の家の一部が、ガラス張りで残されています。光ってしまい、わかりにくくてすみません。

…材木、薄い。…こう言ってはいけないのでしょうが、チャチい。。。けなしているのではなく、冬は極寒、風が吹きすさび、雪も30cmくらい積もることもある、とのマサチューセッツ。この薄い材木で作られた家で、一家が、家族が、暮らしていたのですね。寒かっただろうなあ…。吹雪の夜など、心細かっただろうなあ…。 

 

 

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オーチャードハウスの隣、10mほど。ルイザの父の哲学学校。志は伝えられ、今も各種会合などで使われています。

 

※私は参加できませんでしたが、ルイザが「若草物語」を執筆した部屋を含むオーチャードハウス内のツアーがあります。先着順、事前予約不可。台所、食堂、居間、書斎、ルイザの部屋、メイの部屋、両親の部屋、子供部屋、メイのアトリエ。

 

売店で買ったのは

 

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 日本語のガイドブックがあった。6ドル台。

行く場所行く場所、日本語の案内があるのは、本当にありがたい。全然関係ないのですが、これも日本の国力のおかげです。明治維新以来の日本人の諸先祖さまがたにはしみじみつくづく、頭が下がります。おかげ様で、今こうして、おんなおひとり様で日本から10,000km離れた憧れの場所に旅立ち、立つことができているのは、まぎれもなく、日本の国に生まれたから。

 

先ほどのコンコードの町中に戻り、お昼ご飯。

 

ランチ

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あっさりでいいか…と地元の人が普段に通うお店に連れて行ってもらった。ボロネーゼ、ギリシャ風サラダ(オリーブ油・オリーブの身、塩コショウ)、ミートボール。

 

ガイドさまには、今回の旅行にあたり、言葉に尽くせぬほどお世話になり、ここは出さなければ、と焦ってカードを出した。2人分でお勘定は25~26ドルくらい。ささやかすぎて恐縮です。安いんですが…多いですよね。しかし旅行中、生野菜には出会えそうで出会えないもの。気を取り直し、完食。(中ぶりのボウルくらいの大きさ)。パスタは無理でした。ミートボールはガイドさんと分けっこ。普通においしかったです。食べきれない分は、ガイドさんが店の人に頼んでくださり、パック(ドギーバック(犬のエサ)と呼ばれている)詰めにしてお持ち帰り。

ガイドさんに教えていただき、メニューを見直すと、「3人前」「4人前」らしき文字が。初めからテイクアウトにして家に持ち帰ることもできる。アメリカの地元の人の通うレストランでは、これが普通なのだとか。

 

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お店の窓から見えたコンコードの目抜き通り。

 

レキシントン

 

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コンコードの隣町。ここも前にレキシントンーコンコードの戦いに名前があがったとおり、由緒正しい植民地時代からの歴史を持つ町。

そしてケンブリッジ大学の人でこちら、レキシントンに住んでいる人がとても多くて、「ノーベル賞受賞者がお隣さん」なんてこともあるらしい。つまり超高級住宅街で、道ゆく人は、観光客以外は皆セレブ。もっとも、普通にTシャツ短パンで歩いている人も多く(土曜日でした)SPに囲まれていたりとか、いかめしくあたりを払う一見みただけで怖くて近寄れない…は全然なく、皆さまリラックスして自宅近くで過ごす休日を楽しんでいらっしゃるご様子でした。

 

ここにも農民兵、ミニッツマンの銅像が立っています。

 

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バックマン・タバーン

ミニッツマンの像のすぐ前にあります。

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 「タバーン」とは「居酒屋」の意味。アメリカの史跡には「イン」だの「タバーン」だのと人々が集まるところが多い。(今でいう「道の駅」みたいなもの?) 

 

中でもこのバックマン・タバーンは別格で、独立戦争当時、独立軍の本部が置かれた。今の建物は復元されたもので、中は資料館になっています。

 

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 バックマン・タバーンの隣の広場では青空市が開かれていました。雑貨や、自分で作った小物を売っている人が多く、多分世界の頭脳のシニア世代のご夫婦が仲睦まじくカジュアルな服装で楽し気にそぞろ歩いていたりして。いいなあ、こういうのって。

 

ウィルソンファーム

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ウィルソン・ファームは郊外型の巨大スーパーマーケット、がわかりやすいでしょうか。名前のとおり、広大な自前の農場を持っており、丹精こめて作った農作物や加工物を自前のお店で売るのです。駐車場も広大。近郊にお住まいの方々が、ここで一週間の食料を買いだめるのです。

 

季節柄、お店はハロウィン一色。

 

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野菜売り場に移動すれば

 

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この色とりどりのピーマン、大きさ、15cmくらいある。

 

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自社農場の野菜を使って作る料理のレシピなどもありました。モノクロ、字だけなんですね。(近所のスーパーからいつも日本版を持って帰って作っている人)

 

おかずとかスープとかも、容積、軽く1Lくらいのスープが5~6ドル、なんて調子で売っていて、買って帰って温めてよそえばそのまま今晩のメインディッシュになりそうなものも多い。もちろん肉類も充実。

 

売り場を移動し、ハロウィンの飾りや

 

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 色とりどりのリース。

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ガーデニングコーナーに足を伸ばせば

 

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再び巨大なカボチャたち。 

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トウモロコシ もあった。

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 熟するとこんな感じに色づくのですね。(いつもは黄色いのを食べるだけ)

 

 で、お土産に買ったのは

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マサチューセッツ名物クランベリージャム。クランベリーは、コケモモですね。暗赤色で、生のままではすっぱすぎるので、ジャムにしたりソースにしたり。ポリフェノール豊富で抗酸化作用がある、泌尿器科系のお悩みの民間薬、ビタミンC補給できるなどなど、内側からの女子力アップにお役立ち。ジャム、重いんだよな…。でも買っちゃお!1瓶3ドルちょっと。勇気をふるってお会計をすませた私に、ガイドさんから「ココだと3ドルだけど、町場の土産物屋なら8ドル取る!」と励まし!?のエールが。

 

 

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「ネイティブアメリカン3シスターズガーデン」。6ドルちょっと。アメリカに自生している花の種の詰め合わせセット。母がガーデニグ好きなので。ボストンは旭川とほぼ同じ緯度だとのこと。湿気は多いし、土の違うはるか東のお庭の片隅に、花は、咲くのかしら…。

 

 

まとめ

私にとって海外旅行はほそぼそ貯金し、頭を下げて有給休暇をとり、ガイドブックを買い込み検索に検索を重ね、1分1秒無駄にできない!…となると行きつく先はどうしてもテレビや雑誌で見た大きな町や、世界に2つとない絶景とか世界遺産になってしまう。しかしこの日のミニトリップは違いました。地域に生きる人たちが大都会とはまるで違うペースをで身近に感じられます。そして行くところ行くところ、人々が大事に守り伝えていることがありありと肌で感じられるスポットばかり。ゆったり流れる時間とおいしい初秋の空気。ツアーをご提案くださいましたボストン観光の瀧波雅彦さまに心より感謝申し上げます。

 

www.bostonkanko.com

Tおばさんの家 (アメリカ ボストン おすすめ日本人経営の宿)

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ボストン滞在中にお世話になった民宿、「Tおばさんの家」のご紹介です。「Tおばさん」の「T」はオーナーの日本人女性のイニシャル。

おすすめポイント

便利・快適なロケーション
  • 住所は10 Dummer St, Brookline, MA 02446。ボストン市のお隣ブルックライン町ダマー通り10番地。繁華街の真ん中ではなく、閑静な住宅街にあります。もともとは個人のお宅だったのをB&Bに改装した。
  • 最寄駅はボストンの地下鉄グリーンラインのBoston University West(ボストン大学西駅)から徒歩2~3分。地下鉄でダウンタウンまで15分。ボストンレッドソックスの本拠地、フェンウェイ球場まで徒歩10分。タクシー代はボストン美術館から10ドルくらい。Boston South Station(ボストン南駅)まで20ドルくらい。ボストン・ローガン空港まで40ドルくらい(チップ抜き)。
  • 治安がいい。オーナー様に「女が夜とかに一人歩きして大丈夫ですか?」と聞いてみましたところ「この辺は、安全です。でも外国ですから、お気をつけください。」とのことでした。
  • 近くにコンビニ・スターバックス・メキシコ料理店あり。
日本語が通じる
  • 旅の空、知らない町で小さなことでもオーナー様に気兼ねなく質問することができ、不測の事態にも言葉がわかる人がいてくださるのはありがたすぎる。
  • 共有スペースでは日本語のテレビが流れ、アメリカでニュースも朝ドラも視聴可能。宿泊客が置いていった地図ガイドブック文庫本のコーナーもありました。
  • 宿泊客も(私が泊まった時は)全員日本人。
良心的な価格
  • 私が泊まったのは朝食・バストイレ付きで139ドル。3泊したのでお支払いしたのは前払いできっちり417ドル。(支払方法は現金とパーソナルチェック、トラベラーズチェックのみ)スイートだと1泊170ドル、お風呂共用なら1泊129ドルと90ドル。2人めからは半額。
  • つまり10,000円台で泊まれる。2人目なら4ケタで泊まれる。
  • 外国人だと足元を見られ、エクスペディアでもホテルコムでも高級ホテルに誘導されてしまうのではないかとつい思ってしまう私って、疑り深いのでしょうか。ボストンのホテルの相場は、最低200ドル前後からなので、助かります。ありがとうございます。
  • Wi-Fi1日3ドル。前払い後、パスワードを教えてもらえば、その場でインターネット接続可能。

 

表札

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客室

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オーナー様に案内され、お部屋の鍵を開けた途端、おひとり様なのですが…。こんな大きな部屋で、いいのでしょうか。と思わず目を疑ってしまった。

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ベッドは、シーツをめくってから、あ、写真まだだった、と戻して撮ったので、もちろん左のベットメイキングが正しい!?のです。シングルのお部屋で十分だったのに。でもウレシイ^^

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左側の扉がバストイレ、右側の扉がクローゼット、銀色のは冷蔵庫。中にはミネラルウォーター。1本50セントでチェックアウト時に自己申告でお支払いします。

クローゼットのハンガーの数も十分だったし、中にはランドリーボックス(洗濯ネットの大型で組み立てれば立つ)が入っていたので、お風呂で洗濯物を洗って干せる。

ちなみにコインランドリーあり。洗濯1.5ドル。乾燥1.5ドル。もっとも、少量なら、洗濯機はいらないのですが。

 

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洗面所とトイレ。洗面台に洗面道具とコスメ・メイク道具一式、置けました。

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お風呂。(白いタオルは私が置きっぱなしにしてました;;)

タオル付き。歯磨き歯ブラシはなし。パジャマも持参要。

 どこにも文句のつけようがない…。広いし、キレイだし、おしゃれだし…。もっとも、オーナー様からは、「日本に比べるとボストンの水道の水圧は弱いです。トイレが詰まったら呼んでください。」との説明を受けました。

 部屋の鍵と家の鍵を受け取り、宿を出る時入る時、特に挨拶もいらない。(オーナー様は2階にお住まい)

 

朝食と2階食堂

旅の大きすぎるお楽しみ。朝食は朝7時から。

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食堂は2階。明るく開放感あふれるつくり。

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日本のニュースが流れ、全米のお天気を日本語でチェックできます。

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1日め。

オープンサンド、スイカ(種がほとんどない。アメリカのスイカは日本のスイカと種類が違うのでしょうか。味は同じでした)、コーヒー。(コーヒーはセルフサービス)見えないのですがオープンサンドの下はワッフルメーカーで焼いたパンケーキで、メープルシロップがかかってます。

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2日め。カレーとお味噌汁です。朝食なのでカレーは辛すぎずマイルドなお味。お味噌汁も程よく薄味。

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3日め。チキンステーキ、ワッフルメーカーのパンケーキ。デザートのスイカ。

3日とも大満足!食事を出すとオーナー様は自分の椅子に座るので、宿泊客は今日の予定を伝えたりお願いごとをしたりおしゃべりしたり。

 

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食堂から見えたお隣のお宅。

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オーナー様の猫。「猫アレルギーの方はお気をつけください」のお宿です。

 

共用の台所と1階の食堂

共用の台所と食堂があり、調理道具の備え付けあり。自分で材料を買ってきて料理できる。冷蔵庫も完備されているので、名前を書いて入れておける。

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夜、ここにお湯をもらいに行ったところ、2日めの晩は、ボストンレッドソックスの野球の試合を見に来たお客さんがいて、もう一人の男性とビールとおつまみ片手に「いや~、本場の野球は違うよ~」とゴキゲンで語りあっており、3人目の男性は難しそうな英語の本を開き、パソコンひろげてお勉強中。

3日めの晩はガーリックの香りとフライパンの音が響き、男性が料理の真っ最中。女性の3~4人連れが近所のコンビニで買ってきたらしいカップラーメンとかサントイッチとかを食べながらおしゃべりしていました。

お勉強、お料理、ということは。長期滞在のお客さんもいらっしゃる。朝、8時過ぎには外に出て、せっせと写真を撮っていたのですが、これから大学に向かうらしい、パソコンひろげてお勉強していた多分若き研究者の方が「撮りましょう」と玄関前でシャッター切ってくださいました。この場を借りて、ありがとうございました!

 

宿の近所の豪邸写真

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ものすごい豪邸ばかりなのです。リスがかわいかったので、思わず追いかけて写真撮ってしまった。

 

その他注意事項

  • 全11室(スイート1バストイレ付4、お風呂共用6)のお宿なので予約はお早めに。
  • 口コミとか見てみると「壁が薄くて隣の部屋の音が聞こえる」とのことだったので、覚悟して行った。確かに、隣の部屋のシャワーの音はけっこう響いてきました。隣で赤ちゃんが夜泣きでもしたら、聞こえてきそうな気配ではあります。をこころえ、自分のシャワータイムは常識の範囲内の時間で。ちなみに室内はテレビなし。デジタル時計にラジオ付き。
  • オーナー様お一人で切り回している宿なので(通いでお手伝いの男性はお一人)。宿泊客からの伝達事項は朝、忘れず伝えた方が間違いありません。

まとめ

 オールマイティにおすすめできるお宿です。ボストンにお出かけの時にはぜひ。

最後に、この場を借りまして、オーナー様、大変お世話になりました。噂にたがわぬ素敵なお宿でした。どうもありがとうございました!

 

Tおばさんの家
住所: 10 Dummer St, Brookline, MA 02446
TEL: +1-(617)-734-8714
FAX: +1-(617)-731-5201
E-MAIL: info@tbbboston.com

ボストン市内観光。必見の観光名所とかおすすめの美味しいお店とか。

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 ボストンってどんなトコ?観光名所、見どころ・ウリは?

 

まだまだあるのですが、写真など見ながら、追い追い続きを書いていきます。

 

ボストンの街並み

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クラシックかつ重厚な街並み。この街並みを守るため、当然規制はあり、景観を壊すような建物の建築はご法度。

 

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バックベイのオシャレな通りに入ります。

 

 

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 レンガ造り。

 

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 中心街、街並みのゆかしい通りでは、レトロなガス灯が使われています。

ガス灯は消すことができず、24時間ともしつづけなければならない。

もったいないといえばもったいないけど古き良き伝統を守り続けなければいけないのでしょう。

 

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中心街を抜け、ボストンのシンボル、観光ポスターにも絵葉書にも必ず掲載されるというビーコンヒルの丘へ。

 

ビーコンヒルの丘

エーコン通り 

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エーコン通り。往時のボストンの面影をそのまま残す通りとして世界的に有名です。私道なので本来通ってはいけない。車は乗り入れ禁止。真ん中の丸い石を使った石畳はもともとは馬車道で、真ん中がやや盛り上がり、端はやや低い。

団体でうるさくしてはご迷惑なのでしょうけど、ひっそり少人数で通り過ぎるぶんにはとがめだてする人はいません。

 

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玄関周り、どのお宅も綺麗にしていらっしゃいます。それはそうでしょう。世界中の人が訪れるのだもの。

 

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ルイスバーグスクエア

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ビーコンヒルの中でも最も格式の高い一角。つまり超高級住宅街。どこのお宅も時価数億円は下らないのだとか。ここに住めるのはセレブのしるし。この一角は豪邸が立ち並び、真ん中は中庭となっています。

 

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初めにお目にかけるのは「若草物語」の作者、ルイザ・メイ・オルコットが晩年に住んでいた家。(「お金ができたからでしょう」とはガイドさんのお話。)

 

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お次は医療ミステリーの草分け、創始者でもあり、不動の第一人者であるロビン・クック博士がたぶん現在もお住まいと言われているお屋敷。

 

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 ケリー国務長官が現在もお住まいとのお屋敷ですが…。万が一のことがあっては大変。

本当に住んでいるのかどうかは、…つきつめない方がいいのかも。爆弾なんかしかけられては大変…。

 

 

町を抜け 

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橋を渡り、お隣ケンブリッジ市に入ります。

世界の頭脳、明日を担う世界の天才・秀才が集まる場所ですね。

 

 チャールズリバー

ボストン市とお隣ケンブリッジ市(ハーバード大学のある所)の間を流れるのがvハールズ側。ボストンは学生の街でもあります。60以上の大学があり、ボストン市の人口は60万人あまりですが、大学生の数は入らない。その数、総数5万人とも6万人とも。学生さんが夏場はカヌーの練習などしているのだそうで、もちろん余裕のある方々所有のヨットハーバーなどもあり、川辺は遊歩道なども完備され、市民の憩いの場でもあります。

 

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 川辺の風景。

 

MIT(マサチューセッツ工科大学)とスタタ・センター

川沿いすぐにはMIT(マサチューセッツ工科大学)。このあとハーバード大学にも連れて行っていただきました。ハーバードは文系の大学、MITは理系の大学。知らなかった。

ボストンの街並みは古式ゆかしく典雅なのですが、川を渡れば今風のビルディングが並びます。しょっちゅう新しい建物が建つのだそうで、景色はがらっと変わる。

 

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 窓のない白と黄色の建物は「スタタ・センター」。MITが脳内科学!?を研究している施設だそうで。「頭の中を研究するような人たちだから窓はいらないのではないか。」とはガイドさんのお話。

 

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次に目指すは

 

ハーバード大学 

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創立1636年。アメリカ最古の大学であり現在もアメリカと世界の最高峰であり続ける。もちろん研究者の方々や学生さんたちが実際に勉学に励むところではありませんが、歴史的な価値のある場所や使わない時はのパブリックスペース(卒業式に使う広場とか教会とか)など、一般公開されています。観光客の数がすごい!現役の学生さんが構内ガイドを務めており、日本語も、中国語も聞こえてきました。

 

ジョン・ハーバード像

 

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左のつま先に触ると頭が良くなるとの言い伝えあり。(ああ、効きますように…)ジョン・ハーバード像には「ハーバード創設者」と刻まれているが実は功績はあったが創設者ではない。刻まているのは「1638」だが創設年は1636年、ハーバードの顔は銅像制作当時の現役ハーバード大生のイケメンの顔になってる。コレ、「ハーバード像の3つのウソ」。

 

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構内をそぞろ歩きましたが、中国からの寄付で、亀(実は亀ではく竜の子)が石碑をしょっていたりする。「ハーバートが世界に開かれていることを示すためにこの像を送る」とのことです。

 

息子をタイタニック号の沈没で亡くした母親の寄進による「ワイドナー記念図書館」も壮大でした。どうか子どものことを忘れないで。その名を見える形で残したい…。何不自由ない上流の貴婦人の悲しみと祈りが、大きさゆえに切なく伝わってくるのです。

 

ハーバード生協

 

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かわいかったので子供服売り場の写真になってしまいましたが、一般人・観光客も買い物OK。品物は「HARVARD」のロゴ入りの品物が所せましと並び、お土産用の小物もお菓子も種類が多い。そして学生さんが使う書籍、文房具、生活雑貨のコーナーもあり、ここはガイドさんなしの自由時間だったのですが、1時間たらず。見て回るだけで精一杯だった。

 

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ジョン・F・ケネディの生家

 

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ケネディが暗殺された後、母のローズ・ケネディが一度は手放したこの家が売りに出ていることを知り、買い戻し、記念館として一般公開しており、現在は国の史跡。JFKは1917年生まれ。1910~20年代にかけてのボストンの上流階級のお宅拝見!

 

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訪れた際はボランティアの館内ガイドさんがいらっしゃり、説明を聞きながら館内を回ります。

 

しかし、この家、小さいんですよ。そしてこれがアメリカの家!?とびっくりするほど天井が低く、室内はいささか暗い。この家が建てられた当時は、ケネディ家が買うくらいだから当時の最先端の豪邸だったのでしょうし、今は瀟洒な家が立ち並ぶ静かな住宅街ながら、JFK元大統領が住んでいた頃の写真も見せていただいたのですが、ちいちゃなJFKと、周りは一面の空き地。ケネディはこの家で生まれ(産婆さんが取り上げたのですね)3才までをここで過ごしました。

 

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リビング。

 

 

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JFKが産声をあげたベッドルーム。

 

 

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 洗面所。

 

 

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 子ども部屋。

 

 

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 ローズ・ケネディ自筆の、幼いJFKの健康状態をメモしたカード。

 

 

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 ローズ・ケネディまたはケネディ夫妻の寝室だったと思う。(女性もののドレッサーがあるし)

 

 

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ダイニングと食器棚。洗練されていることは認めるとしても、案外狭いんだなあ、質素だ…が率直な感想だったりします。

 

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 子ども用の食卓。

 

 

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キッチン。この家でジョン、ローズマリー、カレンが生まれた。JFKは二男(長男は第二次世界大戦で戦死)。つまり4人の小さな子どもがこの家にひしめいて!?いたことになります。メイドさんとかいたとしても、こんな小さな台所で間に合ったのだろうか…。

 

 JFKの生家は入場無料。しかしコースの最後は館内ショップ。日本で言えば2~3畳くらいのスペースに各種グッズが並び、何か買わなきゃ悪いかな、とコレ買いました。

 

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 ケネディの暗殺を伝える「ダラス・モーニング・ニュース」。1部4ドルちょっと。

 

 

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またも町を横切り、次は

 

マサチューセッツ州議事堂

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を通り過ぎる。イスラム建築でもないのにドームがあり、おまけに金色に塗られている。ガイドさんは日本人会の関係で、ボストンの日本領事館が主催するマサチューセッツ州議事堂貸切レセプション!?に出席したことがあるそうで、「(建物の内部は)立派ですよ~。」とのお話。さもありなん…。

 

 

そして、待ちに待った瞬間が!

そう、ボストンと言えばシーフード!!!

 

クインシーマーケット 

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クインシーマーケットはボストン市内にあるフードコート。

お昼はガイドさん抜きの自由行動で、目指すはもちろん、ボストンに来たからには食べずに帰れるか!名物クラムチャウダー・ロブスター・オイスター

「チェリーストーンという、日本でいうはまぐりみたいな貝もおすすめです。」

「ロブスターは殻つきで出てくるから、ロブスターロール(ホットドックみたいなものでソーセージのかわりにロブスターの身がはさんである)をオーダーすれば殻むきの手間が省けます」

と教えていただき、マーケット内のガイドさん一押しのお店

「BOSTON AND MAIN FISH CO」

の位置図を手渡され、車を降りて一気に目指す!

 

マーケット内はかなりの混雑で、目指すBOSTON AND MAIN FISH COはカウンター式になっている。10人座れるか座れないか。当然満席。しかし回転は速いとも教えていただいていたので、「食べたい」オーラを全開にして店員さんに声をかけてもらうのを待ち、ようやく席に着き、

 

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続いて

 

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一見して私、こんなに食べられるのかしら。と思ったのですが。クラムチャウダー以外は可食部はそう多くない。チェリーストーンはかなり塩辛かった。でも、美味しかったです。ロブスターもオイスターも癖がなく、マイルドなお味で、私にとっては濃厚なアメリカ料理の味付けとは真逆のおいしさ。クラムチャウダーも、さすが本場!貝のうまみのきいたチャウダーはこれまたマイルドで絶品!

 

カウンターには、ボストンはレッドソックスの本拠地だというのに、恐れも知らずニューヨークヤンキースのTシャツを着たおじさまがいらっしゃり(敵地に乗り込みヤンキースの勝利を祈りつつ観戦するのですね)言葉はわからないのですが「お前、ヤンキースのファンか!?よく来た、ともに応援しようではないか」と見ず知らずの同胞と盛り上がっており、熱くヤンキース礼賛が繰り広げられている雰囲気。マーケット内の喧騒とあいまって気分は否が応にもハイテンション!

 

お勘定はロブスターが26ドル台、クラムチャウダーがSサイズで5ドル台。オイスターとチェリーストーンが3つでどちらも6ドル台。税込み40何ドルだかのレシートが出たのですが、店員さんがレシートをしきりに指さす。見れば赤スタンプが「10%ナントカカントカ(←英語)15%ナントカカントカ(←同じく英語)」とあり、むむ、ここはチップを払うのが常識なのね、と50ドル札のおつりを返すと険しかった店員さんのお顔は「サンキュー!!」と破顔一笑^^

 

まだアイスクリームくらい入りそうだ、とマーケット内をそぞろ歩きますが、どのお店も結構な行列。残り時間はそう多くない…。

 

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続いて天下のボストン美術館に向かうのです。

 

 

 

JL0008便 東京(成田)~ボストン プレミアムエコノミー席!(プラス3万円)

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お久しぶりの海外旅行、行きは日本航空の成田ーボストン便です。

18:10分成田空港発、同日18:00アメリカ ボストン ローガン空港着。

(時差は-13時間、飛行時間は12時間50分)

 

プレミアムエコノミークラス空港当日アップグレード

成田の空港カウンターて搭乗手続きをお願いしたところ、

「プラス3万円でプレミアムエコノミー席にご案内できます」と

お声かけをいただきました。

 

※当日、プレミアムエコノミーに空席がある場合、追加料金を払えばアップグレードで    きるのです。近距離便(アジア方面)は1万円、長距離便(アメリカ)は3万円)

 

こんな機会でもないとプレミアムエコノミー体験はできないのであろう。と渡りに船、「ぜひお願いします!」と答え、

 

窓口の方はいったんチケットを取り消し、

「別の窓口でお支払いをお願いします。そちらで航空券が出ます。」

 

あんまり時間がなかったんですよ~。と焦って走って手続き完了。

 

※プラスさらに5,000円で、ラウンジを使わせていただけるそうです。入ってみたかったものの、時間なかったし、免税店でのお買い物も楽しみにしていたので、今回はパス。

 

で、機上の人に。

 

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 エコノミー席とプレミアムエコノミー席の違いとは

  • 座席がゆったりしている(シートの間隔はエコノミー97cm、プレミアムエコノミー107cm、その差10cm) 。
  • 座席を後ろに倒すのにも、エコノミー席より気を使わなくていい。
  • エコノミーは3・4・3列の配置で、プレミアムエコノミーは2・3・2列 なので、横のゆったり感も一目瞭然。
  • シートの素材等、見た目にも高級感あり。毛布もエコノミーよりフカフカ
  • スマホ置き、ペットボトルホルダー、USBポートや電源など、座席周りが充実。
  • 搭乗時足が楽なよう、足をあげる台(フットレスト)がついており、高さ調整可能。
  • 同じく脚をあげる台(レッグレスト)がついている。こちらも高さ調整可能。
  • モニターがタッチパネルになっており、マップなど、指でピッピすれば拡大できる。
  • テーブルが大型。
  • メニューを紙ベースで頂戴できる。
  • 食事、機内販売等、エコノミー席よりプレミアムエコノミー優先。
  • 選べる飲み物の種類がエコノミー席より多い(+アルコール類)
  • 窓の明るさが自動調節(明るくしたいときにはボタン操作で窓の外の写真が撮れます)
  • キャビンアテンダントさんのサービスも席がワンランク上なのだから、分け隔てはしないとの建前ながらも、気持ち、違うのであろう…。

 

で、もらってきたメニューは、こちら。

 

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エコノミー席とプレミアムエコノミー席、どちらを選ぶべき?

帰りはニューヨークからのエコノミー席でした。正直、中肉中背の日本人女性の私にはエコノミー席でも十分。狭すぎるとか、耐えられないとかは全然なかった。

(たかだか12~13時間のフライトですし。どうせ乗ったらすぐ眠ってしまうんだ…)

 

しかしどちらが快適かと聞かれれば、それはプレミアムエコノミーに決まっています。

 

はじめからプレミアムエコノミーやビジネスクラスを指定するには度胸が足りない私ですが、ちょっと贅沢してみました。良い体験でした。

 

 

隣の席はアングロサクソン系の男性でした。

大きい!胴体太い!丸太みたい。

腕太い!大根みたい。

腕の毛の色が薄く、それがまた剛毛でフサフサ…。たわしみたい。

 

言葉はぜんぜん通じなかったのですが、でも、優しいのです。

わたしがフットレストを上げられず、おろおろしていると身振り手振りで動かし方を教えてくださいました。

着陸前、私が窓からの写真を撮ろうとし、窓暗いなあ。ふと遠くの窓に視線をやると、そっちは明るい。どうするんだろう…。と窓にかじりついていると、またまた身振り手振りで、ボタンを使えば明るくなるんですよ、と教えてくださいました。

 

唯一、成功した座席の写真。

 

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機内食

その1。

 

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フードスタイリスト飯島奈美さん監修メニュー。

パン、味噌汁、ポークシチュー、キャベツの生姜醤油和え、ニース風ポテトサラダ、チョップドサラダドレッシング添え、特製フルーツポンチ。

 

食べ終わった後でさらにハーゲンダッツのアイスクリームが出ます。

 

おやつに

月でひろった卵&月まる」(お菓子)

(画像なしですみません)

 

 その2。

 

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AIR吉野家(牛丼、だし醤油入り玉子、紅しょうが、唐辛子)、オニオンコールスロー、杏仁豆腐とマンゴープリン

 

そろそろボストン着

9月のボストンは、到着時刻18:00時からまりは十分明るい。暗くなるのは19時過ぎ。

「ボストンはそろそろ秋です。気温の変化にお気をつけの上、お出かけくださいませ。」との機内アナウンスが流れます。

 

旅はいつも、胸躍るものですね。

 

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