ニューヨークの大人気の美味しいレストランに行ってきた。

Gramercy Tavern

 

はじめに

ニューヨークの人気レストランに行ってみたかったのです。希望は

  • ガヤガヤうるさくなくて落ち着ける雰囲気(手をラッパにしなければ話が聞こえないのでは困る)
  • アジア人の女が食べきれる量(東京本格フレンチに行き、量が多すぎ、デザートがどうしても入らず、心の中で悔し涙にかきくれた経験あり)
  • ニューヨークでしか食べられないもの(日本に支店があるのではわざわざ出てきた甲斐がない)
  • アジア人の口に合う(グローバルな至高の味かではなく日本人の私に美味しくなきゃイヤ)
  • 予算は、建前は糸目はつけない。しかし観光客の女相手にほどほどの量を出すお店ならそう法外なお値段はつかないのではないか…。

で、いくつかピックアップしていただいたお店。の中に、あったのです。憧れのお店。その名は

グラマシー・タバーンGRAMERCY TAVERN

www.gramercytavern.com

 

言わずと知れた有名レストラン。ニューヨークの数々の伝説レストランの仕掛け人、ダニー・メイヤーDanny Meyer氏が手掛け、1994年に開店し、不動の人気を誇るニュー・アメリカン料理(アメリカ人が洗練させたコース料理。フレンチやイタリアンや日本食の良さを取り入れながら新たなる極致を目指す)。ぜひぜひお願いいたします!!!と楽しみに楽しみにしていました。

 

待ちに待った当日。予約は6時。ニューヨークの9月、6時はまだ明るい。ガイドさんと2人の女子会です。ニューヨークでバリバリ活躍していらっしゃる女性とご一緒させていただくなんて、光栄です!

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 料理の写真撮っていいですか~と聞いてみると、かまわないんじゃないですか。ただ、人は撮らない方が。とのお話で、お店の中とかの写真は自粛。でも、お料理はしっかり撮影してまいりました。

 

メニュー

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メニューは

左半分がFIRST COURSES、SECOND  COURSES、DESSRTS。FIRST とSECONDはお料理、DESSRTSはスイーツのみのコース。各98ドル。右はSEASONAL125ドル、VEGETABLEは110ドル。この2つのコースはお料理1品ことにレストランがセレクトしたワインが追加できて、プラス85ドル。

そして、ここはノーチップ制。ギャルソンさん(アメリカ料理にギャルソンさんって言っていいのか確証ありませんが~)に気兼ねしいしい、チップを渡す手間が省けてしまう。正規の料金にサービス料が含まれているという、日本式ですね♪

 

せっかくですもの。季節のコースでまいりましょう!

季節のコース

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英語表記(ワイン付き)

ワインは頼まなかったのですが、参考までに入れます。 

SEASONAL TASTING MENU

Marinated Scallops
Cannellini Beans,Grapes and Kohlrabi
Scheurebe Spatlese,Kruger Rumpf,2015,Nahe,Germany

Halibut
Tomatoes,Kombu and Opal Basil
Ciliegiolo Rosé,Bisson,2015,Liguria,Italy

Warm Lobster Salad
Sweet Peppers,Black Rice and Ciantro
Riesling Kabinett,A.J.Adam,Dhroner Hofberg,2014,Mosel Valley,Germany

Lumache
Shell Beans,Parmesan and Mushrooms
Pinor Noir,J.K.Carriere,Vespidae,2013,Willamette Valley,Oregon

Duck Breast&Sausage
Caraflex Cabbage,Pumpkin Seeds and Blueberries
Barbareaco,Produvttori del Barbaresco,2012,Piedmont,Italy

Peach Rice Pudding
Saffron,Huckleberries and Wild Mint
Brachetto/Moscato Rosé,Perrone,Bigarò,2015,Piedmont,Italy

TASTING MENU 125.
WINE PAIRING 85. 

 

トマトスープ エスパーチョ(ノロドリンク)

メニューにはなかったけど…。

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ゴートチーズとビスケット

(これもメニューにはない)

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ホタテのマリネ

カネリーニ豆、ブドウ、コールラビ
*Wine:ショイレーベ シュペトレーゼ 2015 クルーガー・ルンプ醸造所(ドイツ ナーエ)

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 カネリーニ豆はイタリアの白い大粒のインゲンマメ。コールラビは白い部分ですね。地中海原産で、チンゲンサイの白い部分みたいなかんじで、茎の太いところをいただくのです。

オヒョウ

トマト、コンブ、オパールバジル
*Wine:チリエジョーロ ロゼ 2015 ビッソン社(イタリア リグーリア州)

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 コンブって…昆布ですよね。昆布でだしを取っているのだろう、と女子二人は意見が一致した。メイヤー氏は和食の素材を積極的に料理に取り入れているのだとか。昆布だしのホワイトソース?チーズソース?オパールバジルは文字通り紫色のバジル。世界の素材がこの一皿に。

 

暖かいロブスターサラダ

スイートペッパーズ、ブラックライス、コリアンダー

*Wine:リースリング・カビネット2015 アダム・ウント・ハート(ドイツ モーゼル・ヴァレー)

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 スイートペッパーは甘トウガラシ。パプリカ&ピーマンの種類のひとつ。味は癖がない。ブラックライスは黒い部分です。薄いおせんべい状に焼き上げている。

 

ルマーケ(かたつむりような形のパスタ)

シェルビーンズ、パルメザン、キノコ

*Wine:ピノ・ノワール ヴェスプダエ 2013 ジェイ・ケイ・キャリアー(アメリカ オレゴン ウィラメット・ヴァレー)

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 チーズ味の濃厚なパスタ。パスタの形がかたつむりなので、ソースがよくなじむ。

 

鴨のロースト&ソーセージ

カラフレックスキャベツ、カボチャの種、ブルーベリー

*Wine:バルバレスコ 2012プロドゥットーリ・デル・バルバレスコ(イタリア ピエモンテ)

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 カラフレックスキャベツはとんがりキャベツのこと。こんなに小さい葉っぱなのに、まだまだ大きくなるのに、食べてしまうんですね~。

ピーチライスプディング

サフラン、ハックルベリー、ワイルドミント

*Wine:ブラケット/モスカート ロゼ ・ビオ・ペローネ・ビガロ ワイルドミント

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食事が終わるとちょっと休憩!?

パン

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デザート

チョコレートケーキとチーズ盛り合わせから好きな方を。もちろん、1つずつお願いしてシェアします。

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チョコレート

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コーヒー

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お土産

写真撮り忘れてしまいました。すみません…。明日の朝食にと、グラノーラのバーを頂戴しました。

 

感想

  • ニューヨーカーにも大人気のレストラン。量が一番心配だったのですが。どの料理も、少ない!大皿の真ん中に少し。デザートまで余裕で食べられた。
  • お味ですが、さすが、でした。ご覧のとおり、どのお料理もソースのベースが違う。一皿ごとにするっとのどをとおり、違和感も珍しい感もなしに素材と味付けの違いを楽しみました。お土産にもらったグラノーラ・バーも、いつもは終わりの方、もてあますのですが一気に完食してしまいました。万人に受け入れられ、かつ真似できない。これこそが一流の証なんでしょうね。
  • 写真は腕が足りず、黄色っぽくなってしまっています。「タバーン」は居酒屋。もともとは道の駅みたいなもので、植民地時代、人々がお酒を飲みながら集ったり、旅する人の物資補給や、馬を休ませたり泊まったり。グラマシー・タバーンは名の通り、照明を落とし、ノスタルジックで王道を行くインテリア。客層もさりげなく決めた大人ばかりで、そしてテーブルとテーブルの間は、案外狭い。もちろん満席で、語り合う人たちのさざめきと熱気があふれます。ギャルソンもナイスなアメリカンガイで、笑顔とサービスは申し分なし。
  • お勘定は2人で310ドル。…安いと思います。

 

最後は、見つからないように撮った、

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写真です。

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ワシントンD.C.のコンフォートインに泊まってみた。

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アメリカ合衆国ワシントンD.C.でのお宿は、コンフォート イン ダウンタウン DC / コンベンション センター(Comfort Inn Downtown DC/Convention Center)。星でいけば2~2.5。2泊しました。

 

アクセス

1201 13th Street, NW, Washington, DC, 20005, US

アムトラックでワシントンのユニオン駅に降り立ち2.5km。リンカーン記念館・ワシントン記念塔・スミソニアン博物館群・アメリカ国会議事堂が連なるナショナル・モールまではホワイトハウスを横目にしながら3km弱。デュポン・サークルまで1.6km。繁華街からは少し、離れています。ダウンタウンはオフィス&レストラン街。

 

外観

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日本でもおなじみ。コンフォートインは全世界351か国に6,000軒以上のホテルを構える世界第2位のホテルブランド。クラスとしてはエコノミー&リーズナブル。もっとも私はブランドで選んだのではなく、ガイドさんに選んでもらった。(安全と快適を買うのだからアクセス良くて設備治安プライバシーをクリアできればよく、高級ホテルのトゥー・マッチのクオリティにはこだわらない、とお伝えしてありました。)

 

チェックイン

タクシーに乗り込み、ホテルの住所を書いた紙を渡し(英語わかりません;;)10~15分でホテル到着。実を言いますと、一人で海外のホテルにチェックインするの、初めて。なんとかなるだろ。と降り立てば。フロント前がいきなり階段だ!超大型のスーツケースを脇に、ビビっていたら、宿泊客と思しきポロシャツ短パンの紳士が手伝ってくださいました。(レディーファーストのお国柄♪)

 

チェックインは、宿泊サイトの予約をプリントアウトした紙を見せ、クレジットカードとパスポート提示して無事終了。フロントのホテルウーマンが何をしゃべっているのかはさっぱりわかりませんでしたが、わかっているフリをして相槌を打ち、カードキーとWi-fiのパスワード書いたカードを受け取り、お部屋へGo!

 

客室

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広いじゃないですか~。

水回りは

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十分です。

建物はかなり古く(50~60年くらいはたっているんじゃないか)。絨毯ごしの床は気のせいではなく、若干コンクリートが波打っていましたが~。しかし今日明日に困るほどじゃなし、外観、室内とも写真のとおり、重厚なおつくりなので、許せる。エアコン(ワシントンは蒸し暑い。ボストンからワシントンD.C.入りしたのですがボストンはまことに爽やか、初秋の空気は澄み渡っていた。ところが、D.C.に降り立つと、蒸す!蒸し暑い!これでははるばる日本からやってきた甲斐がない~と思わずムッときた)ガンガンきいているし冷蔵庫・テレビ付きです。もらったパスワードをにらみ、Wi-Fiをスマホにつなぎ、日本の家族に早速メールを打つ。

 

ホテル周辺

大通り沿いですから、もちろん車の行き来する音は避けられませんが、静かです。

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ちょっと歩けばノースウエストトーマスサークルがあり、CVSがあったのでサンドイッチその他を買い込み、部屋で夕食。

そしてお楽しみの朝食は。

 

朝食

初日

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ブッフェ形式でして、一番びっくりしたのは、野菜がない!ぜんぜんない!普通、温野菜程度なら大皿にあるよな~。リンゴとオレンジはあるのです。生ものはそれきりです。かわりにパンの種類は多く、普通のパン・スコーン・ベーグル。バターもジャムも種類は多い。ミルクとかヨーグルトとかはパック入りのを冷蔵庫から出してくる。

ワッフルメーカーが備え付けてあり、焼き立てが楽しめます。1日めは使い方がわからず、ほかのお客さんが作ったり食べたりしているのを眺めているだけでしたが2日めはトライ。脇に生地を出すソフトクリームメーカーみたいな器械があり、ワンプッシュで1回分のタネが出る。それをワッフルメーカーに入れ、スイッチオン!すると2:30のタイマーが点灯し、ワッフルメーカーは上に下にと回転し、出来上がりはホカホカ、あつあつ!

客層は、ビジネス5割(背広を着ている)、シニアのご夫婦2~3割(服装がポロ&短パン、Tシャツ&スキニー)、ムスリムの女の子が2~3人のグループ。

ここまで乾きものの多いメニューだとは、とお国柄の違いに打ちのめされ、箸ならぬプラスチック・スプーンを口に運んでいましたが…。ひらめいた。

2日めは大きめの袋を持参し、ネスカフェのホットチョコレートとオートミールの小袋をごっそり頂戴し(帰ってからのばらまき土産用)、ベーグルを何個か、バターだのジャムだの牛乳・ヨーグルトとかもかなり多めに持ち帰り、昼食&夕食分くらいにはなりました。(美術館博物館まわりで疲れ果て、知らない土地でレストランで気を使ったり、ショップを品定めしたり買い物するのが億劫になってしまった)

少なからず後ろめたかったのですが、食後、ご一緒した紳士は片手にリンゴを持っていた。万国共通、考えることは皆おなじ。

 

利点(個人的)

ワシントン滞在2日めは、まる1日スミソニアンに張り付いていました。

hitomi-shock.hatenablog.com

 

 

hitomi-shock.hatenablog.com

 

ホテルからスミソニアンまでは徒歩20~30分というところ。目抜き通りだけを歩いたこともありますし、建物がみんな大きい~。

そして私は方向音痴なのです。自他ともに認める地図の読めない女。行きはともかく、帰りは不安で不安でたまらなかった。(ボストンではボストン美術館に2日通いましたが帰りは2回とも道に迷い、タクシー拾ってやっとのことで宿にたどりついた)

 

この、コンフォートインのロゴ!わかりやすい!

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(トップと同じ画像恐縮です)

 

地図を片手に(外国で旅行客丸出しの行動は慎むべきだと頭ではわかっているのですが背に腹は変えられず超大国アメリカの首都の目抜き通りなら危ないこともあるまいと腹をくくった)怯えながら進み、このロゴを見つけた時のうれしさ!

 

飲み物&クッキーサービス

そして日中は、コーヒーと、レモン水と、クッキーのサービスがあるのです。フロントにサーバーが備え付けてあり、紙コップで部屋に持ち帰ることができます。クッキーはアメリカンサイズで甘くておいしい!はじめにもらってきた分では足りず、夜、再びいただきにフロントまで下りて行ったところ、レモン水とクッキーは売り切れ終了でした。コーヒーはいつでも、夜でもOK。

 

施設とサービス

客室内は 

 冷蔵庫・テレビ・アイロン・アイロン台・ドライヤー・コーヒーメーカー

 アメニティ一般。 

 当然ながら浴衣はありません。

施設全般でいけば

 全館禁煙・朝食無料・Wi-fi無料・フィットネスジムあり・売店あり・スナックバー・

 ビジネスセンター・24時間対応のフロント・ゲスト用コインランドリー・

 ランドリーサービス。

部屋数は100。小さすぎず大きすぎずちょうどいいですね~。

 

お勘定

オフシーズンならおひとり様、12,000円代くらいからで泊まれます。私が泊まったのはハイシーズン、9月下旬。1泊259ドル、2泊して税金が75.12ドル。〆て593.12ドル。

 

まとめ

日本ではビジネスホテルやファミリーホテルに泊まる機会はありますが、外国では、はずしたくない気持ちが先に立ち(汚いトコでがっかりしたり危ない目にあいたくない)ついついお金で解決できるなら…と少し奮発してしまいがちですが。リーズナブルなエコノミークラスのホテル、全然大丈夫!サービスも気取りすぎず気楽だし。快適でしたし。旅先は、誰しも目的がある。その人にとって不便なロケーションであれば、論外ですが、場所さえあえば、ほかの町でも泊ってもいいかも。チェーンホテルは、金太郎アメみたいにどこ行っても同じ…。良くいえば、ハズレを引く確率も低いように思います。

 

 

おまけは

ユニオン駅前。

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スミソニアン博物館群内 国立アフリカ美術館

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 アメリカ合衆国ワシントンD.C.スミソニアン博物館群の一つ、国立アフリカ美術館。アフリカンアートの収蔵品数としては世界屈指、と聞き、楽しみにしていました。固めて観る機会は日本ではまず望めないので…。

感想

美術館内が静か

美術館の開館は10時。8時半から隣のインフォメーションセンターは会館しているので、待ち伏せて!?開館と同時に入ったのです。空いていた。ほぼ貸し切りでした。

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建物も新しく、大人な雰囲気。

展示品が新しい

美術館博物館と聞くと、紀元前何千年なんて展示にほれぼれと見とれたり、イギリスやフランスの探検隊が持ち帰った戦利品!?の数々を長年の研究の成果とともに見せていただいたりするのが常なのですが、世界有数のアフリカ芸術コレクションは、大部分が19世紀のもので、一番古いのが13~14世紀。スフィンクスをそのまま持ち帰り、中国やインドの壁画を壁ごとはがして持ち帰る勢いが、アフリカ芸術にはない。昔のものは現地で大事に守り伝えられているのでしょうか。ならいいんだけど…。かわりに、展示品のコンディションは良好です。

展示品が小ぶり

大きいもので、年代もののドアとか。タペストリーとかもありましたが、圧倒的に小ぶりの、人が生活に使うサイズのものが多い。

 ジャンルが偏っている

お面、彫刻、武具、装身具、織物、置物の人形とかが多い。繰り返しになりますが、人が生活の中で使っているものがアートとして諸外国に通用しているのですね。逆に言えば、絵がほぼない。(もちろん、アフリカ現代アーチストの作品は別ですよ!)タッシリ・ナジェールの壁画(アルジェリア。サハラ砂漠のど真ん中に現れる膨大な岩絵群)などは有名ですが、なかった。

 最初に究極のお品をお見せしましょう^^

 

 シエラレオネの象牙の角笛

Hunting horn, Sapi-Portuguese style, Bullom or Temne peoples, Sierra Leone, Late 15th century, Ivory, metal

西アフリカ シエラレオネ ブロム族またはテムネ族。15世紀後半。 64.2 x 16.4 x 9 cm 。象牙。

西アフリカの象牙は15~16世紀後半のヨーロッパの憧れ。シエラレオネの象牙細工は当時の最高峰。ヨーロッパとアフリカの両方のスタイルを取り入れ、ポルトガル人がヨーロッパにもたらしたことから「ポルトギーズスタイル」の名前が。シェルブロ・ポルトギーズ、サピ・ポルトギーズ、アフロ・ポルトギーズなど場所や民族の名前が前に来るのが常。

このホルンにもポルトガルのマヌエル1世(Manuel I 1469-1521)がアラゴン王フェルナンド2世(Fernando II)、カスティーリャ王としてはフェルナンド5世(Fernando el Católico)(1452-1516)に献上した、との銘があり、王家の紋章や、王族が狩りに興じるさまが精緻に刻まれ、象牙のアイボリーの高貴さは格別。

 

続いては、アフリカ美術といえば、これ。 

仮面

 ナイジェリアのイジョ族

Mask, Eastern Ijo or Nembe Ijo peoples, Nigeria, Early 19th to mid-20th century, Wood

西アフリカ ナイジェリア イジョ族。19世紀後半-20世紀。31 x 8.8 x 9 cm。
イジョ族はニジェール河のデルタ地域に住み、アフリカ民族の中では最も進取の気性に富む民族のひとつ。木彫りの仮面は水の精霊。額飾りが精霊のしるしです。水の精霊に連れ去られた女性が村にもどり、自分が水の中で見てきたことを語ったことから、イジョ族の水の精霊への信仰が始まったとされています。

2005年、「ライオンキング」の衣装や装飾、調度、舞台デザインの参考にと収集された約500点のアフリカ美術の品々が、ウォルト・ディズニー・カンパニーからスミソニアンの国立アフリカ美術館に寄贈され、ウォルト・ディズニー・ティシュマン・コレクションと称せられます。この仮面もその中の一つ。

 

 カメルーンのバムン族

Mask, Bamum peoples, Grassfields region, Pa Nje village, Cameroon, Late 19th to early 20th century, Wood, horns, plant fiber, spider silk

中央アフリカ カメルーン バムン族。19世紀後半~20世紀はじめ。76 x 46 x 41 cm 。

このマスクの黄色の目はクモの糸でできている。クモは神に近い存在であり、カメルーンの高原地帯では占いで実際にクモを使います。頭上の頭飾りは地位が高い男性であることを現わし、顔の横の一対の角は自然の、動物の力の象徴であり、アフリカでは動物の角は狩りや魔法、占いに広く用いられてきました。

 

 コートジボアールのセヌフォ族

NMAfA_Mask (Senufo people, Cote d' Ivoire)

西アフリカ コートジボアール セヌフォ族。19世紀後半~20世紀はじめ。36 x 17.2 x 10.5 cm 。

…虫なのか仮面なのか、一瞬迷ってしまう。が、細い目に穴が開いているわ。超面長の顎の細い顔、頭頂部と上中下の計7つの張り出した飾りがセヌフォ族の仮面の特徴。額が大きく張り出して第8の飾りになってる仮面もあるし、お顔の作りにもバリエーションは多い。

セヌフォ族はアフリカきってのアートな民族。木製のものでは仮面、椅子、ベッド、扉、置物など、濃茶色の磨きのきいた滑らかな質感とユニークな造形美はこれぞアフリカンアート。コロゴ布と呼ばれる人や動植物を生き生きと描く染め物(あとでご紹介します)でも、有名。

 

アンゴラのチョクウェ族の麗人の仮面

Female (pwo) mask

中部アフリカ アンゴラ チョクウェ族。20世紀前半。39.1×21.3×23.5cm。

 

この仮面は、若く美しい女性です。かぶるのは男性ですが。「プウォ」とは何か。

すごい説明を見つけました。

ameblo.jp

チョクエはアンゴラ東部を中心にコンゴ民主共和国からザンビアにかけて住んでいる。チョクエは「ムガンダ」の儀礼を受けた男性だけにマスクをかぶることが許されている。その踊り手は「ムキシ」と呼ばれている。チョクエの中で最も有名なものが「プウォ」と呼ばれるマスクで、女性の祖先霊を表すものという。男たちが、このマスクを手に入れるには一人の女性と結婚することと同じ意味を持っていて、彫刻師に依頼するには、結婚の意味を持つ真鍮製の腕輪を渡さなければならない。このマスクをかぶった踊り手は、女たちに子宝がさずかるよう祈り、しとやかに振舞うよう教えるという。

 

肌は滑らかな赤褐色の色(おそらく赤粘土と油を混ぜている)。使い込まれ、やや青みがかっている。額にはタトゥー。伏せた瞼には白のアイライン。細長い鼻、唇、耳、イヤリング、細面の逆三角形の輪郭。編み込みのヘアバンドと豊かな髪。ムキシが亡くなると、仮面はともに葬られます。

そして 

 

ベニン王国

ベニン王国は今の西アフリカ、ナイジェリア南部の海沿いに栄えた今は亡き幻の帝国。12世紀におこり、胡椒と布と象牙と奴隷の交易でおおいに繁栄し、絶頂期は15世紀。19世紀にイギリスとの争いに敗れ、国は消え、英国軍は破壊と略奪の限りを尽くし、貴重な品々は世界じゅうにちりじりばらばらに…。青銅彫刻と象牙彫刻が有名です。

 

ボストン美術館のおすすめ紹介記事でも

hitomi-shock.hatenablog.com

 最後に、ベニン王国のお品、取り上げています。

さて、スミソニアンのお宝は。

 

王の頭像

Commemorative head of a king, Edo peoples, Benin Kingdom, Nigeria, 18th century, Copper alloy, iron

西アフリカ ナイジェリア ベニン王国 エド族。18世紀。33×23.5×23.2cm。銅合金と鉄。

この頭像は、ひな祭りのひな人形みたいなもので、王や酋長を祀る祭壇に使われていた。今の御代のナントカ王、前の御代の偉い酋長の誰それを形作ったものではなく、王位の地位と王権の象徴ですね。冠と襟の珊瑚のビーズは富の証。

ベニン王国に銅と真鍮をもたらしたのは、ポルトガル。全盛期のベニン帝国の王、エウアレ王は王立の鋳造所を作り、鋳造に関われるのは王の目にかない、選ばれたごく一握りの匠のみ。彼らは当時の特権階級。門外不出の技を守るため、秘密を洩らした者は厳罰に処せされたのです。

 

祭壇に置く象牙立て

Altar stand, Edo peoples, Benin Kingdom, Nigeria, 18th-19th century, Copper alloy

西アフリカ ナイジェリア ベニン王国 エド族。18世紀~19世紀。24.4 x 23.5 cm 。銅合金。

おそらくは祭壇に象牙を飾る、象牙立てであったのでしょう。

正装の4人の女性(女性なんだそうです)は各々楽器を手に持ち音楽を奏でます。音色は国王の絶対性の象徴であり、女楽師であることから皇太后(イヨバ)にまつわる祭礼具であった可能性も。

16世紀、ベニン王国の英名な君主、エシギエ王は、母イディアを深く信頼し重用し、「イヨバ」という新たな称号を作って与え、男性の族長と同等とした上に、イヨバの肖像をいくつも作らせました。彼女の聡明さと高潔さを示す、今は世界中に散らばるこれらの作品が、ベニン王国の名を不朽不滅のものにしていることは間違いありません。

 

 象牙のブレスレット

Armlet, Yoruba peoples, Owo region, Nigeria, 16th century, Ivory

西アフリカ ナイジェリア ヨルバ族。16世紀。14.5 x 10.5 x 10.5 cm 。象牙。

透かし彫りも。揺れるフリンジも。からみつくワニも。みんなみんな。1本の象牙からできている!ひええぇえぇぇ…です。ワニがかみついているのはマッドフィッシュ。マッドフィッシュはアフリカのお魚。顔はベニン王国の死の使い、Ofoe。

象牙の白は、アフリカの最高神の一人、オバタラがまとう色です。オバタラは泥から人間を作り、酔って奇形を作り彼らはみな聖職者になった。見えませんが、このブレスレットの裏には聖職者が刻まれている。どこまでも神話と信仰と高貴さに満ちた逸品。

 

ゴールドのジュエリー

 アフリカでは金がとれる。西アフリカはマリ帝国の14世紀の10代皇帝、マンサ・ムーサはメッカ巡礼の時、金を持参し、行く先行く先大盤振る舞い。以後10年間、金相場が暴落したなんてエピソードも伝わっています。西アフリカでも東アフリカでも南アフリカでも採れるのです。いまや金の算出世界一は中国にその座を明け渡してしまいましたが、それまでは南アフリカ共和国が不動のトップでしたね。

輸出はもちろんのこと、身にまとう。金はジュエリーというよりは、権威と名誉の象徴でありました。そして、加賀の金箔なんか見てもわかるとおり、非常に加工しやすい。15世紀後半、難民として北アフリカにやってきたユダヤ人の金細工職人が最新の彫金技術をアフリカにもたらした。そして大航海の時代、植民地時代と、主にポルトガルとフランスの影響を受け、デザインも洗練されていきます。

スミソニアンに展示されていたゴールドジュエリーは新しかった。19~20世紀のものがほとんど。お国としては、セネガル、コートジボワール、モーリタニア、ガーナなど西アフリカのものが多かった。

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高級宝石店かと見まごうような展示。赤の展示台で、ゴールドが映える。そしてほの暗い展示室に輝く金が照らされる。細工が細かい~。

セネガルの花かごペンダント

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西アフリカ セネガル ウォロフ族。20世紀中ごろ。8.8×11.1×2.9cm。チェーンは 21.2cm。

セネガルの首都はダカール。「ダカール・ラリー」の終着地ですね。永らくフランス領であり、ダカールはフランス領西アフリカ国の首都だった。なので西アフリカの中では国力は強い方。女性はおしゃれで、「セネガルの着倒れ」なる言葉もあるんだとか。この花かごを思わせるデザイン(コスティンと名前がついている)はわりとポピュラーで、しばしば結婚式で新郎から新婦に捧げられたのだとか。

もっともこのデザインはコスティンのバリエーションで、セネガルのサン=ルイ島(フランスのサン=ルイ島じゃない。念のため)あたりではこの手のフランス風ジュエリーの生産がさかんです。繊細さを含む華麗な線細工に目が釘付け。

 

セネガルのハートとお花のイヤリング

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西アフリカ セネガル ウォロフ族。1974年。3.6 x 4.3 x 1.6 cmと3.7 x 4.4 x 1.6 cm。

中央にお花。周りにやや小さな4つの花。真ん中のお花は二重になっているのです一つ一つの花びらと縁取りの中には線細工が埋め込まれており、細い花細工の花に囲まれた2階建ての細長い花畑で覆われています。小さな球が花芯や要所に埋め込まれており、台の流れるようなラインも、いやはやここまでやるんですか~ってかんじ。セネガル女性はアクセサリーに名前をつけるのですって。セネガル全土で人気のこのイアリングは「ポーリーンダイク」。サン=ルイ島の美しき助産師をほめたたえるために。「キネの涙」と呼ばれるドロップ型のデザインもあり、セネガル女性が投票権を勝ち取り、功績のあった政治家にちなんだ名前のついた定番もあるのですって。

 

セネガルのヘアアクセサリー

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西アフリカ セネガル おそらくはトゥクロール族。1940-1950年。5.5 x 3.5 x 3.5 cm。

 1940~50年代にかけて人気のゴシ(Gossi)と呼ばれるお年を召された人妻向けのヘアスタイルに使われた。ラフィア(アフリカのヤシの木)の繊維を黒く染めたかつらの毛先に飾ります。アフリカ女性の髪の毛、縮れ毛ですものね。自毛に巧みに編み込むのだそうです。この髪飾りは洋梨型ですが種類は豊富。(丸とかお花の形とか。) 3個一組。両脇と、もう一つは、後ろなのかな…。表面に見えるつぶつぶは、裏から打ち出すのではなく、小さな丸い金が一つひとつはめこまれている。この技法はトゥクロール族が好んで用いたため、謹製トゥクロール族と推定されます。

 

あとはランダムにいきます。 

 エチオピアの盾

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東アフリカ エチオピア アムハラ族。19-20世紀。49.5 x 49.5 x 16.4 cm。銀の合金。

この鍋のフタのような丸く傘地蔵の傘のような放射状の銀板の補強が東アフリカ式、しかし銀をつかい、放射状の銀板には花模様の装飾が施されており、こちらはエチオピア軍御用達。

今も昔も、軍事産業には人とモノと叡智がつぎ込まれる。武器には最新・最高の技術が詰まっている。そして武器は使ってナンボ。実用に耐え、使い勝手が良く、作った意図と目的をクリアしなければ意味がない。機能美ですね。今の日本に生まれ、武器など縁もゆかりもない人生を生きられるありがたさをしみじみとかみしめながら、見せていただきながら、思わず、引き込まれます。

 

 魚のモチーフのボウル

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 大きい蓋つきのボウル。西アフリカ ナイジェリア 民族不明。20世紀後半。36.7 x 37.5 x 37.3 cm 。ひょうたん製。

小さいボウルは中部アフリカ チャド サラ族、Deainalさんという方が作った。1970-1973年。11.9 x 24.2 x 21.8 cm。こちらもひょうたん製。

よくアフリカの女性が頭の上に大きなボウルみたいなの乗せて歩いているのを写真で見かける。あれは、ひょうたん(まあるいひょうたんを半分に切って使う)。ひょうたんのルーツはアフリカ。軽くて加工しやすく、大小形さまざま。もちろん現代製(ブリキとかプラスチックとか)も使われていないことはありませんが、昔から使ってきたものはそうそうすたれない。

模様は、焼き印ですね。金具を熱してひょうたんにあて、模様付けをしていきます。当然部族によって守り継がれた模様がある。この2つのひょうたんは、どちらも魚がモチーフ。ナイジぇリアのアルグングというところでは、「釣り祭り」なるお祭りがあり、男たちはいかに大きな魚を捕まえるカを競う。国内最大級のイベントで、街中には市がたち、お洒落なインテリアとして、生活必需品として、こういったひょうたんを売るお店などが立ち並びます。

 

 コレゴ布

NMAfA_Wall hanging, Senufo people (Korhogo Cote d'Ivoire)

 西アフリカ コートジボワール、セヌフォ族。20世紀後半。

泥染め。自分で織った綿布にステンシルで、泥で模様を描く。ハンターは人生の謎を、山羊は男性の誇りを、魚は人生と豊かさ、鳥は自由、鶏は繁殖力と恵み、ワニは子孫繁栄 、ライオンは王家の誇り、ヘビは豊穣など、それぞれ意味があるのです。もともとはもちろん自家製、自家用。秘密結社(女人と子ども禁制。男性のみが集まって願い事とかお祈りをするアフリカの地域ごとにある行事)のイベント時に身に着けるものだったのです。色は黒、茶色、錆色になり、草木染で緑がかった黄色が入っていたりするコレゴ布もあります。アフリカのこの手のお色目の染物は幾何学模様が多く、こちらも素敵。観光客向けには機械織り・黒インクで染めた布なんかもあるそうで。もっとも、泥染めは褪色は避けられない。微妙なところです。

 

 

ヨルバ族の王冠 

Crown, Yoruba peoples, Ekiti region, Ikere, Nigeria, Early 20th century, Glass beads, cloth, plant fiber, iron

ade(王冠)。西アフリカ ナイジェリア ヨンバ族。20世紀前半。81.3×26.7×30.5cm。

アフリカと聞けば強烈な色遣いは外せない。adeと呼ばれるナイジェリアのヨルバ族の王のビーズの冠です。なぜビーズなのか。11世紀ごろ、初のヨルバ帝国イフェの王、オドゥドゥワが己の死に際し、彼の息子たち一人ひとりにビーズの冠を与え、自身の王国を樹立するために送り出した…という神話に由来します。ヨルバ民族の間では、ビーズを身に着けることができるのはごく限られた特権階級だけ。
王の顔はビーズのベールで覆われる。これは、御簾ですね。権威づけ。正面の顔はオドゥドゥワその人。
冠の先端は、鳥。かたつむりの殻を湿地にまき、鳩と雌鶏を遣わし、大地を作った。カメレオンは、大地創造の進捗状況!?偵察のため、天から降り立った。どちらもヨルバ族の神話。
…となると3人の人間は…察するに神様なのでしょう。(どこ検索しても出てこなかった)

 

ミュージアムショップ 

古いものを見てきたせいか、色目が渋い。でもさすがに館内のミュージアムショップはカラフル。鮮やかでした。

 

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まとめ

アフリカは人類の発祥地。人類のゆりかご。そして歴史が文字として、記録として残っているものが少なく、研究にも手が回らず、情報が少ない。基本よその世界の影響を受けることが少なく、見るもの展示されているもの、日本人の私には目新しく、まるっきり異なる土壌、まるっきり独自の常識で作られた品々を拝見し、脳内の今まで使っていなかった場所を刺激されたかのごとし。行ってよかった!

 入場無料。開館10時、閉館17時30分。年中無休。ただし12月25日は閉館。

スミソニアン博物館で絶対見るべきおすすめ20の展示と見どころを紹介する!

ワシントンD.Cに行ったなら、スミソニアン博物館に行かなければもったいない。入場料、タダ。無料。感想を一言であらわせば「こ、こんなものまで取っておくの~。」何でもかんでも取っておく。アメリカは世界一の大国。富も集まる。篤志家・収集家や学者が己の審美眼と感性に響き渡る品々を追い求め、生きている間は手元に置いて楽しみ、自分がいなくなったら美術館や博物館に寄付して、自分の名前が。生きた証が後世に語り継がれる。それが、ハイソな方々のステイタス。庶民は恩恵を頂戴しましょう!

※一口メモ

スミソニアン、とひとくくりになってますが、アメリカのスミソニアン学術協会が管轄する美術館や博物館の総称であり、ワシントンD.C.内、2㎞におよぶナショナル・モール地区にリンカーン記念堂やアメリカ国会議事堂などとともに超絶級のお宝所蔵の施設(外観見るだけでも楽しい!)が軒を連ねます。もちろん、ワシントンD.C.以外にも別館、特別館がアメリカ各地に点在している。スミソニアン学術協会の運営費はアメリカ国家の拠出、寄付や施設内のショップの売り上げなどでまかなわれています。

 

国立自然史博物館 National Museum of Natural History

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By Ingfbruno (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

中に入ればロタンダ(円形巨大吹き抜け)で巨大なアフリカ象のはく製がお出迎え!スミソニアン最古の博物館。地球ができ、植物・鉱物・生き物、収蔵品は125,000,000点。1億、2,500万…。生命の歴史、人間の起源、鳥類、恐竜、哺乳類、海の生き物、昆虫などなど、臨場感タップリの展示に興奮してください~。

そして何が何でも見ておきたいのは、ご存知。

 

ホープダイヤモンド

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呪いのダイヤ(持ち主が不幸になるとの言い伝えもありますが、歴代の持ち主で呪いを受けなかった人ももちろんいます)ならぬ希望のダイヤモンド。かつてホープさんという名前の方が所有していたことからホープダイヤモンドの名が。かつてはフランスルイ14世、イギリスジョージ4世が所有し、幾度となく持ち主を変え、肌身離さず身に着けていた貴婦人が亡くなったあと、宝石商ハリー・ウィンストンが引き取り、スミソニアンに寄付した。

このダイヤモンドは展示品の中でも別格中の別格で、専用の一室の中、中央のガラス張りの陳列台の中のダイヤモンドは、360度、回ります。少しでも多くの人に見てもらうために。もちろん、見学者が絶えることはない。45.5カラット。小ぶりの消しゴムを、一回り大きくしたくらいでした。

 

マリーアントワネットのイアリング

Washington DC--October 18 2007--Museum of Natural History --Marie Antoinette's Favorite Earrings

フランス革命で断頭台の露と消えたマリー・アントワネット。歴史の大混乱期であり、絶対確実とはスミソニアンも断定はしていないものの、フランス王室に伝わるものであることは間違いない。1853年、ナポレオン三世は当時のファッションのアイコンであったユージェニー皇后へ、結婚の贈り物として、マリー・アントワネットが身に着けていたとの由来のこのイヤリングを贈りました。しずく型のイヤリングは14.25カラットと20.34カラット。ですから、決して大きくはない。(ダイヤとしてはもちろん大型ですけど)せいぜい2~3センチというところ。しかし。マリー・アントワネット。の名前とともに人々の胸に去来する思いは格別で、ダイヤの輝きとともに、人々もこのイアリングの前を立ち去りがたい様子です。

 

ナポレオン1世のダイヤモンドのネックレス 

Napoleon Diamond Necklace

ナポレオン1世が嗣子ナポレオン2世を産んた2番目の妻、マリー・ルイーズに贈ったネックレス。28個のオールドマインドカットの円型のダイヤモンド。大9小10の洋ナシ形のダイヤモンドがフリンジ。フリンジの土台、4個にはローズカットのダイヤモンド。総計263カラット。

ナポレオン1世が退位させられ、エルバ島に流されたとき、妻と息子はさっさと妻の実家、オーストリアのハプスグルグ家に戻ってしまった。ナポレオンから贈られた宝石類をすべて持って。それは、ナポレオンが高貴な血が欲しがったがゆえの結婚ではありましたが。代々のハプスブルグ家が所有し、1962年、スミソニアンに寄付されました。

 

恐竜の化石展示室

Smithsonian of Natural History

ティラノサウルス、トリケラトプス、ステゴザウルス、アロサウルス、ケラトサウルス、ディプロドクス♪ 超ビッグな恐竜が原寸大で所狭しと並んでいます。もともと恐竜好きとか、そういうのはないのですが、そもそも展示の化石1点1点が大きいうえに種類が多く、映画「ジュラシック・パーク」で観たあの恐竜が、この恐竜も目の前に。展示コーナーのスケールの大きさと種類は特筆もの。そしてこのコーナーは、子どもが多い!みんな大喜び!展示も臨場感満点だし、見ているお客さんにも活気がありました。

 

国立アメリカ歴史博物館 The National Museum of American History

ここは、時価数百万とか、億とか、高価なものが展示されているのではない。かわりにアメリカ建国以来の歴史と記憶を目で肌で実感できる、別の意味ではかり知れない、値段などつけられない。忘れられない展示品ばかり。例えば

 

リンカーンが暗殺されたとき(1865年4月14日)にかぶっていた帽子

Lincoln’s Top Hat

 ボロボロですが。色も変わってしまっていますが。妻とともに桟敷席で観劇中、背後から撃たれた。その時に。かぶっていた帽子。

 

映画「オズの魔法使い」(1939)でドロシーが履いた赤い靴 

Ruby slippers from the Wizard of Oz - Smithsonian Museum of American History - 2012-05-15

 ハリウッド映画のエバーグリーン、「オズの魔法使い」(1939)。16才のジュディ・ガーランドはこの映画で大スターの名を不動のものとし、主題歌「虹の彼方に」はジュディの生涯の代表作となりました。竜巻に巻き込まれ、迷い込んだオズの国。良い魔女のグリンダが履かせてくれたのが、魔法の赤い靴。

 

ジャクリーン・ケネディの三連パール

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 昔、日本で復刻版のレプリカが発売され、私、買ったんですよ。しかし真珠の粒が大きすぎ、ジャッキーみたいにはどうにも使いこなせなかった。(素材が違いすぎると言われれば終わりですが;;;)ジャッキーが身に着けていたのは、フェイクパール。写真映えするように、大振りの、プラスチック製のアクセサリーなどが多かった、と聞きました。華やかに女らしい、ジャッキー・スタイルのシーンの数々が思い起こされます。

 

ファーストレディのドレスコレクション

First Ladies

歴代のファーストレディーのドレスの展示があるのですよ。大統領夫人ですから、年齢は高め。30~60代のご婦人のドレス。最高級であることは疑うべくもありませんが、サイズは大きめのものが多い…とお見受けしました。そしてアメリカ人、大きい。縦も横も大きい。そして時代をさかのぼればさかのぼるほど、ドレスも小さくなっていく。ひとりひとりの写真とバイオグラフィーとドレスを見比べ、18世紀からのファッションの流れは一目瞭然。

Michelle Obama’s 2009 Inaugural Gown

2009年1月20日、ワシントンD.C.のワシントンコンベンションセンターで開かれた大統領就任記念パーテイーでオバマ大統領夫人、ミシェルが着たドレス。アイボリーのシルクシフォンにスパンコールが縫い込まれ、淡いグレーのお花の刺繍、縫い込まれたシフォンの白い花のワンショルダードレス。デザイナーはアジア系の若手、ジェイソン・ウー。

Michelle Obama’s 2009 Inaugural Gown

生地のアップ。

 

モハメド・アリのグローブ

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From wikimedia Commons/File:Muhammad_Ali's_boxing_gloves.jpg 14:57, 20 February 2014(UTC) License=CC BY-SA 2.5
 

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」魅せるヘビー級ボクサーのボクシンググローブ。アリのリングの闘いがどれだけ革新的なものであったか。華麗なステップ、もといフットワークと目にもとまらぬスピードで繰り出されるジャブ。数々の名勝負で知られ、真のチャンピオンの座に、名にふさわしい。そしてアスリートって寡黙な人が多いでしょう。でも、アリは違った。勝負に、政治に、炎上!?狙いで過激なパフォーマンスを繰り返す。注目が集まれば集まるほど、興行主は大喜び。良かれ悪しかれ周りは騒ぎたて、試合は盛り上がること…。

 

核のスイッチ入りのブリーフケース 

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正確には、世界のいついかなる場所にあろうとも、核攻撃にGoサインを出すためにアメリカ大統領の側近が持ち歩く、道具やその道のマニュアルの入ったブリーフケース。サインを出せるのはアメリカ大統領だけ。しかし現実、核発射(こ、怖い…)には大統領の本人確認のコードを入れたり、国務長官の確認を取ったり、手続きは厳重を極める。そう簡単に核戦争が、起こってたまるもんですか!!!

 

国立航空宇宙博物館 National Air and Space Museum

スミソニアン1の見学者数を誇るのは、ここ、飛行機と宇宙船の現物がそのまま。何しろ展示物が大きすぎるので、別館がワシントンの空の玄関口、ダレス国際空港近くにあり、展示も別館、超豪華。(スペースが違いすぎる。別館は70,000㎡を超え、東京ドームの1.5倍近い)そしてワシントンD.C.の国立航空宇宙博物館は。レジェンド揃い。レガシーだらけ…。

ライト兄弟のライトフライヤー号

Washington DC: National Air and Space Museum - 1903 Wright Flyer

本物ですよ。本物。ライト兄弟が作った飛行機がそのまま。展示してあるんです!ここもライト兄弟専用の展示ルームがあり、写真どおり照明もほの暗くノスタルジック。1903年にライト兄弟が最初に運転した動力飛行機の実物。人間って、挑戦する動物。トライしたくなる。不可能に立ち向かってみたくなる。果てしない歴史の歩みの中、膨大な人間の挑戦の積み重ねが、世界を変える。この部屋に足を踏み入れると、実感が肌に迫ってくるのです。


リンドバーグのスピリットオブセントルイス号

Washington D.C. - National Air and Space Museum Spirit of St. Louis Ryan M-2 02

これも実物…。ため息しかない。 チャールズ・リンドバーグが世界初、1927年にニューヨークーパリ間の単独無着陸大西洋横断に成功した一人乗り飛行機の実物。今見ると、鉄板とかペナペナに見えて頼りない…。何百人も乗せる飛行機しか乗ったことがないもので…。ライト兄弟の初フライトから20年あまりしかたっていないというのに。真っ暗な大西洋、飛んでいた時、怖かったろうなあ…。1928年にリンドバーグ自身の運転によるフライトを終えたあと、スピリットオブセントルイス号はスミソニアンに寄贈されました。

 

アメリア・イアハートのロッキード・ベガ

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 アメリア・イアハート(Amelia Mary Earhart、1897-1937)の名は、目にするたび耳にするたび、ロマンと悲劇が交錯し、人々の胸に刻み込まれ、語り継がれる。美しく、知的な女性であり、1932年に大西洋単独横断飛行、米大陸単独横断無着陸飛行を成功させ、1937年に赤道上世界一周飛行に飛び立ち、7月2日、太平洋上で消息を絶った。もちろん機体はレプリカではありますが、イアハートの写真や、イアハートが着用したフライトジャケットなども併せて展示してありまして、アメリカでの人気のほどがしのばれます。

 

アポロ11号司令船コロンビア号

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1969年7月20日、人類初、月に着陸した宇宙船の本物。「宇宙」博物館ですから、ほかにもものすごい展示が目白押しなのです。スプートニク1号(1957年に当時のソビエト連邦が打ち上げた世界初の人工衛星)、月の石(1972年アポロ17号が月から持ち帰った)、ハッブル宇宙望遠鏡(1990年打ち上げられた人工衛星。宇宙空間から鮮明な画像を地球に届け、数えきれない新発見を成し遂げた立役者)、ボイジャー宇宙探査機(1977年打ち上げ。惑星探査機)、マーキュリー6号のフレンドシップセブン(1962年アメリカ初の有人軌道飛行に成功)、ジェミニ4号(1965年に打ち上げられアメリカ初の宇宙遊泳に成功)…とまあ、ニュースに出てきた実物が目の前に。きりも果てもなくスケール大きすぎ。

 

ゼロ戦(三菱零式艦上戦闘機 52型 A6M5 )

Mitsubishi A6M5 Reisen (Zero Fighter) Model 52 ZEKE

 日本人ですもの、見ておきたいではありませんか。1941年、サイパンでアメリカ軍の手に落ちた。13機あったのだそうです。まずアメリカ軍によって徹底的に機体を調べられ、テストフライトが繰り返され、航空ショーでは大人気。もう1台、アメリカにゼロ戦が残っており、こちらは飛行可能だそうです。しかし、空を飛ぶならメンテナンスは欠かせない。往時の姿をとどめているのは、断然、スミソニアンのゼロ戦でありましょう。ちなみにゼロ戦の「ゼロ」の由来は日本空軍に採用された昭和15年は皇紀(神武天皇の御代から数える日本の紀元の数え方)2600年だったことから。

 

チャールズ・ラング・フリーア(Charles Lang Freer1856-1919)はアメリカの実業家。東洋美術の収集家として知られ、死後、「自分の寄贈品を自分の美術館以外で公開しないこと」「自分の寄贈品をどこにも貸し出さないこと」を条件にスミソニアン協会に所蔵品を寄付しました。つまり、巡回の展覧会を待つことは不可能。ワシントンD.C.まで行かなければ貴重な品々を見ることはできません。

スミソニアン人気のスポットは、どうしても今まで見てきた、一般受けしそうなものに集中する。ここと、アーサー・M・サックラー・ギャラリー(フリーア美術館と地下でつながっている)は、「スミソニアン・キャッスル(スミソニアン協会本部)」と呼ばれる、スミソニアン全体のインフォメーションセンター(とはいえここもものすごく見ごたえあった…)のすぐ隣で、行きやすいですし、美術館の雰囲気もがらりと変わり、静か。見学者も熱心そうな大人ばかりだし、混んでいない。

そして目玉と言えばやはり

孔雀の間

"The Peacock Room Comes to America" exhibition

 フリーアが美術収集するにあたり、協力を仰いだイギリス在住のアメリカ人の画家、ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler 1834-1903)のデザインの、もともとはイギリスの富豪のお部屋。をフリーアが入手し、フリーアの死後、スミソニアンに寄付された。

真ん中の絵はホイッスラーによる「磁器の国から来た皇女」。部屋には所狭しかつ整然と中国の焼き物が飾られており、やや鈍い緑と青が使われ、壁には金で大きく尾羽根も華麗な孔雀が描かれている。東洋なら、ぽつりと1つか2つか3つかを飾り、余白の美を味わうのでしょうが。西洋の人の東洋趣味、オリエンタリズムのエキゾチシズムって、こうなるんだ~。

ここは、正確に言えばスミソニアンではありません。スミソニアン協会に属していない、国立の美術館。しかし敷地は同じなのだし、入場無料も同じ。それに入れておかなければ勿体ないものがあるので。

ジネヴラ・デ・ベンチの肖像 1474-1478頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ

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 西半球(日本ではあまり聞きませんが世界的にはわりとメジャーな言葉らしい。地球儀の地球をスイカみたいに子午線0~西経180度で真っ二つに割る。西半球には南北アメリカ大陸がすっぽり入り、東半球にはユーラシア大陸や日本が入る。西半球新世界、東半球旧世界との見方もできる。)、アメリカ大陸で唯一のダヴィンチの絵。時にダヴィンチ、21才。モデルのジネヴラは16才。美しく才気ある女性として当時のフィレンツェではとても有名だった。…にしては顔色や表情がどうも、などと考えるのは野暮というもの。ジネヴラの知性と人柄を表現するためにあえて、わざとこう描いたのだ。と言われています。絵の裏面には「美は徳を飾る」とラテン語で記されているのだそうです。

 

アルバの聖母 1510 ラファエロ

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ラファエロの聖母子は見ている人に安らぎと幸せを感じさせる。ラファエロ存命中は絶大な人気を博したものの、とんがっていることが芸術なのだ、の今のアートの流れでは評価は他の画家に押され気味…なんだそうですが。しかし人が自分の家に飾っておきたくなる絵。穏やかで平明でキレイで…。スペインのアルバ家が所有していたことから「アルバの聖母」の名が。のちにロシア帝国に渡り、時代は移り当時ソビエト連邦のエルミタージュ美術館がこの絵を売りに出し、アメリカの大富豪が購入。ナショナル・ギャラリー・オブ・アートに寄付した。

 

 天秤を持つ女 1662-1663頃 フェルメール

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 ナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所有するフェルメールは3点。「手紙を書く女」(1665頃)、「赤い帽子の女」(1665-1666頃)、そしてこの「天秤を持つ女」。世界に30数点しかないフェルメールの絵。描かれている女性は、「真珠の首飾りの少女」(オランダ マウリッツハイス美術館所蔵)と双璧の美しさ。静謐な世界に酔いしれてしまいましょう!

 

ホープトガーデン

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イーニッド・ホープト(Enid A. Haupt   1906- 2005)。(「ホープト」「ハウプト」「ハオプト」の表記があります)はアメリカの出版社社長で富豪。ちなみに女性です。スミソニアンキャッスルの南側、 アーサー・M・サックラー・ギャラリーと国立アフリカ美術館の間の65,000㎡あまり、ビクトリアンスタイルの庭園を1987年に寄付しました。

ホープトのガーデニングへの功績は絶大。アメリカ園芸協会にかつてジョージ・ワシントン所有であったプランテーションを贈り、ニューヨーク植物園にあるビクトリアンスタイルの温室のリニューアルに資金提供し、ニューヨークのメトロポリタン美術館、クロイスターズ美術館、フランスはモネのジヴェルニーの庭の維持に多額の資金を提供し、小児がんの子どものために病院に無菌の庭園を作った。女性ならではですね。

 

正面はビクトリアンガーデンですが、サックラー・ギャラリー側は南国風、アフリカ美術館側にはイスラム風のお庭になっていて、季節の花が咲き乱れます。

 

ついでにリンカーン記念館と第二次世界大戦記念碑とワシントン記念塔

ワシントン記念塔はジョージ・ワシントンに寄せて。リンカーン記念館はリンカーンをしのび。そして戦争で海に、大陸に散った命に鎮魂を込めて…。

何しろ地続きなものですから。ワシントン記念塔を横目で見て、せっかくだから行ってみたい。リンカーンの巨大な銅像をこの目で見てみたい…。と。

新宿の高層ビルみたいなもので、まじかに見えるのですが、巨大なので歩くとけっこう遠い。しかし来たからには!行ったからには!

 

ワシントン記念塔から。

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第二次世界大戦記念碑。

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リンカーン記念館。

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記念館内のショップ。

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記念館から。

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も一つ。

ナショナル・モールから見えたアメリカ合衆国国会議事堂。

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アムトラック・アセラでボストン・ワシントン・ニューヨーク3都市間移動

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アムトラック・アセラの路線図)

はじめに(鉄道移動を選んだ理由)

ボストンからワシントンD.C.ワシントンD.C.からニューヨークまではアメリカ版新幹線、アムトラック(JRみたいなもの)のアセラ(「のぞみ」とか「はやて」みたいなもの)を利用しました。

飛行機で移動しても良い距離ではあります。(ボストンーワシントンD.C.650kmあまり、ワシントンD.C.ーニューヨーク400kmあまり)

しかし、どこも空港は町中から遠く、タクシーなり地下鉄で時間を取られ、荷物を預けてセキュリティチェックを浴び、乗る前も降りたあとも待ち時間が長い。ならば自分の荷物は手元に置ける。駅の改札では切符見せるだけだし、町中から町中まで座って車窓の景色を見ていればよい電車の旅の方がよっぽど手間と時間の節約になるというもの。

白状すると、海外で、一人で、外国で公共交通機関使って都市間移動するの初めてでした。しかし、時間がきたら列車に乗り、時間になったら降りるだけではないか。と自分で自分を奮い立たせ、

 

アムトラックNortheast Corridor(北東線)。始発ボストン終着ワシントンD.C.間は6時間47分。ワシントンD.C.とニューヨーク間は3時間25分。差し引けばボストンとニューヨーク間は3時間22分。ガイドさんに取ってもらったチケットをきつく握りしめ、ボストン南駅(Boston South Station )へと。

 

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アムトラックと日本の新幹線との違い

駅のホームでの待ちなし

新幹線は駅に入り、ホームを確かめ、何号車に乗るのか確認して並ぶ。しかしアムトラックは違う。何番ホームに列車が止まるのか。乗客に知らされるのは直前。(20~30分前)。乗客は駅構内で待つのです。

ボストン南駅の入場口(あえて改札口とは言わない)前には巨大な電光掲示板時刻表があり、到着ホームが発表!?点灯!?されると、乗客はおもむろにホーム番号のついた入口に向かうのです。

英語にははなはだ自信がなく、不安でしたが、アムトラック・アセラは自動車大国アメリカが誇る大動脈鉄道で、ドル箱路線。おまけにボストンは基幹駅。Train番号と出発時刻で見当をつけた自分が乗るアセラ号の表示を穴があくほど見つめ続け、出発ホームが表示されたとたん!人が流れ出した。人波に入れば、迷ったり間違った場所に並ぶ心配は、ほぼない。

改札口がない。そして全席自由席。

では切符はどこで使うのか。

まず入場口を通り、ホームで、アセラ号に乗り込む時に、駅員さんにチケットを見せると、「あなたはビジネスクラスです。」と教えてくださる。(ちなみに座席は「ファーストクラス」と「ビジネスクラス」の二種類。列車に「first」「business」に書いてあるのと、乗り込む乗客の階層!?、身なり、乗り込む人数でアタリをつける。

(もっともワシントンD.C.のユニオン駅ではホーム入口に駅員さんがいてチケットを見せてホームに入った)

次が車内改札。自由席なので、好きな席に座れます。スーツケース置き場ももちろんありました。下手すれば一生一度のアムトラック、絶対窓側、なんて顔色変えてるのはジャパニーズの私くらいのもの。皆さま乗り慣れている様子です。出発後ほどなく車掌さんがやってくる。チケットのQRコードをピピッと読み込み、頭部座席のてっぺんに確認済みの紙片をはさみこみ、完了。

車内の写真。

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マジックテープのところに検札済みの紙片をはさみます。ボストンから乗る人は大多数がニューヨーク下車。なのでニューヨークが近づくと車掌さんは紙片を回収。ニューヨークで乗り込んだお客さん相手にもう一度一から検札。間の駅から乗車するお客さんにはその都度検札。

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ボストンーワシントンD.C.間 乗車の車内。

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 ワシントンD.C.ーニューヨーク間 乗車の車内。

列車のスピードは新幹線ほどではない

ボストンーワシントンD.C.間は大雑把に650㎞あまり。新幹線なら東京ー大阪間も600㎞台。「のぞみ」なら2時間台ですが、アセラ号は7時間近くかかる。新幹線は専用線路だけど、アムトラックは在来線も走る。通過する駅も「混むのは朝夕だけではないのか」的なうらさびしいトコもあったし…。JRの新幹線以外の特急列車をイメージした方がいいのかも。

車内の設備

  • 座席は写真のとおり。クッション柔らかく座り心地よし。
  • ワゴンで巡回の車内販売なし。ボストンーワシントンD.C.間はボストン発11時台の列車だったので、みなさん駅で買ったのであろうお昼ごはん・紙トレーのせを手に乗り込んできた。食堂車があることを確認し、行ってみるとカフェ式。コーヒーとビーガン(殺生した動物性のものを食べない菜食主義の一つ)バーガーを頼んだのですが、併せて10ドルちょい。高い。しかしこのビーガンバーガー、美味しかった!トマトソースにコクがあり、菜食主義のゴハンはボソボソしておいしくない。の常識を覆すアメリカ旅行中1・2を争うファストフードでした。
  • 電源完全装備。Wi-Fi装備。隣の席はニューヨークまで、ワシントンD.C.まで、ニューヨークまで、すべて女性でしたが皆「電源いいですか?」と笑顔で声をかけてくださり、私は窓際にある電源にプラグを差し込み、再び笑顔で「Thank you!」とお礼の言葉など頂戴し、全員バックからポータブルPCを取り出しお勉強なり情報収集やらに余念がない。(乗り慣れているのでしょう)
  • トイレは、室内や便器等、アルミの銀色が目につく。流すと青い水が出てくる。循環式ってやつですね。なんか昭和の香り~、をアメリカで感じてしまった。

ワシントンD.C.のホームは旧式

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このどこまでもアメリカ首都の駅とは思えない駅のホーム。まさかここじゃないだろう。しかし乗客みな下車しているし…。と半信半疑で降りたら正真正銘、ワシントンD.C。

古いからダメとは申しません。しかし。ホームと列車の段差がハンパじゃない!ワシントンD.C.ーニューヨーク間のアムトラックに乗り込む時、特大のスーツケースを持ち上げるのは無理だった。(倒して下から押しあげて列車に乗せた)

 

アムトラックからの車窓の景色 

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この日は曇りだったこともあり、空も海もどんより。

ももちろんあるのですが、ボストンーニューヨーク間は原則田舎を走るのです。延々と続く原野とか入江とか、アメリカの人が暮らすのどかな場所を垣間見ると思えば良し、見どころ特になしと見ることもできる。

ニューヨークーワシントンD.C.間は、フィラデルフィアデトロイトと大都市を通過するし、都会度は高いのですが、前にも書いたとおり、在来線の路線を通るし、ごみが不法投棄されていたり、橋の橋脚に落書きがしてあったり、ボロボロの家や工場の立ち並ぶ街並みがそのままだったり、の区間もあり、少なくても乗客に見られたくないものは見せないでおこう、との気配は感じられない。

それでも、ニューヨークの。フィラデルフィアの。きらめく摩天楼には感動しました~。10,000㎞旅して、地球の裏側に着き、ついにこの目で見たニューヨークの摩天楼!

 

ワシントンD.C.ユニオン駅

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到着したのは日曜日の18時ごろ。明るい。9月のアメリカ東部は、19時半過ぎないと夜のとばりはおりない。広大すぎるファザードが解放感たっぷり。

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ショッピングコート。

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アムトラック45年の歩み」駅のコンコースのディスプレイです。

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ユニオン駅の時刻表掲示板。Gate/Trackに表示が出たら、すかさずGo!

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入口前の待合スペース。

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ニューヨーク ペン駅

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ボストン、ワシントンとも、のどかで良い所だった。ビッグアップルの地に生まれて初めて足を踏みいれた途端、大都市の喧騒に気おされ、100年の夢からさめた気分。ガイドさんの「(東海岸の旅行中)ここだけ人が多いです!くれぐれも(スリ等)注意してください!」のお言葉を思い出し。気を取り直し。あわてて必死でタクシーを拾い、ホテルに向かいました。

 

まとめ(予約方法、料金など)

予約

私はガイドさんに取っていただきましたが。もちろん、駅の窓口で買える。ただし乗りたい列車が満席の場合は別の列車にしなければなりません。

ネット購入が無難でしょう。

www.amtrak.com

QRコードの入ったe-チケットを日本で出力しておけば、駅で乗車券に変える必要はありません。そのまま使える。駅で座って待って、ホームが決まったら行って乗ればよいのです。(私は自信がなかったので窓口に行って、交換はいらないと言われた←情弱)

料金

SAVER、VALUE、FLEXIBLE、PREMIUMの4種類。SAVERはキャンセル不可(ただし設定のない列車もある)、VALUEは制約付きでキャンセル・返金可。FLEXIBLEはキャンセルフリー。PREMIUMはファーストクラス料金。

 

アムトラックのチケット予約画面でためしに検索をかけると、先の日付と明日出発の列車では値段も違えば選べる座席も違う。

ボストンーワシントンD.C.間はVALUEだと170~270ドル台(早朝便とか先割だと料金が安かったりする)FLEXIBLEはほぼ308ドル均一。PREMIUMだと270~440ドル台。各駅停車なら時間はかかるけど、100~200ドル台。

ボストン美術館で見るべきおすすめ作品と見どころを紹介!(日本美術中心)

 アメリカマサチューセッツ州、ボストン美術館に行ったなら、

hitomi-shock.hatenablog.com

 こちらの路線が王道であることはわかっています。しかし。私がなぜボストンまではるばる出かけて行ったか。それは、ボストンにある日本美術が見たかったからなのです。そしてボストン美術館の東洋部門、アジア美術は、世界有数。日本美術に限って言えば、日本以外ではNO.1。太平洋を超えて渡った正倉院と言っても過言ではない。

じかに見たもの、日本へのお里帰りで評判だったものなど、これぞ、のおすすめを紹介していきます。

日本美術  

風仙図屏風 江戸時代 曾我蕭白

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この絵、里帰りするんですね!慎んで追加。

今でこそ若冲・蕭白と言えば大騒ぎですが、一躍脚光を浴びたのは1970年代、辻 惟雄(1932- )先生の著書「奇想の系譜」がセンセーションを巻き起こし、紹介された江戸キッチュ、エクセントリックでかっ飛んだ日本美術の、亜流とも濁流とも取れるダイナミズムあふるる作品群は、見る人の度肝を抜いた。黒い渦巻きは、竜巻。中央の男性(陳南仙人(龍を呼び雨を引き寄せる)とも呂洞賓仙人(中国で一番人気のヒーロー仙人さま)とも)は剣をふるって龍をあやつり、天井の水門を開かしめ、干ばつから人々を救うのです。風のあまりの勢いに2人の男はひっくりかえり、右手奥の草むらにはウサギが2匹。かろうじて立っている。我々の潜在意識にある「日本美術」の固定概念を根こそぎ揺るがす曽我蕭白。「『画』が欲しいなら俺に頼め。『絵図』を求めるなら(丸山)応挙に頼め。」と冗談交じりに語ったとか。江戸時代のサイケデリック、横尾忠則。破天荒な無頼の絵師は大家として京都でその生涯を終えました。享年52。早くに天涯孤独の身となり、己の才能だけを頼りに突っ走った一生。死因は伝わらず、妻についてはわからない。幼い息子を亡くした4年後のことです。

観音菩薩立像 飛鳥時代

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岡倉天心(1863-1913)。明治期、西欧に追いつけ追い越せの時代に、それまでの日本文化は大層軽んじられていた。日本の伝統美と文化の素晴らしさに目覚め、気づき、大切さを日本に世界に知らしめた方。天心は1904年よりボストン美術館の東洋部門の初代部長となり、その際、収集した仏像です。この像、小さい。22.5cmの金銅仏。仏教が伝来し、で、仏様を信じるにはどうすればいいのか。いきなり巨大なお寺や仏像を作れと言われても敷居が高い。小さいものでいいんですよ。とこのサイズの金銅仏は盛んに作られ、お家の中で大切に祀られていたのでしょう。

 

大日如来坐像 平安時代

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大日如来は密教の中心。密教における大宇宙を現わす仏様。1149年製作。「大日」ですから光り輝いている。そして、もともと、仏様はどんな場所で、どんな風に置かれていたのか。

 仏教美術展示室 では

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中央が大日如来。向かって左が阿弥陀如来。右は大日如来。

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そして四隅には四天王2体、不動明王、毘沙門天が控える。

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ほの暗いお寺の中。仏様が薄明りの中、厳かに、遥か遠くから来られ、お伴の者はみ仏を守りに立ち、鎮座している。をアメリカで、ボストンで、体感できる展示になっています。「少しでも日本の寺院を訪れたときに近づける」ため、椅子に腰かけて仏様と対面できます。

 

弥勒菩薩立像 鎌倉時代 快慶

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この像、有名。何度か日本にお里帰りしていますね。鎌倉時代の仏師といえば、運慶・快慶。そして快慶は圧倒的に資料が少なく、運慶に比べ語られることが少ないのだとか。むっちりした肉体表現、流れる着衣のラインは快慶のお家芸。内部に経典が入っていて(もちろんこの経典もボストン美術館の所蔵品)これにより製作年が1189年と特定された。元は奈良の興福寺にあった。 岡倉天心が購入(ああ、売り払ったりしないでほしかった…)。 ボストン美術館 が1920年に遺族 より 購入。

 

金銅聖観音坐像 鎌倉時代 西智

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この仏像も超絶国宝級。鎌倉時代の金銅仏の最高傑作の一つと呼ばれている。保存完璧。「西智」検索かけてもさっぱりヒットしません。もとは滋賀の金剛輪寺にあった。(ああ、売り払ったりしないでほしかった…←以下全部同じなのでこれで最後にします)台座に製作年が1269年であること、作者が西智であることが刻まれています。地方豪族の栄華のありようと、運慶快慶以降の仏師の仕事ぶりを見て取ることができる。蓮の花を型どった台座、仏様のバックには光輪が立ち、オーブが、オーラが燃えている。細工の流麗さ。精巧さ。

 

こんなかんじで

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近くに置かせていただき、感激。

 

普賢延命菩薩像 平安時代

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息を呑んでしまいます。赤と白の房が下がる天蓋の下、仏様と白象の白い肌のなまめかしいこと。コスチュームとアクセサリーの華麗なこと。象は牙にもお化粧してる。口紅を塗っている。ネックレスが揺れれば、ひときわきらめいたことでしょう。「延命」ですから、命を延ばしてくれる仏様。頭飾りには5人に小さな仏様。3つの頭を持つ像と、足元は法輪の下に8頭の小象。四天王が周りを固める。象の異形の表情と、仏様の伏し目がちの目線が、いっそうこの絵を幻想的なものに。

 

龍虎図屏風 桃山時代 長谷川等伯

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桃山時代の天才、長谷川等伯絶頂期の屏風。「松林図」は東京国立博物館で。そして「龍虎図」はボストン美術館で♪みなぎる余白。ドラマチックな画面はとりすましたそれまでの日本の絵にはない個性で、当時のアバンギャルド、最先端。一陣の生温かい風が吹き、暗雲垂れこめ、龍が雲間からゆっくりと姿を現す。虎と龍の目が合う。新たな時代の幕開けとともに。6双だからざっと3畳。が2つ。

ちなみにボストン美術館のホームページから確認できる長谷川等伯は6点。

 

乗興舟(断簡)江戸時代 伊藤若冲

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これ。若冲なんです。極彩色の鶏とか鳳凰とかオウムにしようか迷ったのですが。それも「拓版画」。石碑とかに墨を塗って石碑の魚拓を取る、あれ。ですのでモノクロで、色は反転します。黒は白、白は黒と読み替えなければいけません。ええトコの隠居、若冲が淀川下りをしたときの景色を絵巻物にまとめ、「断簡」つまり一部がボストン美術館の手に渡った。若冲の実験は、碁盤の目のように、正方形のマス目を埋める「樹花鳥獣図屏風」は有名ですね。あれは、若冲の実験の一部だったんだ。この絵も、モダンですね。

ボストン美術館のホームページから確認できる伊藤若冲は37点。

 

松島図 江戸時代 尾形光琳

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松島には行ったことありますが。曇りだったのでしょうか。こんな色とりどりではなかったような…。空は、金色。波も金色。ゴールド。うねる波しぶきは白。同じくアメリカはワシントンDC.には俵屋宗達の「松島図屏風」もありまして、江戸のビッグネームの松島の屏風が2双、なぜかアメリカの東海岸にある。宗達の絵も金を基調としており、時代としては宗達17世紀、光琳18世紀なので、光琳はもちろん宗達の絵を知っていたのでしょう。フェノロサが手に入れた、外国人が初めて手に入れた日本の絵の傑作。

ボストン美術館のホームページから確認できる尾形光琳は24点。俵屋宗達は11点。

 

松千歳の契り 江戸時代 鈴木春信

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 驚くなかれ、ボストン美術館のホームページから確認できる鈴木春信は666点。絵や彫刻と違って浮世絵は単価も安いし、モノも多い。(浮世絵1枚は当時のソバ1杯分だったとか)浮世絵の祖が岩佐又兵衛(ボストン美術館所蔵1枚)・菱川師宣(ボストン美術館所蔵135枚)なら春信は錦絵の祖。甘く、夢見る少女のような画風は春の夜の風のよう。抒情と雅やかな気品に満ち、この絵も松・梅・鶴・恋する2人とめでたいものづくし。

 

雛形若菜の初模様 あふきや内 たき川 おなみ めなみ 江戸時代 鳥居清長

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 今で言うモデルさんや女優さんの宣伝写真。最新ファッションの発信でもあった。着物の柄も帯の文様も、新柄をいち早く書き込み、絵は一層リアリティを増す。鳥居家の、清長の本業は歌舞伎の絵看板屋さん。副業の浮世絵で、歴史に名を残す。清長といえば8等身美人。なよなよくねくねしたところのない、長身で、堂々たる体躯。きりっとした表情とすっくと立つ清長美人は見ていて小気味よい。サモトラケのニケやミロのビーナスが反射的に頭に浮かぶのです。スケールが大きい。

ボストン美術館のホームページから確認できる鳥居清長は763点。

 

稀に逢う恋 江戸時代 喜多川歌麿

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歌麿の絵を見ていると、この人リアルでは相当非モテだったんだろうなあ。との凄みを感じます。歌麿美人のどれもこれも、女性を偶像化し、自分には手が届かないものをあがめたてまつり、女のすべてを描いて描いて描きまくる。自分は地べたに這いつくばり、女性は高みへ、高みへと。凄惨な大年増の大首絵なんかも、いいんですが、この絵は初々しい武家娘。バックの雲母摺も、ピンクです~。

 ボストン美術館のホームページから確認できる喜多川歌麿は1,161点。

 

絵や屏風は1点ものですが浮世絵はある程度の数刷って売るから、同じ絵柄の浮世絵が世界中の美術館博物館に点在している…はよくある話。1枚1枚状態が違い、刷りが新しいと色もよく付く。見比べる楽しさはあるものの、同じ絵、東博も持ってる…。ことも多い。写楽も北斎も広重も、質・量とも所蔵量は圧倒的。…しかし、やっとのことでたどりついたボストン美術館の展示は、私が行った時には、実は寂しかった…。美術館内ではテーマに沿った特集展示があるから、浮世絵をやれば圧巻なんだろうな。時々開催される日本での「ボストン美術館」の名のつく里帰り浮世絵展は、必見!

ボストン美術館のホームページから確認できる東洲斎写楽は95点。葛飾北斎は1,829点。歌川広重は6,137点。

 

行ったときの浮世絵は

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地味でした…。でも

 

月百姿玉兎孫悟空 江戸時代 月岡芳年

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この絵が展示されていたのです!満月をバックに見栄を切る孫悟空の鮮やかさとカッコよさに一目ぼれし、ずっと憧れていたので、感激。展示のお題は「猿」。所蔵の日本の作品の中から猿が描かれているものをまとめて展示しており、ミニコーナーでしたが、見ごたえあり!

ボストン美術館のホームページから確認できる月岡芳年は547点。

 

白絲威鎧 江戸時代

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淀稲葉氏伝来。黒・白・金・朱の色のハーモニー。

 古い鎧は糸がボロボロでありがたく珍しく大切なお宝とはいえ、目にはあまり楽しくない。この鎧は古さも程よく、りりしい武者ぶりがしのばれます。兜は14世紀の名品を使用しているのだそう。

展示は

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鐙や刀や鍔と一緒。隣には

 

芥子図 江戸時代 宗達派

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赤いポピー、白いポピー。きれいだ…。優美だ。グレース・ケリー連想しちゃった。琳派の画家筆。ただし署名も落款もない。加賀百万石前田公が天徳院(金沢のお寺)に寄進したもの。花びらの1枚1枚が薄く、金箔が透けて見えるような。

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美術館の画像と、自分の目で見た実物・自分で撮った写真ずいぶん違う。特に金箔。そして花びらの色。行ってみなければわからないものです。

 

1階(アフリカ美術)と2階(日本美術)の間の階段

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和を感じさせる工夫が。

 

天心園

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ボストン美術館の一角、入場料なしで入れる日本庭園。4月から10月、土曜日~火曜日10:00~16:45水曜日~金曜日10:00~19:30開演。荒天時は閉園です。リンデ・ファミリーウィング2階のダフネとピーター・ファラゴ展示室の窓から見ることができる。2015年に日本テレビの寄付により改修されたばかりで、キレイ。15世紀の禅寺を思わせる枯山水様式。熊手で白砂を引き、できた模様で水の流れを表現する。

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私が行った時には、お客さん待ちのタクシーの運転手さんでしょうか。ベンチでお昼寝してました。

作庭は、「昭和の小堀遠州」こと中根金作。ああ、どこまでも一流どころばかり。師いわくこのお庭「ニューイングランドの山々、海、島々の本質を表現しようとしました。」(1987)ホント、ボストンは陽光柔らかく緑映え、良いところ。

 

日本美術以外

ボストン美術館をガイドブックで見れば、取り上げられる作品はどうしても印象派などのヨーロッパ美術に偏る。ヨーロッパ・日本以外で良かった展示や目玉の所蔵品をご紹介します。

 

中国美術

有名なのは

搗練図 北宋時代(12世紀) 伝徽宗皇帝

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北宋の暗君、茫洋君にして超一流のアーチスト、徽宗皇帝。絹を打ち、紡ぎ、縫い、伸ばす。原本は唐時代。をリライト・コピーしたのがこの絵巻。筆が徽宗か、宮廷画家によるものか、決定打に欠き、断定できない。唐の風俗をパーフェクトに再現できているかには疑問符がつくのだそうですが、髷の形や髪飾り、うすものをまとい袖をたくしあげ、萌えてしまううなじ。女の手仕事のさまの綿密な描写で、中国王朝絵巻をまじかに感じてみたいなー。このコスチュームのシルエット、ナポレオン時代と同じ!

 

展示でうっとりしてしまったのは

 

観音立像 北周または隋時代(6世紀)

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風を受け(衣の袖がたなびいている)手にお持ちなのは、蓮の花ではなく、レンコンなんですね。お召し物の素晴らしい事。全身にアクセサリーを飾り、白い仏像なので清楚でありながら慈愛と気品に満ちて。2.5mの巨像なので、私どもを見下ろしていらっしゃいます。アルカイックな微笑にノックダウン!純粋に見た目だけなら、この仏さまが一番かなあ。

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風の流れが、横からの方がよくわかりますね。

左に見えている絵は

姨母育仏図 明時代(16世紀)(壁画)

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「姨」は「妻の姉妹」。ブッダ様のお母さんはブッダを産んで7日めに亡くなってしまい、妹のプラジャーパティーがブッダを育てた。276.8 x 345 cm 。お義母様より側近くの侍女に目が行ってしまいます。きれいどころ揃いです。壁をはがして持って帰るなんて。そしてここまで元の形に近づけることができるのだ…。淡いグリーンのトーンが上品で、状態もかなり良い。

 

同じお部屋には

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 六朝時代の空飛ぶミュージシャンや

 

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唐の時代に石に刻まれた釈迦三尊像の右側の仏さま。

(一番美形だったのでアップで。)

 

菩薩座像 東魏時代(6世紀)

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洛陽郊外の名刹、白馬寺から出土したもの。白馬寺は1世紀に創建された文献で確認できる中国最古のお寺で、中国では超有名。近くに中国三大石窟(莫高窟・雲崗石窟・龍門石窟)の1つ、龍門石窟があります。上の「観音立像」も6世紀。同じ中国、たいして年代も違わないのに、ここまで様式が違うとは。「観音立像」が清艶なら、こちら「菩薩座像」は清柔。冠が高く、より一層お顔を面長に見せ、足を交差させたりこの像のように片足を膝に乗せ、シルエットを三角形に見せるスタイルは、中国の魏の時代の仏像の目立ったスタイルです。裾のドレープのひだひだとスカート?のプリーツがはっきりわかりますね。

 

展示は

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ライトを浴びて、テラコッタ色。

 

中国陶磁

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浮世絵が西洋の度肝を抜き、世界を席巻したというなら、中国の陶磁器の焼きしめた白い肌と染付の色・模様・完成度はもっとずーっと前から、世界中の羨望の的でありました。もちろん、ボストン美術館にも、陶磁器、揃ってますし。

青銅器

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 中国の青銅器は、古代の人々の祈り。今みたいに世界中の様子が瞬時にわかるはずはない。そして人の命はもろかった。見えぬ未来に平穏無事と五穀豊穣の願いの切実さは、今の私たちのお寺や神社や教会での祈りとは、きっと全然、違うんだろうな…。

 

韓国陶磁

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韓国陶磁の白さも青さも(青磁って薄緑色だから緑も、と言うべきかも)上品で優しく女性的で、大好き。2012年にオープンしたばかりの新しいコーナー。

 

南アジア(インド、ネパール、スリランカなど)美術

観世音菩薩

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インド語では!?「アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteshvara)」とおっしゃるのです。11世紀。パーラ朝。パーラ朝は仏教と芸術を厚く保護したため、この時期のインドの仏像はとりわけ見目麗しい。同じ仏様で、インドと日本、なぜにここまで違うのか。日本の仏像にセクシーさ、皆無、は言い過ぎでも、インドと比べたら雲泥の差だものなあ…。ミケランジェロのダビデも良いですがインドの優男にも、もちろん心惹かれます。


東南アジア(インドネシア、カンボジア、ミャンマー、タイ、ベトナム)美術

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下段、台に乗った白い水差しは(油さしだったのかもしれないとのこと)

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ベトナム・李朝時代、11~12世紀のもので、完全無欠、割れも欠けもなく残った奇跡の品なんだとか。注ぎ口、細いし、長いし…。よくも残ってくれました。もともとは白磁だったのでしょうか。経年で、韓国の白磁とかも貫入が入りますが、土が違い、釉薬ももちろん違うのでしょうから、同じような技術で作り上げた陶磁器も、今見るとここまで違う。

 

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仏像(仏教にいてもほかの宗教にしても)や彫刻って、中国、日本と東下するほどにインドのエロティックさは薄まっていくような。つまり東南アジアは中継地点。は残しつつもより温かみ、柔らかさが増すような気がします。そして石も、材料も違うのかなあ。野ざらしの仏様が多かったのかもしれない。粗削りっぽいものが多かった気が。表情もわりと固い。

 

イスラム美術

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13~14世紀ごろのペルシャ(今のイラン)のタイル。

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 装飾にかけてはインドに負けじ劣らず、百花繚乱の華やかさにに目を奪われるイスラム芸術。ムスリムの教えは偶像崇拝ご法度なので、かわりに幾何学模様や花や蔓の文様が生み出され、神の姿を見せるのではなく、いまここに神がいることを感じる、感じさせる。制約が、イスラム芸術の独自の開花のヒミツなのですね。

 

メソアメリカ美術

オルメカの仮面

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中央の白い仮面が「オルメカの仮面」。紀元前6~8世紀ごろ。メキシコ。ヒスイ。副葬品ないしはツタンカーメンのマスクみたいな死者の仮面。葬儀の儀式において仮面は火に投じられ、白変するのです。マヤやアステカに先立つ、中央アメリカの最古の古代文明が、オルメカ。15世紀、スペインのコロンブスが発見!?するまで、独自の発展と繁栄を重ねてきた。

アメリカの美術館なのですからアメリカ生まれの古今東西の展示にも大きなスペースが割かれています。地元、アメリカ国民の方々が一番熱心に見て回るのは、もしかしてアメリカ美術のブースなのかも。

 

アフリカ美術

馬上の統治者

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16世紀、アフリカ。正装の戦士。 凝った羽毛の冠、貝をあしらった豪壮な襟飾りは身分の高さの象徴。アフリカ・ベニン王国(現在のナイジェリア南部)の国王の副葬品。ベニンではなく、その周辺の王の像ではないか、との説が有力。

アフリカンアートは、複雑に絡み合い、幾多の文化の刺激や影響から全く離れたところに源流があり、孤高にオリジナルであるところがユニークすぎる存在。DNAの違いを感じさせる作品ばかりです。

 

まとめ

ボストン美術館は広大で、観光客が集中する展示スペース以外にも心惹かれる展示は必ずあります。所蔵品の展示のみならず、通路や階段などにも工夫がこらされており、はるか昔に作られ、不思議なご縁でアメリカのみやびなる都、ボストンに世界各地からやってきたお宝の故郷を感じさせる仕掛けがたくさん。機会があればぜひ、行って、見て、楽しんでください!!

 

おまけ(ミュージアムショップでのお買い物)

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記念に。と買った本。ボストン美術館の所蔵品のジャンル別のガイドブックです。中国、日本、韓国。全部英語。写真を手元に置いて眺めることができるのはありがたい。コレクションナンバーも入っているので、ボストン美術館のホームページから番号入れれば作品のページにダイレクトに飛べるのがありがたい。オンラインショップでも購入可。日本にも発送可です。

 

ちなみにこちらのMFA Highlightsシリーズは全15種類。各19.95~24.95ドル。(日本芸術の本が一番高い!気合入ってます!)

  • American Painting(アメリカ絵画)
  • American Decorative Arts(アメリカの装飾(家具・食器など))
  • Native American Art(アメリカ先住民芸術)
  • European Painting and Sculpture after 1800(1800以降のヨーロッパ絵画と彫刻)
  • European Decorative Arts(ヨーロッパの装飾)
  • Arts of China(中国芸術)
  • Arts of Japan(日本芸術)
  • Arts of Korea(韓国芸術)
  • Classical Art(古代ギリシャ・ローマ芸術)
  • Arts of Ancient Egypt(古代エジプト芸術)
  • Contemporary Art(現代アート)
  • Photography(写真)
  • Musical Instruments(楽器)
  • Textile and Fashion Arts(織物とファッション)
  • Conservation(研究成果や過程などの一般客向けの紹介)

ショップのベストセラーはモネやゴッホのパズル、マグカップ、カード類やエコバッグなど。

 

ボストン美術館で絶対見るべきおすすめ20の作品と見どころを紹介する!

アメリカ東部、マサチューセッツ州ボストン市観光の目玉中の目玉、決定版はボストン美術館 (Museum of Fine Arts, Boston 略称MFA) 。

 

どこがどうすごいのかはこちらにもう書いてしまいました。

 

hitomi-shock.hatenablog.com

 

 

有名な作品、みどころなど。

 

 

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(…絵が四角でなく、台形に映っている。あまりにお見苦しいため、以後パブリックドメイン画像でお届けします。)

 

ラ・ジャポネーズ (着物をまとうカミーユ・モネ) 1875-76 クロード・モネ 

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 フランス印象派の日本への傾倒を示す絵として名高い。近年修復され、日本でも展覧会が開かれこの絵がやってきて、大盛況だったのも記憶に新しいところ。

 

 はるばるアメリカまでやってきた甲斐あって、本来の展示、ボストン美術館では、待ちなし。行列なし。順路なんかないから、一目散にお目当ての絵に向かって、じっと見ていてもかまわない。歴史に残る名画名作をさくっと1日でまとめて鑑賞できちゃう。

 

そして画像では決してわからない。まず絵が大きい!額こみでかるく一畳くらいあります。そして各々の絵の質感やタッチ。生々しさと臨場感はやっぱり実物を目の当たりにしなければ。この絵も、上下の画像を見比べていただきますと、着物の武者絵のあたりの重量感。微妙に違うでしょう。緞帳のように重厚な和刺繍を、てりも輝きもそのままに、異国のモネが見事に表現していることにうならされます。実物はもっと、絢爛豪華だった!

 

睡蓮 1905 クロード・モネ

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ボストン美術館のモネのコレクションはフランス以外ではNO.1。印象派のどこが新しいかって、モノは光と影で時に色を変え、移ろう。その瞬間を閉じ込めた。モネの睡蓮の絵は200枚以上あるそうです(1897年ごろから30年近く同じ主題で書き続けた)。水面に映るのは雲?木の陰?曖昧に広がりゆく睡蓮の葉と花が続き連なる。

 

ルーアン大聖堂(太陽の効果)1894 クロード・モネ

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ルーアン大聖堂(正面・夜明け)1894 クロード・モネ

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 「ルーアン大聖堂」は全部で33枚。うち2枚がボストン美術館所蔵。「睡蓮」シリーズより少し前。1892~94年にかけて集中的に描かれ、モネ中期の代表作の一つです。水蓮が水面ならルーアン大聖堂は大聖堂というモチーフで、満ちる光が刻々と移りゆくさまを捉えた。印象派ならではの着眼点。

 

印象派は、登場した当時はアバンギャルド。新しいものは斬新すぎてえてして世間には受け入れがたい。初めはバッシングの嵐だった。しかし、見抜く目を持つ人たちは確かにいて、ニューヨークの個展での大成功に始まり(新大陸アメリカは新しい価値観を受け入れるキャパシティを持っていた)、その後各地で個展を重ね、今日の印象派の人気があります。

 

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 1897-8 ポール・ゴーギャン

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ゴーギャンの代表作であり、畢生の大作と言って差し支えない。ボストン美術館の誇るお宝の一つ。展示も壁一面。(実物は大きい…139.1cm×374.6cm)

この絵、向かって右から左に見る。右は赤ん坊。真ん中、両手を上げ上を向く人物が青年期、そして左端が老婆。人は生れ落ち、老いて死ぬ運命から逃れることはできない。ブルーグレイを基調にした色づかいが深淵を感じさせ、この絵を描き上げた翌年世を去るゴーギャンの精神世界を現わしている。と言われている。20世紀、印象派を経てキュービズム・フォービズムが隆盛を極める、さきがけとなった作品。

 

 ペイルレ渓谷 1889 フィンセント・ファン・ゴッホ

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1889年、ゴッホはフランス南部プロヴァンス地方の精神病院に入院したころに書かれた絵。灰色の荒々しくも生々しいタッチは、機会があればぜひ、生でご覧ください~。この「ペイルレ渓谷」も世界中に3枚、あるんだそうで。現地サン=レミには、「ゴッホはここでこの絵を描きました!」の看板!?プレートが町のそこかしこに立っているのだそうです。

 

郵便配達人ジョゼフ・ルーラン 1888 フィンセント・ファン・ゴッホ

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 ルーラン夫人 ゆりかごを揺らす女  1889  フィンセント・ファン・ゴッホ

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このお二人、ご夫婦なんですね。サン=レミに移る前、アルルでのゴッホのご近所さん。ゴーギャンとの共同生活に疲れ、耳を切り落としたり幻覚に悩まされているゴッホの面倒を見てくれた、心優しい隣人でした。ゴッホといえば、どうも人との距離をつかむのが苦手らしい、今なら別の病名がつきそうな人、とのイメージがあります。そのゴッホが心を許し、ご主人の絵は4枚以上、奥様の絵は5枚。確認されています。

 

世界の名画を見ても見ても終わらないのは、…天才って、多作なんですね~。描いて描いて描きまくってるんじゃないのか…。

 

奴隷船 1840 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

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イギリス ロマン派の風景画家ターナーと言えば、静謐感あふるる風景画を描く人、とのイメージがあるのですが、この絵のなんと激しいこと。

それもそのはず、この絵は1781年の奴隷船、ゾング号の残虐非道事件を題材にしています。奴隷を乗せ、アフリカから出航したゾング号。人間を荷物扱いし、船内には疫病が蔓延。船長は奴隷133名を、手と足をつないだまま、海に投げ捨てた。そして「荷物」の保険金を請求したが「管理不行届」で請求は却下された。とのどこからどこまでもむかつく一部始終に怒り狂ったターナーが描き上げたのが、この絵。

水平線の太陽は燃え、波は高い。それでも船は進み、船跡の荒々しさ、沈む人々の絶望と絶叫と悲哀。。。

インパクト強し。今回のボストン美術館紀行で、一番感動したのは、この絵かも。

 

種まく人 1850 ジャン=フランソワ・ミレー

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ブランスバルビゾン派の巨匠、ミレーの代表作の一つ。有名な絵です。この絵もボストン美術館の至宝。神様だの神話だの名勝ではなく、農民を描いた。土とともに生きる人間のダイナミズムと静寂。そしてこの絵は聖書の題材がベース。キリストの教えを種まき伝え、やがては豊かに実を結ぶとのメッセージも込められているのです。

「種まく人」は世界に2枚。もう1枚は、日本の山梨県立美術館に展示されています。

 

以上、ガイドさんが「この絵はここにあります」とパンフレットに書き込んでくださった絵のご紹介でした。つまり、ここまでがダイジェストツアー。ゴーギャン・ゴッホ・ミレー・モネ・ターナー。1~2時間で一挙に目にすることができる!!!しかも各室、お客さんはせいぜい20~30人!!!お得感果てしない!!!

 

しかしこれで終わるのも惜しいので…さらに続けさせていただきます。

 

犠牲(旧約聖書)1626 ピーテル・パウル・ルーベンス

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イエス・キリストがすべての人の罪を引き受け、十字架にかけられるまで、人々は神様に命の捧げものをしなければならなかった。子羊は祭壇に備えられ、剣を持った男は神に忠誠を誓い、加護を祈るのです。

 

修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像 1609 エル・グレコ

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この絵、日本で大々的にグレコ展が開かれたとき、来ているのですね。「良かった!」との声多数。グレコといえば祭壇画がまず頭に浮かぶ。青だの黄色だのの衣を着た人や天使が空を仰いでポージング…そして画面上部には輝く光と天使たち、と芝居がかった印象がある。そしてこの絵の何とさわやかなこと。強靭で繊細なイケメン(神に仕える方にこんな言い方していいのかしら)の外面と精神に、鑑賞する皆さまは心洗われたのでしょう。

 

カルロス皇子と侏儒 1632 ディエゴ・ベラスケス

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バルタサール・カルロス・デ・アウストリアは、ベラスケスの絵ですから、スペインの王子さま。かの「ラス・メニーナス」のマルガリータの、母親違いのお兄さん。1929年ですから、この絵に描かれているのは2~3才のころ。小さい子だけが持つ、ぷっくりしたほっぺに、つぶらな瞳の愛くるしさ。このいたいけのない子は、未来は国をしょって立つのです。「侏儒」とは小人のこと。(とは言え、ご学友ならぬ遊び友だちにしか見えないのだが…)左手のリンゴ、右手のガラガラが未来の王の球と笏を暗示します。しかしカルロス皇太子は、天然痘でわずか16才で早逝します。

 

チャールズ一世の娘、王女マリー 1637 ヴァン・ダイク

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 ヴァン・ダイクはルーベンスの弟子。巨匠と一緒にいても後塵を拝するだけ。と心機一転、イギリスに渡り、持てる才能を存分に開花させた。フランス、ルーブル美術館所蔵「英国王チャールズ1世の肖像」はフランス国王の我こそは絶対無二の君臨者、自分大好きとは真逆の自然とともにある国王のさりげない振り向きショットなんか、絶妙。

王女マリー、メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートはチャールズ1世の長女。このとき6~7才。自分の運命に立ち向かうかのように、子ども服ではない。大人の女性の服装です。マリーは10才でのちオランダ総督となるウィレム2世と結婚し、19才で夫を天然痘で失い、未亡人となります。そして29才で、夫と同じく天然痘で、世を去るのです。

 

ブージヴァルのダンス 1883 ピエール=オーギュスト・ルノワール

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世界は美しく、人生は味わい深い。真正面から言い切るのは大人の身、いささか恥ずかしい。しかしルノアールの頬染めた女性の絵を見ていると、無条件にこの言葉が浮かんできます。ブージヴァルは地名。格式ばらず、市民が憩う川辺で、恋人たちは踊るのです。ピンクの、赤の縁取りのドレスに、赤い帽子。男性も、おしゃれして。男性は恋する人に顔を近づけ、女の子の心はきっと、もう決まってるんだわ。今目の前にあるものが美しいのです。

 

赤い肘かけ椅子のセザンヌ夫人 1877 ポール・セザンヌ

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セザンヌは印象派から出たが印象派にとどまらず、のちの20世紀の絵画の流れを先取りした色彩の魔術師。画家が惚れる画家。ピカソもマティスもモンドリアンも、ルーツをたどれば皆セザンヌ。絵でしか表現できない世界。1枚の絵の中にねじまげられた空間があったりする。絵は見えたままでなく、何があってもいいのだ…。って方ですから。この絵はまだ初期のセザンヌ夫人ですし、セザンヌ夫人、オルタンス(書かれた当時は内縁、のち入籍)さまの表情がいささか固いのも。気にしない。色遣いと全体の調和を見せていただきましょう。

桟敷席にて 1878 メアリー・カサット

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 いい絵ですねえ。思わずため息出ちゃう。アメリカが誇る印象派の女性画家、メアリー・カサット。「母子像のカサット」とか言われており、19世紀後半のフランスとアメリカに降り立ったラファエロであり、喜多川歌麿であり、上村松園です~。王女様のきらびゃかな絵じゃなくて、普通の人の日常生活に題材を取った柔らかな温かな女性像は、心に染み入り、余韻に浸れる。

この絵は、ドラマティック。桟敷席の女性は黒づくめ。片手に扇子を握りしめ、オペラグラスで舞台を見つめ、正面の紳士は身を乗り出して貴婦人を見つめる。を同時に見通す、第3の視点。絵の壮麗な舞台装置と息詰まる瞬間と貴婦人の肌と表情。

 

メンカウラー王と王妃の像 紀元前2490–2472

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1905年から1942年まで続いたボストン美術館とハーバード大学共同発掘調査隊がエキプト、ギザで1910年に見つけたお宝。1911年にエジプト政府より正式に寄贈。メンカウラー王の在位は紀元前2532年から紀元前2504年。夫人は2人いて、どちらがこの像なのかは不明。石造です。一見して固い。ギザのスフィンクスなんか、風化しているのに。そして傷一つない。奇跡です。古代の人はどうやってこの超固い石を刻み、王の威厳に満ちた表情と王妃のアルカイックスマイル、二人の滑らかな肌を掘り出したのでしょう。夫婦は共に一歩を踏み出し(エジプトでは普通男性は左足を前に出し女性は足を揃えるだそうですがこの像では一緒)頭巾とあごひげはファラオの印。王妃は王の腕と腰に手をまわししとやかに寄り添う。

 

そして忘れちゃいけない。

吉備大臣入唐絵巻 平安時代

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日本にあれば即国宝です。奈良時代、吉備真備が遣唐使として唐に渡った。その才をねたまれ、さまざまな無理難題を吹っ掛けられますが、スーパーマン真備は異国の地で故郷を懐かしみつつ世を去った阿倍仲麻呂の亡霊の力を借りて快刀乱麻、鮮やかに難局を切り抜け、見事帰国を果たす。図録持ってるんですが、手に汗握ります~。1932年、このお宝がボストン美術館の手に渡ったことを知った日本政府は、あわてて「重要美術品を国外に出すことはまかりならん!!!」の法律を作った、とのいわくつき。このクラスになりますと、常設展示とはいかない。同じ人が描いたとされる「伴大納言絵巻」は当然国宝。東京出光美術館蔵です。どちらも狙って行って、極めてみたい!

 

平治物語絵巻 三条殿夜討巻(鎌倉時代)

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 こっちだって日本にあれば国宝ですよ。まったく、なぜアメリカにあるのだ。

平安末期、武士の時代の始まりを告げる源氏と平家の争い。この絵巻物は保元の乱・平治の乱の平治の乱(1159)の方を100年後に描いている。御所三条殿を源氏が襲う!燃え盛る炎、逃げ惑う人々、敵の首を討たんとなだれ込む甲冑の群れ…他2巻は東京国立博物館(国宝)と静嘉堂文庫蔵、1巻は分断されていろいろなところにある。他は散逸してしまった…。全15巻くらいではなかったか、と推測されています。残っているもののうち、NO.1は文句なく、ボストン美術館所蔵!

 

まとめ

今回の紹介はカサットだけになってしまいしたが、アメリカの美術館ですから、アメリカ美術・南アメリカ美術にも相当のスペースが割かれており、現代アートのブースにも力入ってます。そして日米以外の言語でボストン美術館の検索かけますと、各国が目をつけた自国のお宝などもわかって面白かった。所蔵品は膨大。2日間通いました。できれば、もう1週間、時間が欲しかった!機会があればぜひ!そして時間を作って美術館のためだけにボストンを訪れるだけの価値ある美術館です。

おまけとしてパンフレットの画像、楽器の展示室の写真、入館情報など。

 

おまけ

ボストン美術館の日本語パンフレット

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楽器室

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外観とエントランス

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前庭にいたガチョウ。

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入館情報
  • 入館料は25ドル。10日間有効なので、半券を持っていけば10日間、入館無料。65才以上と18才以上の学生は23ドル、17才以下無料。
  • 開館は木曜日・金曜日のみ10時~22時。土曜日~水曜日は10時~17時。ただしアメリカの祝日は休館日になることもあるので、事前に確認を。
  • ツアーガイドのヘッドフォンは5ドル。端末操作して日本語バージョン選択可。ただしバッテリーがたりないこともあるので、事前に確認を。(見学中、交換場所に戻るのは時間とエネルギーが勿体ない。)ただし日本語の解説のある作品は限られる。
  • 休憩場所は展示スペース、ホール等に数多くある。初日は時差ぼけもあり、ソファでバッグを胸に抱き、お昼寝してしまった。つまり、安全。身の危険とかはまずないが、外国であることを忘れず、自分の身は自分で守ること。
  • 屋外に日本庭園の「天心園」がある。ここは入場無料。
  • レストランとカフェあり。
  • ミュージアムショップの図録は、日本語版は見つけられなかったものの、ジャンル別の図録がシリーズで出ていて、自分の好きな本だけ選ぶことができるので、その点、便利。
  • 帰り、タクシーを拾うつもりで、ガイドさんは、「いつも何台かはいますから」とのお話でしたが、夕暮れ時、美術館を出るとタクシーは影も形もなかった。大通りに出れば、タクシー、拾えます。

  また、思いついたら、追記していきます。